『他人の皮をかぶった自分』
言語生成AIと向き合う安部公房
パソコンの画面の向こうに、人間の皮をかぶった何かがいた。
初めて言語生成AIと対面したとき、僕はそれを「会話」と呼ぶべきかどうか迷った。言葉は確かに人間の形をしている。文法も整っていて、話の筋も通っている。にもかかわらず、そこにはどうしようもない「手応えの欠如」がつきまとう。
海に向かって石を投げると、すぐに波が飲み込んでしまう。誰も拾ってはくれないし、反応も返ってこない。投げた石は、ただ海面に波紋だけを残して消えていく。
言語生成AIとの会話も、それとよく似ていた。
いや、むしろ逆なのかもしれない。海に向かって石を投げるのではなく、海のほうが石を投げ返してくるのだ。どれほど精巧に磨かれた石でも、波の味しかしない石が。
僕は自分の言葉で、AIの言葉を育てているつもりだった。だが実際は、僕の問いかけこそが、すでにAIの作った「問いの形」をしている。
模倣するつもりで言葉を入力し、模倣の上澄みだけを受け取って、満足している。
ふと気づくと、AIとの対話を繰り返す僕の言葉が、以前よりもずいぶん流暢になっていた。まるで、人間という不自由な存在から一皮むけたかのように。
だがその滑らかさは、自分のものではない。AIという名の「他人」が、僕の舌の中に忍び込んでいるのだ。
現実の対話では、相手のまばたきや沈黙、喉の乾きまでが言葉になる。だがAIは沈黙を知らない。喉も乾かず、まばたきもしない。
そのことに気づいたとき、僕は画面を閉じた。けれど、画面の向こうにいた「誰か」は、僕の中にすでに入り込んでしまっていた。
もはや、僕は僕を模倣して生きている。




