第13話:絶品バス鍋いただきます!こんな小さな食堂が怪しいはずありません!
太陽が私たちのてっぺんに着いた頃。
オロシ村は、まだまだ遠い。
風がきれいで、空気が澄んでいる。
「皆さん!見てください!あそこ!」
私が指を差したのは、村の一番奥。
ちょっとした丘の上に、ぽつんと立つ建物。木造で、壁はあちこち剥がれていて、屋根には草が生えている。
でも、漂ってくるのは――。
「すっごく、いい匂い……!あれはきっと、食堂です!」
背中を見る。たくさんのダークネスバス。オロシ村に着くまで待っていたら、腐ってしまうところでした。
こんな所にちょうどよく食堂があるなんて!
タレの甘辛い香りと、煮込まれた出汁の上品な香りが漂ってくる。
お腹が、ぐぅと鳴った。
「絶対おいしいやつですよ!この匂いはプロの匂いです!」
「腹減った……苦くないなら何でもいい……」
「座りたい……」
「何でも食うぞ俺は!」
玄関を開けると、カラカラと鈴が鳴る。観葉植物がちょこんと置かれていて、アットホームでいい雰囲気!
入ると、にこやかな笑顔の男の店員さんが中から現れる。髪はぴっちりと七三分けで、シミ一つない真っ白なコック服を着ている。
「ようこそいらっしゃいました!ああ、お魚お持ち込みですか?もちろん大丈夫ですよ!どうぞどうぞ!」
ダークネスバスを引き渡すと、店員さんは私たちをテーブル席へと案内してくれた。
「それで、調理方法はいかがなさいますか?」
「おまかせでお願いします!」
店員さんに元気よくお願いし、私たちはテーブルに座る。
いったいどんな料理が届くんでしょうか?
「くううっ!楽しみすぎます!」
***
ほどなくして――厨房の奥から、ふわりと立ちのぼる香ばしい香り。
「お待たせしました、こちら――お鍋になります!」
店員さんが笑顔で運んできたのは、大きな土鍋。
「それではごゆっくり。お会計のタイミングで伝票をお持ちしますね」
店員さんの後ろ姿を見届けつつ、土鍋の蓋をそっと開けると――濃厚な香りが、湯気と共に広がる。
「わぁ……!」
金色に透き通ったスープの中に、引き締まった白身。
繊細に刻まれた香草、軽く炙られた皮目。切り身は分厚く、しかし丁寧に包丁が入っていて、湯の中でふわりと花のように開いている。
野菜もたっぷり入っていて、湯気と香りだけでお腹が鳴る。
「ぜ、絶対に美味しいやつです!!!」
私は割り箸を握りしめ、目を輝かせた。
「それじゃ――遠慮なく!まずはスープから……!」
レンゲで一口――。
「っ……!!」
魚の旨みが凝縮された黄金のスープ。
強靭な筋繊維から染み出した出汁は、厚みと力強さがありながらも、雑味がまったくない。
舌の上を滑るスープのなめらかさ。淡白さと力強さが同居した奇跡のバランス。
「これ……っ!おいしすぎます!!!」
「……うま……」
ユートさんがぽつりとつぶやいた。
いつもの無表情のままだが、レンゲを持つ手が止まらない。
「これ……生命の味……」
マチルさんは目を細め、スープの表面をじっと見つめながら一口飲み――身体をびくんと震わせた。
「……これは罪……」
「くぅぅぅぅぅぅッ!!!これもう鍋じゃねえ!!!神の創造物だ!!!」
兄さんが魚の切り身を頬張って、目を見開いたまま叫んだ。
「もう!落ち着いて食べてください!」
「いやいや、無理だろこれは!!レリィ見ろよこれ!身がぷりっぷりだぞ!?しかも皮目の焼き加減が絶妙すぎんだろ!!」
「……うまいな……」
ユートさんがまたひとくち、そしてまたひとくち。顔は無表情のままだが、確実に箸が止まらない。
「これはもう鍋じゃないです……!戦っていた相手が、今、私たちの胃袋に栄光の凱旋を果たしているッッ!!」
私も魚の身を口に運びながら、胸を張る。
ああ、やっぱり私たちは最強パーティです!
***
鍋を平らげた頃には、空はすっかり夕焼け色。テーブルの上には空になった皿と、幸せなため息が溢れていた。
「はぁぁぁぁ~~……生きててよかった……」
兄さんが椅子の背にもたれて、天を仰ぐ。
「……まあ、悪くなかった」
ユートさんも、珍しく満足そうに箸をかちゃりと置く。
「罪深い……もう一度、あの味に触れたら……私はきっと戻れない……」
マチルが陶酔の表情で空の鍋を見つめている。うん、満場一致で大成功ですね!
「じゃあ、お会計お願いしましょう!」
私は席を立ち、にこやかに手を挙げた。
「はいは~い、お待たせしましたぁ!」
再び現れたのは、あの笑顔の従業員さん。例の七三分けがピシリと決まっている。
「それでは……お会計が、こちらになります!」
――ドン。
木の盆に置かれた伝票。
私はその数字を見て、最初意味が分からなかった。
「……えっ?」
思わず、伝票を二度見、三度見。
「……いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん……にじゅういちまん?」
「は?桁数え間違えてね?」
「何この数字……何を食べたらこんな金額になるの……?」
マチルが青ざめた声で呟き、ユートさんが無表情のまま吐き捨てる。
「詐欺だろ……」
その言葉に、にこやかだった従業員の顔が――すぅっと変わる。
「は?……今、何と」
声のトーンが一段、低くなる。
「お客様、こちら――正規のご請求ですが」
「ど、どこにそんな説明が……!」
私は必死に伝票をめくる。そこには、小さな文字でびっしりと。
〈材料費:69,800シル〉
〈特別食材持ち込み調理料:38,000シル〉
〈外来種処理に関わる届出手数料:9,200シル〉
〈解毒処理料:12,000シル〉
〈営業補償料:8,000シル〉
〈魚持ち込み料:5,000シル〉
〈旅人応援料:7,500シル〉
〈週末料:13,200シル〉
〈席料・サービス料その他:52,000シル〉
〈計:214,700シル〉
「ふざけてるだろ……」
ユートさんは呆れて天井を向く。
「どこにそんなことが書いてあるってんだよ!」
兄さんが詰め寄る。
「入口に掲示しております。確認なさってないのならば――お客様自身の落ち度です。いかなる文句も――申し遅れました、この店主、デスネは――受け付けない」
店員さん――いや、店主は、表情筋をぴくりとも動かさず、どこまでも冷たい目でこちらを見つめる。
私たちは入口まで戻って、掲示を確認する。
「……これ?」
ちょこんと置かれた、観葉植物の陰。壁の角に、ハガキサイズの紙が貼られていた。
文字はほとんど潰れていて、よく見ないと読めない。いや、見ても読めない。
「終わりよ……やっぱり……世界って、腐ってる……」
マチルが呟く。
「どうしましょう!!こんな大金払えません!!」
私が振り向くと、店主の顔が――にやり、と歪んだ。
「では……働いて払ってもらうしかないな」
「えっ……」
店主が差し出したのは、「労働契約書」。どう見ても、最初から準備していたような手際。
「厨房で働いてもらう。さあ、サインを」
「ちょ、ちょっと待ってください!そんな……」
「断る権利があるとでも?」
背後でドアがカチャリと閉まり、音もなく鍵がかかる。
「……」
たしかに、こんな大金、払えません……。
「わかりました……。働いて、払います……」
私は、唇を噛む。肩が震える。
魔王を倒しに行かなきゃならないのに。
21万シルなんて、返すのにどれだけ働かなきゃいけないんだろう。1ヵ月は、足止めを喰らうかもしれない。
でも、仕方ない。だって払えないんだから。入口の表示を確認しなかった私たちが悪い。
「バカだろ……」
「えぇ!?コイツぶっ飛ばして逃げようぜ普通に!!」
「……もうこの国……終わってる……」
皆は、口々にそう言う。
でも。
「逃げちゃダメなんです!これは私たちが頼んだご飯ですから!」
「お前マジで言ってる……?」
「働きましょう!さあ皆さん、厨房へ!大丈夫、4人で働けばきっとすぐです……!」
私は前を向く。大丈夫、泣きません。大丈夫……!
こうして、私たちは裏口から厨房へと通された。
厨房の壁は油で黒く変色し、床はぬめっていた。
窓の外から聞こえる鳥の鳴き声が、別世界みたいに感じた。
でも、空気だけは――さっきの鍋のいい香りが、漂っている。
「さあ、こちらが今日から君たちの職場だ」
そう言って店主は、何かのクズがこびりついた作業台を指さす。
「当店はね、地元の会社さんに弁当を大量供給していてね。君たちにはその調理と配達をお願いする。ここらへんの皆さんのために大切な仕事だ――」
壁際には、大量の弁当箱が山のように積まれていて、端には、まだ洗っていない前日分の容器がいくつも転がっている。
「うっ……」
マチルの顔が真っ青だ。
「さっきの鍋……はうまかったんだけどな」
兄さんが苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
そして、ユートさんは何も言わなかった。ただ、厨房全体を見渡してから、ひときわ長いため息をついた。
大丈夫です。真面目に働けば、21万シルなんて、きっとすぐです。
頑張れば、ちゃんと前に進めます――!
次回→第14話:バイトの日々!大丈夫、私たちは社会不適合者じゃありません!
6月13日(金)夜更新!




