第29話 新しい提案
守りたい気持ちだけでは、命は守れない。
ノアールは初めて、「選ぶ責任」と向き合う。
「こんばんは。ルミエールさん、ソレイユさん」
玄関の扉が開き、ブランシュが穏やかな声で迎えた。
「さあ、玄関で話すのも何ですし。中に入って、ゆっくり話しましょう」
「お邪魔します」
ルミエールとソレイユは揃って明るく答えた。
その後ろで、ノアールは黙ったまま靴を脱ぐ。
胸の奥が、どくどくと早鐘を打っていた。
(どうしよう……ちゃんと、言えるかな……)
リビングに通されると、ブランシュが温かいハーブティーを用意してくれる。
柔らかな香りが広がるが、空気はどこか張り詰めていた。
部屋の隅。
荷物と一緒に置かれたキャリーケースに、ショコラの視線が吸い寄せられる。
(……まさか、あのキャリーケースの中の黒猫を、
飼いたいなんて言い出すつもりじゃ……)
嫌な予感が、胸の奥をざわつかせた。
「それで……今日は話があるって聞いたけど、どんな話?」
ブランシュが静かに問いかける。
ソレイユがノアールの方を見て、そっと促した。
「ノアールが、お姉さんたちに話したいことがあるそうです」
ノアールは膝の上で、ぎゅっと手を握りしめる。
「あの……お姉ちゃん……」
声が、途中で詰まった。
なかなか言い出せないノアールを見て、ショコラが困ったように眉を寄せる。
「ノアール……もしかして、
あの黒猫を飼いたいなんて言うんじゃないよね?」
その言葉に、ノアールは俯いたまま、何も言えなかった。
その瞬間。
ルミエールが、そっとノアールの手を取る。
「大丈夫。……頑張って」
小さな声が、確かに背中を押した。
ノアールは深く息を吸い、顔を上げる。
「……お姉ちゃん。
私、猫を飼いたいの」
ショコラとブランシュの表情が、同時に曇った。
ショコラが、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「ノアールが猫を飼いたい気持ちは、わかるよ」
一瞬、間を置いてから、続けた。
「でも、この部屋は事務所の名義で借りてるの。
汚したり、傷つけたりできない」
「それに……私たちは、まだ借金を返すので精一杯。
もしノアールが面倒を見られなくなったら、結局その責任は私たちに来る」
ショコラの声は、震えてはいなかった。
ただ、限界だった。
ブランシュも静かに言葉を重ねる。
「私も同じ。
大学に、仕事に、ピアノやバレエの練習……もう余裕がない」
「猫は、餌をあげるだけじゃ済まない。
病気もするし、お金もかかる」
「……だから、反対よ」
ノアールの喉が、きゅっと詰まる。
「……迷惑、かけない」
震える声で、必死に続けた。
「私が、全部やる。
猫は私の部屋で飼うし、掃除もする」
「お金も……私が稼ぐ」
姉たちが、はっと顔を上げる。
「アイドルに復帰して……
私の稼ぎで、返す」
沈黙が落ちた。
「……ノアール、今なんて言った?」
「本気で言ってるの? また、あの世界に戻るって……?」
ショコラの声が、思わず荒くなる。
「もう無理よ。あの精神的にきつい世界は……!」
「また仕事を引き受けて、ドタキャンして、違約金が増えるなんて、もう嫌!」
「私たちだって……自由になりたいの」
ぽつりと、吐き出すように。
「恋愛も、普通の生活も。
自分の道に進みたい」
「……これ以上、私たちの仕事を増やさないで」
その言葉が、ノアールの胸を深く刺した。
(……やっぱり。
私が、いるから……)
世界が、遠のく。
次の瞬間――
ノアールの足元から離れた床に、
濃い紫色の光がじわりと広がった。
巨大な魔法陣。
「あ……、ぁ……」
ノアールの瞳から、光が消える。
魔法陣の中心から、黒いモヤモヤとした霧が噴き出し、
生き物のように部屋を這い始めた。
「また……!」
ショコラが青ざめる。
ブランシュと共に防ごうとするが、
ノアールから溢れる闇に、弾き飛ばされてしまう。
照明が激しく明滅し、窓ガラスがガタガタと震えた。
その時――
「ソレイユ、やるわよ!」
「うん……いっくよー!」
二人が前に出る。
両手を大きく広げ、胸の前で力を練り上げる。
吸い寄せられるように、まばゆい光が二人の周りに集まっていった。
ソレイユが両手を突き出す。
温かいオレンジ色の光が広がり、闇を包み込む。
同時に、ルミエールがしなやかに両手を動かす。
白銀の粒子が舞い上がり、太い光となって闇を打ち消した。
シュオォォォ……
光と闇がぶつかり合い、
パリン、と何かが割れるような音が響く。
紫の魔法陣は、跡形もなく消えた。
静まり返ったリビング。
ルミエールは、震えるノアールをそっと抱き寄せる。
「……見たでしょう?」
静かな声で、姉たちを見据えた。
「ノアールのこの力は、
もうお姉さんたちだけでは支えきれないの」
そして、ノアールの目を真っ直ぐに見つめる。
「ノアール。私の家に来る?」
「学校の勉強の遅れも、
アイドルの準備やレッスンも」
「感情のコントロールも、
魔法の扱い方も、猫のしつけも」
「……全部、そこでならできるわ」
誰も、言葉を発せなかった。
読んでいただき、ありがとうございます。
守りたいものを見つけた夜。
ノアールは、大きな選択を突きつけられます。




