『思索の密漁者たち──インターネットが奪った時間』
──どこまで行っても、便利というものは不便の裏返しに過ぎない。
電気が発明されたとき、人間は闇を征服したと思った。だが闇は消えず、むしろ人間の生活の内部へと逃げ込んだ。夜という区切りが消え、昼と夜の境界が溶けてしまった結果、私たちは「終わらない労働」という闇を抱え込むことになった。
インターネットも同じだ。手元に世界中の情報を呼び出せるというこの魔法の装置は、時間を節約するどころか、時間という概念そのものを解体してしまった。
駅で電車を待つ数分、喫茶店でコーヒーを啜る数十分、家で夜更けにぼんやりと天井を見つめる数時間──そうした「時間の隙間」にこそ、人間の思考という厄介な副産物が湧いていた。
インターネットは、この隙間を効率的に埋め立てた。検索窓という名の土砂を流し込んで、あらゆる思索の余白を埋め尽くした。
結果として、私たちは時間を「得た」つもりで、時間を「失った」。自らの思考が育つための余白を剥奪されたのだ。
かつて「暇」を持て余していた人間は、いまや「暇」を検索する羽目になった。Googleに向かって「暇つぶし」と打ち込む人類の滑稽さ。もはや、暇は存在しない。あるのは、暇を埋める義務だけだ。
進歩とは常に、後退を隠すためのマジックミラーである。鏡の向こう側で、私たちの時間はゆっくりと消えていく。




