第36話 病院への道と、はじまりの責任
守りたいと思った瞬間から、
責任は静かに始まっていた。
最近、お昼休みは三人でご飯を食べるのが当たり前になっていた。
けれどその日、ソレイユから一通のメッセージが届いた。
『今日は同級生のお友達と食べるね』
ルミエールはスマホを見て、くすりと笑う。
「きっと彼とランチね。大丈夫よ、ノアール。私はあなたと一緒だから」
ノアールは少しだけ安心しながらも、別のことが胸に引っかかっていた。
「ルミエール……ひとつだけ、気になってることがあって……」
「なにかしら?」
「前の部屋に、ルナの毛とか……汚れが残っていたら、お姉ちゃんたちが困るかもって……。
学校帰りに少しだけ寄ってもいい?」
ルミエールは一瞬だけ考え、穏やかに頷いた。
「ええ。行きましょう」
放課後。
ソレイユは朝の男子と並んで、楽しそうに帰っていく。
ルミエールとノアールは、かつてのマンションへ向かった。
部屋の鍵を開けると、懐かしい匂いがした。
お姉ちゃんたちは仕事や大学で忙しいのか、ノアールの部屋に入った気配はない。
布団にはルナの毛が絡みつき、
カーペットには小さな染みが残っていた。
ノアールの胸がぎゅっと縮まる。
「どうしよう……ルミエール……」
「大丈夫」
ルミエールは腕を大きく振る。
白い光があふれ、部屋いっぱいに魔法の輝きが広がった。
次の瞬間、毛も染みも、匂いさえも跡形なく消えていた。
何事もなかったように、元の部屋が戻る。
「これでお姉さんたちには迷惑がかからないわ」
ノアールは深く息を吐いた。
「よかった……」
けれど、ルミエールは優しく、少しだけ厳しい声を続ける。
「でもね、ノアール。
本当は、こういうお世話は飼い主がするものよ」
「掃除も、トイレのしつけも、ごはんも。
そういう“見えないお世話”は、ちゃんと動物に伝わるものなの」
ノアールは小さく頷いた。
「……うん。私がちゃんとやる」
「では、病院へ行きましょう」
動物病院の待合室には、他の犬や猫たちがいた。
キャリーケースの中で、ルナは落ち着かずに動き回っている。
診察室に呼ばれ、キャリーを開けた瞬間――
ルナはぱっと飛び出し、逃げようとした。
「ルナ!」
ルミエールがすぐに抱き上げ、ノアールの腕にそっと渡す。
ルナはブルブルと震えながら、必死に逃げようとする。
「大丈夫だよ、ルナ……すぐ終わるからね……」
看護師の手を借りながら、健康診断が進んでいく。
診察が終わり、先生から説明を受ける。
ワクチン。
去勢手術。
これからの通院計画。
そして提示される費用。
(……やっぱり、お金ってすごくかかるんだ)
ルミエールが立て替えてくれるとはいえ、
それはノアールがこれから返していくお金だ。
命を預かる責任が、ずしりと胸に沈んだ。
会計を終え、病院を出る。
キャリーの中のルナは、不機嫌そうに鳴いていた。
ルミエールの家へ戻ると、まだソレイユは帰っていなかった。
「晩ごはんまで、ルナとブランで過ごしましょうか」
キャリーを開けると、ルナはノアールをちらりと見て、ぷいっとそっぽを向き、
メイドの方へ歩いていく。
「嫌われちゃったかな……」
ノアールが落ち込むと、ルミエールは微笑んだ。
「仕方ないわ。
学校に行っている間は、どうしてもメイドが面倒を見るもの。
それに今日は病院にも連れて行かれたし、少し怒っているのね」
ルミエールは猫じゃらしをノアールに手渡す。
「でも、ちゃんとお世話を続ければ、また懐いてくれるわ」
猫じゃらしを揺らすと、ルナは少しずつ近づいてきた。
遊び終えたあと、ノアールはごはんと水を用意し、猫トイレの掃除もした。
そして、ぽつりと呟く。
「ルミエール……
私の部屋、今は前のマンションと同じ形だけど……
ルナと一緒に過ごせる部屋に、変えることはできる?」
「今日は……ルナと一緒に寝たいなって思って」
ルミエールは優しく微笑んだ。
「ええ。
それなら、ルナと一緒に過ごしやすい部屋にしましょう」
ノアールは、胸の奥があたたかくなるのを感じていた。
読んでいただき、ありがとうございます。
“かわいい”だけでは終わらない、命との暮らし。
ノアールの本当の一歩が、ここから始まります。




