『実在のかくれんぼ』
人間がこの世で最後に「実在」を信じたのは、いつ頃だっただろうか。
近所のスーパーで買ったトマトの赤さが本物かどうかも、すでに判別できない時代になって久しい。スマホの画面の向こうで、誰かが昼食の写真をアップロードする。だがその昼食が、果たして胃袋へ到達した証拠は、どこにもない。
実在は、日々、虚構の衣装を着せられていく。
テレビは言葉を流し、SNSは感情を量産し、AIは文章を供給する。現実とは、そうした「供給元の不在」によって裏打ちされている。まるでコピー機の故障で、原本のないまま増殖するチラシのように。
では、いったい実在は、どこに行ってしまったのだろう。
ガラス越しのショーウィンドウ。ネットのバナー広告。夢の中。実在は「在る」ということ自体を拒否し、観測の網目をすり抜ける。捕まえたつもりの実在は、いつも既に手遅れだ。
まるで子供の頃の「かくれんぼ」のように、隠れているのは実在のほうで、鬼は我々なのだ。だがこのゲームには、タイムリミットがない。誰も「見つけた」と叫ぶことなく、永遠に、探すふりをし続けるのが現代人の仕事になった。
もしかすると、虚構こそが唯一の実在かもしれない。そう考えると、安堵する自分がいた。実在とは、案外、最初から自分の中にはなかったのだ。




