第112話 一人で受ける
正しいことを言われたからといって、
心まで従えるとは限らない。
兄が帰った夜。
ソレイユは、ルミエールにすべてを話した。
兄が迎えに来たこと。
王が帰還を望んでいること。
違約金はもう払われていて、社長も帰ってほしいと言っていたこと。
そして、自分は帰らないと答えたこと。
最後に、いちばん重いことを口にする。
「……妊娠してる」
ルミエールはしばらく黙っていた。
驚いていないわけではない。
でも、まず受け止めようとしている沈黙だった。
やがて静かに問う。
「……それで、どうするの?」
ソレイユは視線を落とす。
少しだけ迷ってから、はっきり言った。
「私は、この子を産む」
ルミエールの表情がわずかに揺れる。
でも否定はしなかった。
しばらくして、静かに言う。
「分かった」
少し間。
「でも、ひとつだけ言っておく」
ソレイユが顔を上げる。
ルミエールはまっすぐ見ていた。
「今の仕事が一段落したら、私は辞めることが決まってるの」
「だから、ずっとあなたのそばにいることはできない」
「この家も、私が出たあとに入る人がもう決まってる」
その言葉は冷たくなかった。
ただ、静かな現実だった。
ソレイユは小さくうなずく。
「……うん」
分かっていた。
でも、こうして言葉にされると重かった。
ルミエールは少しだけ間を置いて、続ける。
「そのうえで、ソレイユがどうしたいか考えて」
ソレイユは何も言えなかった。
もう答えを出したつもりだった。
でも、現実の形に並べられると、まだ足りないものばかりだった。
⸻
翌朝。
出かける前、ルミエールはソレイユを見た。
「私、今から仕事だけど」
少し間。
「一人で大丈夫?」
ソレイユは少しだけ笑った。
「……大丈夫」
ルミエールはその答えをすぐには信じなかった。
でも、出ないわけにはいかなかった。
「無理しないで」
それだけ言って、静かに家を出ていく。
ドアが閉まる。
家の中は、また広く静かになった。
ソレイユはソファに座ったまま、しばらく動かなかった。
本当は大丈夫じゃない。
でも、大丈夫じゃないと誰かに言ったところで、すぐに何かが変わるわけでもなかった。
時間だけが、ゆっくり過ぎていく。
昼前。
スマホが震えた。
ゆうとからだった。
ソレイユの胸が小さく強張る。
開く。
親が話したいって言ってる
オンラインでいい?
しばらく、その文を見つめた。
断りたい気持ちはあった。
でも、断って済む話ではないことも分かっていた。
小さく息を吸って、返信する。
分かった
それだけ打つのに、指先が少し震えた。
しばらくして、通話の通知が入る。
ソレイユは一度だけ目を閉じた。
それから、画面に触れる。
映ったのは、ゆうとと、その両親だった。
ゆうとは端に座っている。
顔色が悪い。
でも一番先に口を開いたのは、母親の方だった。
「今日は時間を取ってくださってありがとうございます」
言葉自体は丁寧だった。
けれど、声は固い。
ソレイユは小さく頭を下げる。
「こちらこそ……」
母親は間を置かずに続けた。
「まず言わせてください」
「息子を誘惑して、ホテルに誘って、SNSに拡散されて、マスコミに囲まれるような事態になったこと」
「うちの息子まで巻き込まれて、学校を休まなきゃいけなくなったこと」
少し間。
「本当に迷惑しています」
ソレイユの喉が詰まる。
何も返せない。
父親が低い声で言う。
「息子の将来を、これ以上めちゃくちゃにしないでほしい」
その言葉はまっすぐだった。
怒鳴っているわけではない。
でも、その分だけ重かった。
「本当にあの子のことが好きなら」
母親が静かに続ける。
「身をひいてくれませんか?」
ソレイユは唇を噛む。
画面の端で、ゆうとが目を伏せていた。
何も言わない。
言えないのだと分かる。
母親はさらに言った。
「それと」
少し間。
「あなたのお兄さんが、手切れ金を置いていきました」
ソレイユの顔が上がる。
父親が続ける。
「あなたは地球人じゃないそうですね」
「しかも宇宙の王女で、婚約者もいると聞きました」
その言葉が部屋の空気を冷たくする。
母親は首を振る。
「そんな立場の方が、うちみたいな普通の家庭の息子と結婚なんてできるはずがないでしょう」
「息子のためにも」
「あなたのためにも」
「お兄さんやお父さん、お母さんのためにも」
少し間。
「帰った方がいいじゃないですか?」
「ご家族も心配しているでしょうに」
ソレイユはしばらく何も言えなかった。
責められている。
でも、全部が全部、間違っているとも言い切れない。
それが余計につらかった。
やがて、ゆっくり口を開く。
「……ご迷惑をかけたことは、お詫びします」
声が少し震える。
それでも、言葉は止めなかった。
「でも」
少し間。
「私は、この子を産みます」
画面の向こうで空気が止まる。
ゆうとの母親が息をのむ。
父親の表情も固くなる。
ソレイユは続けた。
「地球にも残ります」
その一言で、向こうの空気がはっきり変わった。
母親が言う。
「あなた、何を言っているの?」
「地球に残って、どうするんですか?」
父親も続ける。
「芸能界にも戻れないと聞いてますが……」
「生活はどうするんです?」
「現実を分かっていますか?」
言葉が重なる。
「息子は受験生なんですよ」
「これから大学受験があるんです」
少し間。
「あなたは、息子に大学を諦めて働けと言うんですか?」
その言葉に、ソレイユは何も返せなかった。
正直、自分でも分からない。
仕事をどうするのか。
学校をどうするのか。
生活をどう立てるのか。
何一つ、まだ形になっていない。
でも。
「……それでも」
ソレイユは画面を見た。
泣きそうになるのをこらえて、続ける。
「それでも、帰りません」
「この子を、なかったことにするつもりはありません」
向こうでゆうとが小さく顔を上げる。
初めてまっすぐソレイユを見た。
その目は揺れていた。
母親はしばらく黙る。
それから、静かに言った。
「あなたは強いのかもしれない」
「でも、それはうちの息子に背負わせるには重すぎます」
父親も低く続ける。
「今のあの子に、そんな覚悟はありません」
その言葉は残酷だった。
でも嘘ではなかった。
ソレイユには分かってしまった。
今のゆうとには無理だ。
好きとか、責任とか、そういう言葉だけでは越えられないところまで来ている。
沈黙が落ちる。
やがて、ゆうとがようやく声を出した。
「……ごめん」
その一言が、一番痛かった。
ソレイユは何も言えない。
ゆうとは続けようとした。
でも言葉にならなかった。
父親が短く言う。
「今日はこれで失礼します」
通話が切れる。
画面が暗くなる。
部屋の中は、しんと静まり返った。
ソレイユはスマホを握ったまま動かなかった。
責められた。
拒まれた。
正しいことばかりを言われた。
それでも、自分の中の答えだけは変わらなかった。
帰らない。
この子を産む。
その代わり、何を失うのか。
その重さだけが、今はひどくはっきりしていた。
ゆっくりと目を閉じる。
涙は出なかった。
もう泣くところを少し過ぎていた。
静かな部屋の中で、現実だけが重く残っていた。
ゆうとの家族が言ったことは、感情だけではなく現実でした。
だからこそ、ソレイユには重く刺さります。
その答えはまだ出ていないのに、現実だけが先に動き始めていました。




