第60話 動き出す約束
止まっていた時間が、
静かにまた動き出す。
大きな決意は、
いつも穏やかな一言から始まる。
夕方の光が、まだ部屋に残っていた。
テーブルの上のカップは、
半分ほど冷めている。
さっき交わした言葉が、
空気の中に静かに残っていた。
誰も、もう目を逸らしていなかった。
沈黙は、重さではなく、
整った間になっていた。
ショコラが言う。
「じゃあ――次、決めよっか」
その一言で、
空気が少し動いた。
ルミエールがタブレットを開く。
「案件が二つ来ています」
視線を上げる。
「遊園地イベントと、住宅展示場ステージ」
ソレイユが小さく息を吸った。
ノアールの指先が、
カップから離れる。
止まっていた針が、
また進み始めた。
「まずは遊園地の下見から行きましょう」
ルミエールの声は、いつも通り冷静だった。
でも――
ほんの少しだけ柔らかい。
翌日。
観覧車が、青空の中でゆっくり回っていた。
色とりどりの旗。
弾ける音楽。
甘い香り。
「……ここが、遊園地」
ソレイユは入口の前で、ほんの少し足を止めた。
宇宙にも娯楽施設はある。
でも――
ここは違った。
ここは、
“幸せを過ごすために作られた場所”。
中に入るとすぐ目に入る。
手をつないで歩く二人。
笑いながら写真を撮るカップル。
子どもを抱き上げて回る家族。
胸の奥が、きゅっとする。
(……いいな)
その次に、
少しだけ苦い感情がよぎる。
(……うらやましい)
喉まで上がった言葉を、
飲み込む。
代わりに笑顔を作る。
「よし!下見、ちゃんとしよ!」
声だけは明るくした。
隣でノアールが見ていた。
以前なら見ないふりをしたかもしれない。
でも今は違う。
「……ソレイユ」
「ん?」
少し迷ってから言う。
「無理してない?」
ソレイユは一瞬だけ瞬きをした。
それから、少し笑った。
「してる」
正直だった。
「でもね――仕事だから」
ノアールはうなずく。
それ以上言わない。
ただ、横に並んだまま歩いた。
ルミエールは遊具を見上げている。
視線は楽しむ人ではなく、構造へ向いていた。
「回転制御……減速の入り方が上手い」
「何見てるのよ」
「安全設計と心理設計」
淡々と答える。
「人は“怖い”のあとに“安心”が来ると笑う。
設計でそれを作っている」
少しだけ目が輝いていた。
「……応用できますね」
「なにを?」
「ロボット遊具」
ソレイユが吹き出した。
「遊園地にルミエール製ロボット?面白すぎでしょ」
その時だった。
背後から声がかかる。
「失礼ですが――」
振り向くと、遊園地スタッフが立っていた。
「ショッピングセンターのステージ、拝見しました」
「あのロボット演出、話題になっていましたよね」
スタッフは続ける。
「もし可能なら、こちらのイベントでも
技術協力をお願いできませんか?」
ルミエールは即答しない。
一度、園内の導線と設置スペースを見渡してから答える。
「仕様調整すれば可能です」
「常設も視野に入ります」
スタッフの表情が変わる。
「ぜひ、正式にご相談させてください」
ルミエールは即答しない。
一度相手を観察してから言う。
「仕様調整すれば可能です。
常設も視野に入ります」
相手の顔色が変わる。
「常設……ぜひ検討させてください」
仕事が、目の前で動き出す。
観覧車の列に並ぶカップルが見えた。
ソレイユは視線を向ける。
胸がまた少しだけ痛む。
(いいな)
(でも)
ステージ予定地へ視線を戻す。
(今は、ここ)
(今は、歌う)
「テーマソング、作ろう」
ソレイユが言った。
ノアールが目を丸くする。
「遊園地の?」
「うん。ここ専用の曲。
帰り道でも口ずさめるやつ」
ルミエールがうなずく。
「良いですね。
“幸せの記憶”を音に残す」
ソレイユは、胸の奥の揺れごと抱えたまま、
前を向いた。
羨ましさは消えない。
でも――
それでも、笑って立つ。
それが今の自分の選択だった。
立ち止まったあとでも、
人はまた歩き出せます。
少しだけ強くなった三人が、
次の場所へ向かいます。




