第104話 雨の日
朝から雨が降っていた。
こんな日は、少しだけ気持ちまで重くなる。
朝。
窓の外では、雨が静かに降っていた。
細かい雨音が途切れずに続いている。
それを聞いていると、今日は少しだけ余計に一人みたいだった。
家の中にいるのは、ロボットの執事とメイドだけだった。
正しく動いて、静かに控えている。
それがかえって、人のいないことをはっきりさせていた。
ノアールはもういない。
引っ越してから、リビングは前より広くなったように感じる。
見慣れていたはずの景色なのに、どこか違って見えた。
ルミエールもいない。
企業案件の仕事で、今日は泊まりの出張だった。
「すぐ戻るよ」
そう言っていたけれど、今日は戻らない。
ソレイユはソファにもたれたまま、小さく息を吐いた。
なんだか体まで重かった。
低い空。
雨の音。
そういうものに引っぱられている気もする。
スマホを手に取る。
今日は仕事だった。
だから朝からちゃんと起きたし、髪も整えた。
でも、画面には短い連絡だけが表示されていた。
本日の収録は都合により延期となりました。
ソレイユはしばらくその文を見つめる。
「うそでしょ……」
静かな部屋に、自分の声だけが落ちる。
今日の仕事はなくなった。
でも、急に何をしたらいいのか分からない。
ノアールはレンと一緒。
ルミエールは仕事。
ショコラもブランシュも、それぞれ忙しい。
ソレイユはスマホを握ったまま、しばらく動かなかった。
雨の音が、今日は少しだけ悲しく聞こえる。
昨日まで誰かの気配があった部屋が、こんなに静かだなんて思わなかった。
少しして、ロボットのメイドが静かに近づいてきた。
「お食事をお持ちしますか」
ソレイユは少しだけ顔を上げる。
「……いらない」
ロボットはそれ以上何も言わず、小さく一礼して下がっていった。
それが余計に、部屋の静けさを強くした。
ソレイユはまたスマホを見る。
なんとなくSNSを開いた。
流れてくる投稿に、指が止まる。
「今日、街でノアールとレン見かけた」
「やっぱり理想のカップル」
「ノアールって大人っぽくて色気あるよね」
「レンと並ぶと本当にお似合い」
さらに別の投稿。
「今度の雑誌、凛と海斗も一緒にデートコーデ特集やるらしい」
「ノアールとレン、凛と海斗とか強すぎる」
「発売楽しみ」
「今日たまたま行った店で取材してた」
ソレイユはしばらく画面を見つめる。
一緒に歩いているだけで、祝福される。
恋をしていることが、そのまま“素敵”になる。
小さく息を吐く。
また指を動かす。
今度はルミエールの投稿だった。
「企業向けロボットイベントの講演会すごかった」
「ルミエールって若いのに大人っぽい」
「知識が豊富でほんとすごい」
「美人なのに知的で強い」
ソレイユの視線が少し止まる。
また流す。
そこに、自分の名前が出てきた。
「ソレイユお姉さん今日もかわいい」
「子どもたちに人気なの分かる」
「笑顔がやっぱりいい」
「ルミソラのソレイユって子供っぽいよね」
ソレイユの指が止まる。
「……子供っぽい、か」
小さくつぶやく。
ノアールは大人っぽくて色気がある。
ルミエールは若いのに大人っぽくて知的。
自分は、かわいいお姉さん。
子供っぽい。
そこで止まっている。
ソレイユはスマホを見つめたまま、少しだけ唇を噛んだ。
それから連絡先をなんとなく指で流していく。
そこで止まる。
ゆうと
名前を見た瞬間、少しだけ胸が動いた。
別に、何か大事な用事があるわけじゃない。
ただ、少し話したいと思っただけ。
それだけのはずだった。
でも、指はすぐには動かない。
受験勉強してるかもしれない。
塾かもしれない。
邪魔だったらどうしよう。
ソレイユは一度スマホを伏せる。
少し間。
また手に取る。
「……いいか」
小さくつぶやいて、メッセージ画面を開いた。
今日、時間ある?
送信。
それだけで、少しだけ心臓が速くなる。
ソレイユは画面を見つめたまま動かない。
数秒後。
すぐに返信が来る。
あるよ。どうした?
その文を見て、少しだけ力が抜けた。
打って、消して、また打つ。
ちょっと暇になった
会える?
送信。
また、すぐに返事が来る。
うん。会おうか
ソレイユはスマホを握ったまま、しばらく黙っていた。
胸の奥に、少しだけあたたかいものが戻ってくる。
「……よかった」
小さく言う。
部屋はまだ静かだった。
でも、さっきまでとは少し違っていた。
⸻
夕方。
雨はまだ止んでいなかった。
駅前の歩道には、傘の列が続いている。
ソレイユは帽子を深くかぶり、傘を差して立っていた。
足元で雨粒が小さく跳ねる。
少しして、向こうからゆうとが走ってきた。
黒い傘を差しながら、人を避けるようにこちらへ来る。
ソレイユを見つけると、少しだけ表情がやわらいだ。
「ごめん、待った?」
ソレイユは首を振る。
「ううん」
ゆうとは少し息を整えて笑う。
「急だったから、ちょっとびっくりした」
ソレイユも少し笑う。
「ごめん」
少し間。
「でも……会いたかった」
その言葉に、ゆうとの表情が少しだけ変わる。
雨音が二人のまわりを包む。
駅前は人が多いのに、傘の下だけ少し狭くて静かだった。
ゆうとが周りを見て言う。
「ここ、人多いし」
少し間。
「どっか入る?」
ソレイユは小さくうなずいた。
「うん」
二人は並んで歩き出す。
傘と傘が近づく。
肩が少しだけ近い。
雨はまだ静かに降り続いていた。
朝から雨の日。
静かな部屋の中で、ソレイユが見たのは、それぞれの“進んでいる姿”でした。
祝福される恋。
称賛される知性。
そして、自分に向けられる「かわいいお姉さん」という言葉。
一人でいたくない日に、ソレイユが思い浮かべたのはゆうとでした。




