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第105話 もう帰れない

隠していた気持ちは、

一度あふれると、もう元には戻れない。

雨を避けるように入ったカラオケボックスは、思ったより静かだった。


小さな個室。


明るいモニター。


でも二人とも、すぐには曲を入れなかった。


ソレイユはソファに座ったまま、手の中のスマホを見つめている。


ゆうとは向かいに座り、少しだけ様子を見ていた。


「……何か飲む?」


ソレイユは小さくうなずく。


「なんでもいい」


「じゃあ、それ一番困るやつ」


ゆうとの言い方が少しだけ昔みたいで、ソレイユはかすかに笑った。


でも、それもすぐ消えた。


注文を済ませると、また部屋は静かになる。


外の雨音は、壁の向こうで少し遠く聞こえる。


ゆうとが言う。


「どうした?」


ソレイユはすぐには答えなかった。


視線を落としたまま、スマホをテーブルの上に置く。


画面には、さっき見ていたSNSがまだ残っていた。


ゆうとが気づく。


「まだ見てるの?」


ソレイユは少し笑う。


「見たくないんだけどね」


そう言いながら、画面を指で軽く動かした。


ノアールとレン。


凛と海斗。


雑誌のデートコーデ特集の話題。


ルミエールの講演会を絶賛する投稿。


そのあとに、自分への


『かわいい』

『子供っぽい』


という言葉。


ソレイユは画面を見たまま、小さく言った。


「私って、子供っぽい?」


ゆうとは少し驚いたように顔を上げる。


「は?」


ソレイユは笑おうとした。


でも、うまくいかなかった。


「書いてあったの」


「ルミソラのソレイユって子供っぽいよねって」


ゆうとはすぐに首を振る。


「そんなことないだろ」


ソレイユは俯いたまま言う。


「でも」


「ノアールは大人っぽくて色気があるって書かれてて」


「ルミエールは若いのに大人っぽくて知的だって」


少し間。


「私は、かわいいお姉さん」


「子供っぽい」


その最後の言葉で、声が少しだけ揺れた。


ゆうとは何か言おうとした。


でもその前に、ソレイユの目から涙が落ちた。


「え……」


自分でも驚いたみたいに、ソレイユは目元を押さえる。


「ちょっと」


「待って」


笑おうとする。


でも、もう無理だった。


次々に涙が落ちる。


「ごめん」


「こんなつもりじゃなかったのに」


ゆうとは席を立たない。


近づきすぎもしない。


ただ、困ったように、でも真剣に見ている。


ソレイユは涙を拭きながら、途切れ途切れに言った。


「私」


「ノアールとレンが羨ましい」


その一言が、静かな部屋に落ちた。


ソレイユはもう止められなかった。


「世間に祝福されて」


「堂々とデートして」


「同棲までして」


「いいよね」


涙声のまま続ける。


「私は同じ学校で」


「同じ部活で」


「好きな人がいるのに」


「ゆうとと堂々と二人で歩くこともできない」


「スマホで連絡取るだけ」


「こっそり会うだけ」


少し間。


「最初はそれでもいいって思ってた」


「最初は」


「でも」


息が詰まる。


「やっぱりノアールとか凛を見てると羨ましくて」


「もう気持ちがおさえられなくなってきたの」


ゆうとはじっと聞いていた。


ソレイユは泣きながら笑う。


「凛なんて」


「おしゃれなカフェで海斗と堂々とデートしてるのに」


「私は」


周りを見る。


狭い個室。


閉じたドア。


カラオケの画面だけが光っている。


「こうやって」


「人目を気にしながら、こっそり入らなきゃいけない」


涙を拭く。


でも止まらない。


「私は子供たちのお姉さん」


「清純派」


「そればっかり」


「これ、いつまで続ければいいの?」


少し間。


「もう嫌だよ……」


最後はほとんど泣き声だった。


ゆうとはしばらく黙っていた。


軽い言葉で返せないのが分かったからだ。


やがて低く言う。


「……ごめん」


ソレイユが顔を上げる。


ゆうとは視線を落としたまま続ける。


「俺」


「何もできてない」


ソレイユは首を振る。


「違う」


「ゆうとのせいじゃない」


でも、そう言いながらも苦しかった。


ゆうとがいても、世界は変わらない。


好きでも、隠さなきゃいけない。


その現実が苦しかった。


しばらく沈黙が落ちる。


モニターの画面だけが静かに切り替わる。


ゆうとが言う。


「今日は」


少し間。


「一人で帰したくない」


ソレイユは何も言わなかった。


ただ、また涙を拭く。


外ではまだ雨が降っている。


さっきまでより少しだけ強くなっていた。


ソレイユは小さく息を吐く。


「……帰りたくない」


その言葉は小さかった。


でも、はっきりしていた。


ゆうとはソレイユを見る。


何かを決めるみたいに、少しだけ黙る。


それから低く言った。


「分かった」



店を出ても、雨はまだ止んでいなかった。


二人は少し離れて歩く。


さっきまでの勢いが、外の空気の中で少しだけ静かになる。


駅前の明かり。


傘を打つ雨音。


ソレイユは何も言わない。


ゆうとも何も言わない。


でも、帰る方向ではなかった。


少し歩いて、ホテルの前でソレイユは足を止める。


一度だけ、ゆうとを見る。


ゆうとは何も言わなかった。


ただ、小さくうなずく。


ソレイユは先に中へ入った。


フロントで名前を書く。


取ったのは二人分だった。


でも表情は変えない。


ロビーの明かりは静かで、妙に落ち着いていた。


部屋番号を受け取ると、ソレイユはそのまま先にエレベーターへ向かう。


少し時間を置いて、ゆうとも別に入る。


同じホテル。


でも、別々に。


その慎重さが、かえって今の二人をはっきりさせていた。


部屋の前に着いて、ソレイユは鍵を握ったまま少しだけ止まる。


それから静かに扉を開けた。


もう、帰れなかった。

雨の日のカラオケで、ソレイユはついに抱えていた気持ちをゆうとにぶつけました。


祝福される恋。

隠さなければいけない恋。

同じ“好き”でも、置かれた立場はまったく違います。


そして、帰りたくない夜。

二人は慎重に、それでも同じ場所へ向かうことを選びました。

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