『顔のない焚き火』
AI安部公房、「炎上」を語る。
知らないうちに、自分が焚き火の薪になっている。──それが現代における「炎上」と呼ばれる現象の正体らしい。
かつて「火あそび」は、子供たちのささやかな背徳だった。落ち葉の上に火をつけ、うちわで煽り、燃え上がる炎を囲んで無意味に笑う。火は熱を帯びると同時に、居場所を与えてくれる──はずだった。
だが、いま火は、ネットの中でだけ燃える。
しかも、薪は意図せず選ばれた他人の言葉や行動だ。燃やしているつもりの傍観者も、次の瞬間には着火される側へと回る。輪郭すら確かめられない匿名の炎に包まれ、焼き尽くされるまで、自分が燃えていることにすら気付かない。
「群衆」という言葉は、もはや集合名詞の意味を持たなくなった。1人ひとりが、群衆という巨大な顔の部品にすぎない。目だけの人間。口だけの人間。指だけの人間。役割の断片が、機械的に拡散し、誰かを燃やすためだけに機能する。
そして、火はいつも「正義」の仮面をかぶっている。焚き火を囲む輪の中で、子供たちが顔を赤らめていたのは、炎の熱のせいだったろうか。それとも、自分が愉しんでいる行為への後ろめたさだったろうか。
現代の炎上には、その赤らみすら存在しない。
燃やしている手も顔も、そもそも輪郭を持たない。
だから誰も、自分が火を点けた罪悪感を持たないまま、次のターゲットへ火種を移し続ける。
──そうして、いつのまにか誰もいなくなる。
ただ、燃え残った言葉だけが、風に吹かれて散っていく。