第106話 朝の光
甘い時間ほど、
終わる時は急にやってくる。
朝。
カーテンの隙間から、明るい光が差し込んでいた。
ソレイユはそれで目を覚ます。
しばらく、頭がぼんやりしていた。
静かで、明るくて、少しだけ落ち着かない。
少しして、隣にゆうとがいることに気づく。
それだけで、胸の奥が少しだけ熱くなった。
ゆうとも目を開ける。
目が合って、ソレイユは少しだけ笑った。
ゆうとも、つられるみたいに笑う。
昨夜は感情のままに泣いたのに、朝になると少しだけ照れくさかった。
でも嫌ではなかった。
むしろ、こんな朝が来るなんて少し前までは思っていなかった。
ゆうとが低く言う。
「……おはよ」
ソレイユは小さく笑う。
「おはよ」
短い言葉なのに、妙にやわらかく聞こえた。
しばらく、二人とも何も言わない。
でも気まずくはない。
静かな部屋に、朝の光だけが満ちている。
ソレイユは少しだけ視線を落とす。
昨夜のことも、SNSで見た言葉も、全部まだ胸の奥に残っていた。
少し間を置いて、ゆうとを見る。
「ねえ」
「ん?」
ソレイユは少しだけ迷ってから言った。
「私、もう子供じゃないよね?」
ゆうとは少し照れたように笑う。
「当たり前だよ」
少し間。
「ソレイユは大人っぽいよ」
さらに小さく続ける。
「ちゃんと、色っぽいし」
その言葉を聞いた瞬間、ソレイユの表情が揺れた。
次の瞬間、ソレイユはゆうとに軽く抱きついた。
ゆうとは少し驚いた。
でもすぐに、その肩を受け止める。
ソレイユは顔を上げる。
それから、触れるだけみたいな軽いキスをした。
その瞬間。
スマホが鳴った。
ソレイユがはっとして体を離す。
画面を見る。
事務所からだった。
一気に現実が戻ってくる。
出ると、慌ただしい声が聞こえた。
「昨日延期になった収録、今日にずれたの」
「急で悪いけど、今から来られる?」
ソレイユは一瞬、言葉を失う。
「……今日?」
「ごめん、急で。でももう押さえ直したから」
「すぐ来てほしい」
ソレイユは立ち上がる。
さっきまでのやわらかい朝が、一気にほどけていく。
「分かりました」
通話を切る。
ソレイユはゆうとを見る。
「ゆうと、ごめん」
「急に仕事入って……もう急いで出なきゃ」
ゆうとは一瞬だけ黙ったあと、小さくうなずく。
「うん」
ソレイユは慌てて支度を始めた。
バッグをつかむ。
髪を整える。
でも気持ちはまだ追いついていない。
ついさっきまで、このままもう少し一緒にいたいと思っていた。
その名残が、まだ体のどこかに残っていた。
ゆうとも立ち上がる。
二人はそのまま、慌ただしく部屋を出た。
昨夜はあんなに慎重だったのに。
別々に入って、時間までずらしたのに。
朝の慌ただしさの中で、その慎重さはもう崩れていた。
⸻
廊下は、チェックアウトする人たちで少し慌ただしかった。
スーツケースを引く音。
開いたり閉まったりする扉。
先では清掃スタッフが、チェックアウトした部屋の片づけに入っている。
そんな朝の流れの中を、ソレイユとゆうとは並んで歩いた。
誰が見ているのか、いちいち気にする余裕はなかった。
その慌ただしさの中で、
部屋を出るところも、
エレベーターを待つところも、
チェックアウトの瞬間も、
いつの間にか誰かのスマホに残されていた。
⸻
ホテルの玄関前まで来て、ソレイユはスマホを握りしめた。
「ごめん、ほんとに急で」
ゆうとは首を振る。
「いいよ」
少し間。
「頑張って」
その言い方がやさしくて、ソレイユは少しだけ笑う。
「ありがとう」
ちょうど空車のタクシーが止まる。
ソレイユは急いで乗り込んだ。
ドアが閉まる直前、窓越しに小さく手を振る。
ゆうとも手を上げる。
その時だった。
ホテルの入り口を出る二人の姿も、明るい朝の光の中で、また別の誰かのスマホに映っていた。
⸻
タクシーが動き出す。
ソレイユは窓の外を見る。
ホテルが少しずつ遠ざかっていく。
胸の奥に、まださっきの空気が残っていた。
でももう切り替えなきゃいけない。
仕事だ。
それだけを考えようとした。
⸻
収録現場に着く。
ソレイユはタクシーを降りると、そのまま急いで中へ入った。
でも、すぐに空気の違いに気づく。
スタッフたちの声が、どこか低い。
目が合うと、すぐにそらされる。
誰かが小さく何かを言って、また黙る。
「……?」
ソレイユが立ち止まる。
その時、マネージャーが早足で近づいてきた。
「ソレイユ、ちょっと来て」
声が固い。
そのまま別室へ連れて行かれる。
ドアが閉まる。
テーブルの上にスマホが置かれていた。
「これ、見て」
マネージャーの声は低かった。
ソレイユは画面を見る。
知らないアカウントの投稿が、いくつも並んでいた。
最初の投稿。
「今日ホテルで見たんだけど、これソレイユじゃない?」
写真は、部屋を出るところだった。
次の投稿。
「さっきエレベーター前で見た」
二枚目は、並んで立つ二人。
さらに別の投稿。
「チェックアウトしてたのソレイユっぽい」
三枚目は、フロントの前。
そしてまた別の投稿。
「ホテルの前にいたんだけど、この子ソレイユ?」
四枚目は、ホテルの入り口を出るところだった。
別々のアカウント。
別々の角度。
それが逆に、逃げ道をなくしていた。
ソレイユの呼吸が止まる。
さらに流れてくる。
「相手、同級生じゃない?」
「ネコノミヤの子じゃない?」
「まだ遊園地とかなら分かるけど、ホテルはないわ」
「高校生でこれはまずいでしょ」
「ノアールは大学生だからまだ分かるけど、ソレイユは違う」
「清純派で子供番組のお姉さんはきつい」
「同じ恋愛でも立場が違いすぎる」
次々に増えていく。
消しても、また出る。
見ないようにしても、通知が震える。
ソレイユはスマホを握りしめた。
指先が冷たくなる。
「……うそ」
小さくつぶやく。
でも画面の中にいるのは、間違いなく自分だった。
夜はあんなに慎重だったのに。
別々に入ったのに。
それでも、朝の少しの油断で全部崩れた。
マネージャーが言う。
「もうかなり回ってる」
「一般人の投稿だから止めきれない」
ソレイユは何も言えない。
画面を見つめたまま動けなかった。
その時、別のスマホが鳴る。
マネージャーが画面を見る。
表情がさらに固くなる。
「事務所に戻るよ」
短く、それだけ言った。
ソレイユはゆっくり顔を上げる。
現場のざわめきが、ドアの向こうからかすかに聞こえていた。
もう遅かった。
やわらかな朝の時間は、急な仕事の連絡で終わりました。
そして二人の慎重さも、朝の慌ただしさの中で少しだけほどけてしまいます。
最初に広がったのは週刊誌ではなく、一般人のSNS。
止める間もなく、噂はもう動き始めていました。




