第16話:光る岩には爆風を!ブラックバイト終了のお知らせ!
朝。まだ日が昇りきらない薄明の中、私はお弁当箱を洗っていた。
水が冷たい。手が、痛い。
昨日、あれだけ洗ったのに、今朝も山積みだ。
目の前には、油のこびりついた容器。どれもぬるぬる、どれも酸っぱい臭い。
でも、早く洗わないとエルさんが困っちゃう。今日のお弁当もこれに詰めないといけないんだから。
「うおおおおおおお!!!!頑張って稼ぎますよ!!!!!ここを抜ければ、また一歩、魔王城に近づけるんです!!!!!」
私は叫ぶように気合を入れて、洗い場にそびえたつお弁当箱に再び向き直る。
私たちは、魔王を倒さなきゃいけないんです。そのためにはお金が必要で、お金のためには働かないといけないんです。わかってるんです!
……でも、たまに、心がちょっとだけ軋むような気がするのは、気のせいでしょうか。
「おい、レリィ。ドルトは?」
洗い場の後ろから声がした。ユートさんが、洗い場の端っこに腰かけていた。
「えっ?配達ですよ!すごいですよね、毎朝あんなに早くから村中を回って、疲れた顔ひとつせず戻ってくるんですから!」
「……それ、戻ってきてねえだろ……」
ユートさんの言葉にハッとする。そういえば、今日はまだドルト兄さんの姿を見ていません。
……でも、配達って、時間がかかるんです!
「大丈夫です!兄さんはも頑張っているんです!私も頑張らないと!!」
私は笑顔を作る。うん、大丈夫。頑張れるぞ、レリィ!
「マチルも、倉庫の様子はどうですか――」
「”57号”……フフフ……かわいいね。あなたは、ひときわ灰色で……みんなと同じ」
「えっ?」
私は倉庫の方に目をやる。そこには、埃まみれの木箱の隅に蹲り、小さなネズミに何かを話しかけているマチルさんの姿があった。
「フフフ……私も……ここにいる……みんなみんな……ネズミと、同レベル……フフフフフ……ッ」
私はゆっくりと視線を厨房に戻す。
私ががんばればいいんです。大丈夫、すぐに稼げますからね!
でも。
昼過ぎ。
「あ、なんか……ヤバいかも……?」
突然、全身の力が抜けた。 手が滑って、スポンジがシンクに落ちる音がした。ぬるま湯が目の前で揺れている。視界が、ぐらぐら揺れる。音が、遠い。
「働かな……くちゃ……」
どこかで、何かがきしむ音がする。 私は、後ろを見た。
あそこに、誰かが立っている。ああ、よかった。ユートさん……頑張っているんですね……。
「……ユート……さん……」
そのまま、私は視界の端が真っ暗になるのを見た。
そして、意識が――ぷつんと、切れた。
***
――昼過ぎのことだった。
あいつが……レリィが、倒れた。
厨房の奥、静かな洗い場。
水が流れ落ちる音と、食器のぶつかる音が続いていた。
そして、そこに――バシャリ、と何かが落ちる音。
目をやると、レリィが膝から崩れ落ちるのが見えた。
そのまま、音を立てて倒れ込む。
彼女の手から滑り落ちたスポンジが、水の中で沈黙している。
エルとかいうバイトの少女が駆け寄る。
彼女の声が、少し震えている。
揺れるランプの光に照らされて、濡れたタオルがレリィの額に置かれる。
あいつら、マジでバカだろ。
クソみたいな労働環境と、どう考えても胡散臭い店主。
騙されやすいにも程がある。
レリィの横に転がる、汚れた弁当箱。
その先、店の奥にある、一枚の扉を見やる。
……もういい……ダルすぎる。
***
――静かな帳簿の音だけが、部屋に響いていた。
分厚い革表紙。ページをめくるたび、かすかに軋む音がする。
ペンの先で数字をなぞり、口の端で小さく笑うその男――名前は、忘れた。
ゆっくりと、扉を開ける。
「……誰だ?」
店主を名乗る、その男が顔を上げる。
そうだ、デスネとかいうふざけた名前だったか。
七三分けが、ムカつく。
「……ああ、君か。何の用だ?」
答える必要もない。
俺は土足で踏み込む。
「君、君の給与は……マイナス12万か。あの娘、本当にいい子だな。毎日毎日、マイナス分を回収するために一生懸命働いて。君、迷惑をかけているのが――」
「知らねえよ」
デスネの口が止まった。
「俺は……『頑張れば報われる』とか、『全力でやればいいことがある』とか……そういうのが嫌いだ。だって無駄だから。まあ、わかると思うけど……」
「何の話だ」
デスネが睨む。
俺は、なんか言いたい気がした。
「何もかもがダルいし……ここ、俺にとっては異世界だけどさ……ここに来ても、全部ダルいだけ……」
そして、少し、笑ってしまう。
「でもさ……頑張れば報われるって……心の底から信じてるバカがいてさ……」
ゆっくりと腰の剣に手をかける。デスネの顔がわずかにこわばる。
「俺が何より嫌いなのは――」
一歩踏み出す。部屋の空気が、じわりと凍る。
「そういうバカを踏みにじる――クズだ」
デスネと目が合う。ひきつった顔をしている。
窓の外を見る。小さな庭に置かれた、ほのかに光る、黒い石。
「そういえば、『テラコステ』だっけ。あの嘘くさい話……」
剣を抜く。刃が、空気を裂く。
デスネの顔が、さらにこわばる。
なんだよ、強いとかやっぱ嘘じゃん。
「ダルい嘘」
剣を振りかぶる。
「――爆炎死獄」
一閃。
剣先から、弾ける光。
光が庭を包む。
黒い岩が、火柱と共に空中に砕け散り、爆風が建物を揺らす。
帳簿がばさりと宙を舞い、男の目が見開かれる。
剣先を、デスネの眉間に向ける。
――これは、ハッタリだ。
俺は――この技を、連続して打てない。
あいつらには、言ってないけど……。
でも。
「ひ、ひいっ……ま、待て、話せば分かる!そ、そうだ、テラコステは嘘だ!あのガキが何でも信じるから……!」
「で?」
「利息も……利息も、単なる拘束手段だ!“働かせ続ける”仕組み……私が言っているだけで、法的には拘束力のない――払う義務なんて、ない!」
「……」
この噓つきのクズには、これで十分だ。
***
店の前で、風が吹いていた。
夕暮れの空が少しずつ赤く染まり、厨房の油の匂いがかすかに混じった風が、頬を撫でる。
私が寝ていた間に――何かが、あったような気がした。
「本当に……申し訳なかった……!すまなかった!!これはその、ささやかな、いや、当然の報酬ということで……!!」
頭をほぼ90度、下に向けて――デスネさんが、私たちの前に布袋を差し出してきた。
「えっ、えっ……!? なんで急に!? えっ!? 何があったんですか!? お金!? えっ!?!?!?」
状況が飲み込めません!!!
私たちの頑張りがついに認められたんでしょうか!?
でも、なんで急に!?
「……やっぱり世界は……崩壊してる……」
マチルがすっと目を伏せながら呟く。
何が!?何から崩壊を感じ取ったんですか、マチル!!
「え?いや、まあ、もらえるならもらっとこうぜ」
兄さんがいつもの調子で肩をすくめながら布袋をひったくる。すごい自然にポケットに詰めてる!
あ、でもちょっと待ってください、それみんなの報酬では!?
「……???」
エルさんも困惑した表情で、店主と私たちを交互に見ている。
大丈夫ですエルさん、私もです。
そして、ユートさんは。
少しだけこちらから顔を背けて、何も言わない。
でも、その背中が、どこか――いつもより頼もしく見えた、ような気がしました。
***
翌朝。私たちはついに、この労働地獄から解放され、再び旅路へと戻ることになりました。
「エルさん!ゼクさん!ありがとうございました!それでは!!」
私たちの出発を見送るために、食堂の前まで来てくれたエルさんとゼクさん。
二人もこの後、自分たちの故郷の西の村へ帰るそうです。
エルさんは目を潤ませながら笑顔を作り、ゼクさんは無言のまま、帽子の端に手をかけた。
「エルさん、頑張ってくださいね!あと!私たちが魔王を倒すので、えっと……タラコスキ?とかいう魔物も、きっと大丈夫ですよ!」
「うん、ありがとう、レリィ……!でも、デスネさんがテラコステ、壊滅させたみたいなの!だから……もう、大丈夫!」
小さな体をぺこりと折って頭を下げるエルさん。
ゼクさんも静かに頷いた。
「じゃあ、行きましょう、皆さん!次の町へ!そして近づきましょう!魔王城へ!!」
私は杖を掲げて、元気よく宣言する。
オロシ村を目指してあの食堂から遠ざかる、乾いた空気と、広がる大地。
そのとき、後ろで足音が。
「……ありがとうな」
振り返ると、ゼクさんがユートさんの背中に向けて、ぽつりとひとことだけ言った。
ユートさんは、無言で――微笑んだ。
風が吹いた。旅が、また始まる。
私たちは最高です。
私たち、絶対に魔王を倒せます!!
「打倒魔王パーティ、出発です!!!」
次回→第17話:到着しましたオロシ村!誰もいない……って、そんなわけありませんよね!
6月20日(金)朝更新!




