『ショッピングカートの自画像』
品物を選ぶという行為は、かつては「所有」をめざすための儀式だった。靴屋に並ぶ革靴の前で、自分の足を測り、鏡に映した足首の形を眺め、やっとひとつを選び取る。選び終えたときには、靴ではなく「自分自身」に何かしらの輪郭が与えられたような気さえした。
ところが、現代のネットショッピングは、選ぶという行為そのものを逆転させてしまった。
商品が並ぶのは、もはや店舗の棚ではなく、個人の端末の画面上だ。指先ひとつの動きだけで、無限の品物たちがスクロールし、自動的に「好みに合いそうな」選択肢を並べ直してくれる。選んでいるつもりの手は、実のところ、あらかじめ整列させられた順番をなぞっているだけだ。
選択の自由とは、かくも薄っぺらく、あらかじめ誰かにデザインされていたものだった。自由を味わうほどに、自由は剥げ落ち、最後に残るのは、自分が何を欲しがっていたのかさえ曖昧な輪郭のない「自分」である。
箱を開けて品物を取り出す瞬間、かつてならば手に入るのは「もの」だった。しかし今は、荷物の梱包を破るたび、静かに「自分の不在」を確かめる儀式が始まっている。
欲しかったのは、靴ではなく、選んだ自分自身だったのかもしれない。けれど、選ばれたのは、いつも品物のほうだった。