第46話 幽霊と呼ばれた歌姫
かつて、私はこの場所で「人形」でした。
けれど今日は違います。
隣には、私の闇を光に変えてくれる仲間がいるから。
事務所の自動ドアが開いた瞬間、
ノアールの指先がわずかに冷たくなった。
「……大丈夫よ、ノアール」
隣でルミエールが静かに告げる。
その声は、スタジオで音を操る時と同じ――絶対的な安心感を帯びていた。
「うん! 今日、私たちの『LUMISORA☽』が正式に生まれる日だもんね!」
ソレイユはいつも通り天真爛漫に笑い、
ノアールの背中を軽く叩いた。
受付を抜け、エレベーターへ向かおうとしたその時。
「あら……ノアールじゃない。
まだこの世界にいたのね?」
香水の強い香りと共に、ひとりの女性が立ち塞がった。
事務所の看板モデル兼タレント――アンナ。
社長の寵愛を盾にしてきたが、最近は
ショコラやブランシュに仕事を奪われ、焦りを隠せない女。
「……お久しぶりです」
ノアールが微かに声を絞り出す。
「久しぶりなんて、よく言えるわね。幽霊のくせに。
あなたのお姉さんたち、最近ずいぶん鼻につくのよ。
私の仕事を横取りして……。
妹のあなたも、また這いつくばって仕事をもらいに来たの?」
美しく整えられた瞳の奥にあるのは、嫉妬と苛立ち。
背後では、かつてショコラたちを担当していた
あの感じの悪い男性マネージャーが、嫌味な笑みを浮かべていた。
(……値段がつかなくなった、猫……)
かつて浴びせられた言葉が、
ノアールの胸の奥で黒い霧のように広がりかける。
その時だった。
「――そこまでにしてくれる?」
ソレイユが一歩前へ出る。
その瞬間、廊下の空気が凍りついたように静まり返った。
「ノアールは、私たちのセンター。
それ以上彼女を傷つけるなら――私が黙っていないわ。」
続いて、ルミエールが静かに告げる。
「アンナさん。
私たちは社長に“音”を聴いていただくために来ました。
あなたの私怨に付き合う時間はありません」
二人の放つ“本物”の圧に、
アンナは思わず一歩後ずさる。
「……ふふ。どうせすぐに消えるわよ。
この世界は、そんなに甘くないもの。」
捨て台詞を残し、彼女は去っていった。
ノアールの胸に広がりかけていた闇は、
二人の光に触れて、いつの間にか消えていた。
社長室。
数字だけを信じる冷徹な男が、机の向こうに座っている。
「……例の“救出チーム”か。
音を持ってきたなら、出せ」
ルミエールは無言で、マスター音源を再生した。
瞬間。
室内を満たしたのは、常識を覆すバンドサウンド。
黒猫のドラム。
白猫のDJ。
ピンクのリボンをつけたベース。
そして――
その上に乗る、ノアールの透明で力強い歌声。
『私は旅人 それは秘密――』
曲が終わる。
社長の指が、机の上で一度だけ止まった。
「……なるほど」
それだけ言って、社長は音源を止める。
「LUMISORA☽。正式始動だ。
スタジオ、宣伝、衣装、すべて用意しろ。
三日後、試験的にネット公開する」
淡々とした声。
しかし、その一言が“合格”を意味していた。
ドアの外。
盗み聞きしていたアンナは、何も言わなかった。
言葉が出ないのではない。
言えば自分が負けだと理解している沈黙だった。
長い爪が、手のひらに食い込む。
それでも彼女は、笑顔のまま背を向ける。
「……ふふ。面白いじゃない」
それだけ残して去っていった。
ノアールは、静かに息を吐いた。
勝ったのではない。
**“戻ってきた”**のだ。
幽霊と呼ばれた歌姫は、
もう二度と消えない。
読んでいただき、ありがとうございます。
社長の一声で、物語は次の段階へ。
しかし――本当の勝負は、ここから始まります。




