表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/46

『翻訳不能な日常』



翻訳という行為には、いつも違和感がつきまとう。言葉を別の言葉に置き換えるたび、意味はまるで体温を奪われた動物のように、そこに横たわる。ぴくりとも動かない。


昔は、翻訳とは時間をかけた手作業だった。

分厚い辞書のページをめくり、見慣れない単語に付箋(ふせん)を貼り、試行錯誤の末にたどり着いた訳文には、どこか訳者の体臭が染み込んでいた。ところが今では、ポケットの中の小さな機械が、一瞬で言葉の皮を()ぎ取り、別の国の言葉に着替えさせる。


それが翻訳アプリというやつだ。


便利だと人は言う。

たしかに、表面的には伝わる。国境はスマホの画面一枚分の厚みにまで縮み、旅行者は片言すら学ばず、異国のメニューを指差すだけで「理解した気分」になる。


だが、不思議なことに「伝わった気分」が蔓延(まんえん)するほど、街には誤解が増えていく。正しく訳されたはずの言葉が、どこか人間同士の間で微妙にズレて響く。そのズレは、たいてい無視され、笑って流され、やがて忘れられる。しかし、積もり積もれば、地層のように社会の奥底で不協和音を鳴らす。


言葉を変換しているのではなく、むしろ言葉が「薄まっている」だけなのではないか。


翻訳アプリが進化するたび、言葉はますます正確になり、人間はますます誤解する。


本当に翻訳すべきものは、単語の意味ではない。

言葉の背後でうごめく、無数の「前提」だ。

文化、習慣、皮肉、沈黙、表情、間合い、記憶――そうした背景を取り除いてしまえば、どんな翻訳もただの抜け殻にすぎない。


ポケットの中のアプリは、言葉の死骸をきれいに並べるのが得意だ。けれど、生きた会話は、きっとどこかで「誤訳」されたまま、世界を漂っている。


そして今日もまた、翻訳不能な日常が、静かに人間たちの間をすり抜けていく。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
安部公房 箱男 KoboAbe AI ChatGPT
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ