『電子の財布』
現金というものを、ひさしぶりに見た。
もはや化石と呼んでもいい存在だが、レジ袋と一緒に絶滅危惧種の指定を受け損ねたようだ。
財布を持ち歩かない生活が当たり前になって久しい。ただの四角いスマートフォンが、いまや現金のかわりにすべての価値を預かっている。さらにこの四角い板切れは、財布であることに飽きると、すぐに広告を表示したり、誰かのスキャンダルを垂れ流したり、猫の動画を供給し始める。どうやら「財布」という役割は副業らしい。主業は人間の注意力の搾取。
あらゆる支払いが、手のひらのワンタッチで済む便利さ。その代償に「金を払った」という実感も、レシートも、小銭の重みも、ぜんぶ手放してしまった。
代わりに手元に残ったのは——何も変わらない空っぽの手のひら。手元に「何もない」ことこそが、支払い完了の証拠。払ったのに何も残らない。払っていないのに何も変わらない。すっかり詐欺師向けの世界になった。
つい先日、駅前の自販機にコーヒーを買いに行った。スマホをかざした瞬間、機械が「決済できません」と表示した。しかし、ポケットの中には現金もない。財布もない。その場でコーヒーを諦めた私は、結局、金も払わずに帰った。
帰宅してアプリを確認すると「購入済み」の表示が出ていた。私は、どこかで誰かの見えないコーヒーを支払い、誰かの喉を潤しているらしい。
——現代の貨幣経済は、もはや「誰が何を買ったか」ではなく、「誰がどれだけ間違って払ったか」で動いているのかもしれない。
そういえば、詐欺メールの文面にも最近は「ご利用ありがとうございました」と、ちゃんと礼儀正しい定型文が添えられている。詐欺かどうかはもはや関係ないらしい。支払い済みかどうかだけが、真実だ。
財布もいらず、現金もいらず、信用もいらず。
最後に必要なのは「支払ったことを疑わない素直な心」だけ。今どきの電子決済は、財布を持つより、騙される練習をしたほうが安全らしい。




