第18話 静かな侵入者
理由は分からない。
ただ、何かが近づいてきている。
ノアールは、玄関のチャイムが鳴る前から、胸の奥がざわついていた。
理由は分からない。ただ、空気が少しだけ重い。
「……来る」
自分でも、なぜそんな言葉が浮かんだのか分からなかった。
嫌な思い出があるわけでもないのに、体が勝手に身構えている。
ノアールは、胸に手を当てた。
――その瞬間。
奥の、もっと奥。
自分の意思では触れたことのない場所で、何かが、はっきりと“怯えた”。
逃げ場を探すように、身体の内側へ、さらに深く潜ろうとする感覚。
ノアールは、そこで初めて気づく。
この予感は、自分のものじゃない。
自分の中にいる“何か”が、近づいてくる存在を恐れている。
闇にとって、とても都合の悪いものが――
今、ここへ向かってきている。
ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。
ショコラが、少し戸惑ったように部屋へ入ってくる。
「ねえ……何か、この二人がノアールに会いたいって言ってきたのよ」
後ろには、ブランシュと並んで立つ、ソレイユとルミエールの姿があった。
「同じ事務所の子たちなんだけど……知り合い?」
ノアールは首を振った。
「……分からない」
すると、ソレイユがぱっと表情を明るくした。
「やっぱり、ノアールってあの時の子だったのね!」
柔らかな、弾むような声だった。
「事務所でお姉さんに初めて会ったとき、妹さんの名前がノアールって聞いて……
もしかしてって思ったの。それで、ついてきちゃった」
さっきまでの高圧的な態度は、跡形もない。
隣に立つルミエールも、人形のような無機質さは消え、穏やかな笑みを浮かべていた。
ブランシュとショコラは、思わず顔を見合わせた。
(……何、これ。演技?)
さっきまでと、あまりに別人すぎる。
二人の胸に、小さな違和感が芽生える。
――ちょっと、怖い。
そんな空気をよそに、ソレイユはノアールの手を取った。
「ねえ、ノアール。こないだは助けてくれてありがとうね。
ずっと、お礼が言いたかったの」
「あ……う、うん……」
ルミエールが、さらに一歩踏み込む。
「ノアールって、どこの高校に行ってるの?」
「私は……ネコノミヤ……」
「えっ、嘘、偶然!」
ソレイユが声を弾ませる。
「私たちも、ネコノミヤ学院に通ってるの。
最近、海外から転入したばかりなのよ。
ねえ、今度一緒に学校行こう。ランチも一緒に食べよう?」
あまりにも自然に、遠慮なく踏み込んでくる二人。
ノアールは圧倒されながらも、胸の奥がほんの少しだけ温かくなるのを感じていた。
(……ちょっと、嬉しい……)
「あ、そうだ。これ、私たちからのプレゼント」
ソレイユが差し出したのは、小さな箱だった。
ふたを開けると、ゴールドの三日月のペンダントが淡く光っている。
「これ、私たちとおそろいのブランドなの。
私は太陽、ルミエールは星。で、ノアールは三日月」
ソレイユは、自分の胸元の太陽のモチーフを指さして笑った。
「形は違うけど、おそろい。
これで、私たち親友ね!」
あまりに強引だった。
けれど、ノアールは拒む理由を見つけられなかった。
冷たいはずの金属が、肌に触れるとなぜか熱い。
ノアールは、まだ気づいていない。
自分の中の闇が、かつてないほど深く沈み込み、息を殺していることに。
闇は、守ろうとも、暴れようともせず、
ただ見つからないように必死で隠れている。
まるで、かくれんぼをする子供のように。
何かが、確実に動き始めている。




