『逆行する観客』―― 映画『TENET』を鑑賞した日。
今日の現実は、昨日より少しだけ逆方向に進んでいる気がした。
映画館で『TENET』という映画を観た。タイムマシンのない時間旅行。時間を遡る弾丸、時間を遡る車、時間を遡る人間。なるほど、時間はいつも僕らの前後に転がっているだけで、時計の針が進んでいるというのは、単なる共同幻想だったのかもしれない。
映画の中では、未来からの信号が現在に逆流し、過去を支配していた。現実だって似たようなものだ。未来の退屈が、過去を塗り替えていく。「楽しかった思い出」なんてものも、実は未来の期待に合わせて、いちいち書き換えられているのだろう。
そう考えると、記憶というものの扱いは随分と便利だ。人間が体験するのは一方通行の時間だが、思い出すときにはいつだって逆再生が可能だ。しかも、編集も自由自在。削除も上書き保存も、クリックひとつだ。
記憶は人間に許された唯一の逆行エンジンらしい。映画館を出たあと、道に落ちていたガムの包み紙を見て、少し考えた。拾って、包み直せば、ガムは再び未使用品になる。過去を修復するとは、結局そういうことなのかもしれない。
時間を逆に歩ける世界なら、終わりから始まりへ向かって生きる人間も、案外いるのだろう。いや、すでにこの世界にも、そういう人間はまぎれているのかもしれない。きっと彼らは、生まれたばかりの老人として、いつか赤ん坊の姿でこの世を去るのだろう。
考えれば考えるほど、世界は編集ミスだらけの映画のようだ。観客席に座っている僕らが、スクリーンを眺めているつもりで、いつの間にか逆側から眺められている。誰に? 未来の僕自身に。
煙草に火をつける。火はマッチの先端から逆流して、木片の中に戻っていった。少しだけ、映画の影響を受けすぎているらしい。まあいい。人間の現実感なんてものは、もともと後付けのものだ。さっさと寝てしまえば、明日の自分が編集しなおしてくれるだろう。今夜の出来事も。
それにしても、映画というものは便利だ。
現実の不自然さに慣れるための予行練習ともなるのだから。




