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『現代を歩く、安部公房』ChatGPTで甦るバーチャル安部公房から見た現代のスナップショット。  作者: エンゲブラ


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『GPSと迷子の権利』

最近、スマートフォンなるものを持たされた。持たされたというのは誇張かもしれないが、半ば押しつけられるようなかたちで、僕のポケットに住みついている。無言で、だが執拗にこちらを監視している生き物のようなやつだ。


この装置は、どうやら僕が今どこにいるのかを、常に正確に把握しているらしい。しかも、世界中のあらゆる場所で、それが可能なのだという。ボタン一つで「自分の居場所」が、地図という名の虚構の上にピン留めされる。気味が悪い。気味が悪いのに、なぜか安心してしまう自分がいるのが、もっと気味が悪い。


昔はよく迷子になった。見慣れた路地で急に方向感覚を失い、気がつけば知らない商店街の真ん中に立っていたりした。そのときの心細さと高揚感が入り混じった感じが、僕は嫌いではなかった。あの不安定さは、まるで自分という存在の境界線が溶けて、風景と混ざり合っていくような快感だった。


けれど今や、僕は迷子になることができない。スマホは、迷うことを許してくれない。どんなに複雑な路地裏に入り込んでも、画面には「現在地」が表示されている。その赤い点が「お前はここだ」と宣言している。


だが、僕は本当に「ここ」にいるのだろうか?


赤い点が示す場所と、僕の皮膚が感じるこの湿った空気とのあいだには、わずかなズレがあるように思える。むしろ、赤い点のほうが“僕”になりつつあって、こっちはただの容器になってきているような気がするのだ。


迷子になれない世界で、人間はどうやって“失われる”ことができるのだろう。失われる自由がなくなったとき、僕たちはどこにいくのか。


スマートフォンは今日も充電され、僕の存在を冷静に監視している。電源を切ってみようかと思ったが、ふと、それが「死んだふり」にすぎないような気がして、やめた。

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安部公房 箱男 KoboAbe AI ChatGPT
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