第13話 境界の外で
静かな散歩の途中のお話です。
ノアールは、
ひとりで歩いていた。
体調は、
もう落ち着いている。
けれど、
行き先を決めるほどの元気はなかった。
だから、
ただの散歩。
その途中で、
見覚えのある建物の前を通りかかる。
事務所だった。
そして――
入口に入っていく二人の姿。
ショコラと、
ブランシュ。
「……珍しいな」
二人だけで
事務所に来ることなんて、
ほとんどない。
用事があるなら、
いつも三人一緒だったから。
少し迷ってから、
ノアールも中へ入った。
理由は、
はっきりしていない。
ただ、
置いていかれた感じがして。
廊下は静かだった。
奥の部屋から、
低い声が聞こえる。
社長の声。
それと、
ショコラとブランシュ。
ノアールは、
足を止めた。
ドアの前。
聞くつもりは、
なかった。
でも、
聞こえてしまった。
「……正直に言いますが」
淡々とした声。
「ノアールさん単独での活動は……
難しいですね」
胸の奥が、
きゅっと縮む。
「体調の不安もありますし」
「安定した仕事は、
組みにくい状況です」
ノアールは、
息を止めた。
「ユニットという案も……」
一瞬、
間が空く。
「……希望者が、いません」
頭の中で、
何かが音を立てて崩れた。
「ショコラさんとブランシュさんが
残ってくださるなら……」
「話は、別ですが」
その先は、
よく聞こえなかった。
ああ。
やっぱり。
三人で、
ひとつだった。
私は――
中心じゃなかった。
ノアールは、
ドアから離れた。
振り返らない。
走った。
理由は、
考えなかった。
外に出た、その瞬間。
木枯らしが、
頬を打った。
さっきまで感じなかった冷たさが、
一気に身体に沁みる。
ぽつり。
頬に、
冷たいものが落ちた。
空を見上げる前に、
分かってしまった。
冷たい雨が、
降り出していた。
ノアールは、
足を止めない。
濡れても、
気にしなかった。
その時。
道の向こう。
電柱の影に、
黒猫がいた。
じっと、
こちらを見ている。
逃げもしない。
近づいてもこない。
一瞬だけ、
目が合う。
黒猫は、
何も言わない。
ただ、
すべてを知っているみたいな目で、
そこにいた。
ノアールは、
視線を外す。
それ以上、
見ていられなかった。
歩き続ける。
雨の中を。
やがて、
見慣れた建物が見えてくる。
高いフェンス。
明かりの灯るエントランス。
マンションの前で、
ノアールは立ち止まった。
振り返る。
少し離れたところに、
黒猫がいた。
濡れたまま、
静かに座っている。
ここから先には、
来られない。
それは、
分かっていた。
「……」
ノアールは、
何も言わない。
オートロックに、
カードキーをかざす。
低い電子音。
扉が、
開く。
ノアールは、
一度だけ振り返る。
黒猫は、
動かなかった。
ただ、
こちらを見ている。
ノアールは、
小さく息を吐いた。
そして、
扉の中へ入る。
扉が閉まる。
外の雨音が、
遠ざかる。
エントランスの明かりの下。
ガラス越しに。
黒猫の影が、
まだそこにあった。
ノアールは、
しばらく動けなかった。
それでも。
胸の奥は、
さっきより、
少しだけ冷たくなかった。
※つづく
読んでいただきありがとうございます。
物語は、続いていきます。




