異域の鬼となる
「アストラダムに繁栄と祝福を」
次にやってきたガレッティ侯爵夫妻の挨拶を受けて、シュリーはフロランタナ公爵に向けたのと同じ微笑を浮かべた。
「お会いできて光栄でしてよ」
「国王陛下並びに王妃殿下、ご婚姻おめでとうございます」
侯爵夫人の祝いの言葉を受けて、シュリーが穏やかな目を向ける。
「ありがとう。私はこの国の王妃としてまだまだ知るべきことが沢山ありますわ。至らぬところがあればどうか助けて頂戴。お話は変わりますけれど、夫人のお召しになっているドレスの刺繍は、もしかして蝙蝠かしら。とっても素敵ね」
シュリーにドレスを褒められた侯爵夫人は、その瞳を輝かせた。
「まあ! やはり、王妃殿下にはお分かりになりまして? この蝙蝠は、釧では幸福の象徴と伺いましたの。王妃殿下への初めての拝謁ですから、職人に無理を言って作らせたのですわ。実は私、釧の調度やファッションに興味がございまして、王妃殿下にお会いできるのを心待ちにしておりました」
熱心な侯爵夫人にシュリーは内心でほくそ笑む。
「それは嬉しいわ。私の祖国はこの国ではあまり歓迎されていないようでしたから」
先程の公爵や、その他の貴族達を皮肉ったシュリーを見て、侯爵の目線が変わる。改めて、シュリーがお飾りなばかりの姫君ではないと認識したのだ。
「とんでもございませんわ! 釧のシルクや陶磁器は、今やこの国でなくてはならない貴族の憧れの一つです。素晴らしい品を作り出す釧を貶めるような者がいるなど、信じられません。我が家にも、それは見事な青い花模様の陶磁器がございますのよ」
どうやら釧にかぶれているらしい夫人に向けて、シュリーは優しげに微笑んだ。
「藍花ですわね。実は釧の皇宮で使われているような一級品は、滅多に国外に出回らないのですわ。西洋に出回るものは、西洋用に作り分けされているものが多いのです。侯爵家にどのような逸品があるのか、是非見てみたいわ」
「そうなのですか? 釧の皇帝陛下に献上されるような特上品とは、とても興味があります。王妃様、どうか改めて、釧のお話を伺いたいですわ。私のお茶会にご参加頂けませんこと?」
「勿論です。とても楽しみにしておりましてよ」
和やかな雰囲気で話が進む妻達とは別に、レイモンドと侯爵は堅苦しい挨拶を交わすだけで終わった。
「では、陛下。我々は失礼致します」
「ああ。感謝する、侯爵。今後とも宜しく頼む」
「アストラダムの繁栄の為ならば、喜んでこの身を捧げましょう」
「王妃様。お約束ですわよ。招待状を送らせて頂きますわ」
「ええ、お待ちしておりますわ」
フロランタナ公爵夫妻よりも長い時間を使って国王夫妻と挨拶を交わしたガレッティ侯爵夫妻は、朗らかな夫人の笑顔を残してその場を去った。
「あー……、シュリー。彼等はいったい、どうしたのだ?」
貴族達の挨拶がひと段落したところで、レイモンドは引き気味に妻に問い掛けた。
「さあ。私には分かり兼ねますわ」
二人の目線の先には、シュリーを見て号泣している釧の使節団がいた。
国王夫妻の挨拶が終わったことを確認したのか、彼等はいそいそとシュリーの前に並んだかと思うと、揃いも揃って跪き、両手を組んで前に掲げた。
昨日、偉そうに釧の婚姻の文化について怒声を上げていた一番高位と思われる者が、異国語でシュリーに向かい切実に何かを訴える。シュリーは毅然とした態度で何かを答え、壮麗な笑みを浮かべた。
何だ何だ、と貴族達の好奇の目線が刺さる中。釧の使節団は、揃いも揃って声を上げて泣き出した。まるで子供のように号泣する異国人達に、周囲はドン引きだった。
「王妃、如何したのだ?」
戸惑いながらレイモンドが問い掛けると、シュリーはここぞとばかりによく通る鈴の音のような声を張り上げた。
「この者達は、私との別れが惜しいようです。釧からこの国まで遥か遠い道のりを、送り届けてくれた彼等に最後の別れを告げたのですわ。私も感慨深い想いですが、これからはアストラダムの王妃として生きていくと、この国に骨を埋め決して釧には帰らぬと、彼等に宣言しましたの」
異国に嫁ぐ姫と、別れを惜しみ泣く家臣達。それはある意味では感動的な場面なのかもしれない。しかし、それにしては釧の者達の様子が悲惨過ぎる。
どうもおかしい、とレイモンドは思った。と言うのもレイモンドは、昨日の婚姻式や初夜までの間、彼等がシュリーをぞんざいに扱っている印象を持っていたのだ。
それが突然、別れを惜しんで号泣とは、どういうわけだろうか。
しかし、訝しむレイモンドとは裏腹に、それを聞いていた貴族達は感嘆していた。
「王妃殿下は、釧でとても慕われていたお方なのね」
「あんなに悲痛に別れを惜しむとは、祖国でとても愛されていた姫君なのだろう」
「我が国の王妃となる為に言語も習得されたなんて、素晴らしいお方だわ」
釧人が泣けば泣くほど、釧という国へ残念な目が向けられるが、シュリー個人への評価は上がっていった。
「シュリー、本当に大丈夫なのか?」
小声で問い掛けたレイモンドに向けて、シュリーは口元を隠しながら微笑んだ。
「問題ありませんわ。彼等は学んだだけですのよ。贈り物を届ける時は、よくよくその中身を確認すべきだと。とても良い教訓になりましたでしょうね」
「それは……それも釧の格言か何かか?」
「うふふ、はい。そんなところですわ」
こうしてレイモンド国王の妻、セリカ王妃は鮮烈な社交界デビューを果たした。
異邦人の王妃を誰もが蔑もうとする中、現れた王妃は息を呑むほど美しく、洗練されており、容姿、ファッション、マナー、教養まで全てに秀でて完璧だった。
更には家臣から泣いて別れを惜しまれる程慕われる姫であり、婚姻したばかりの国王に献身的に寄り添う様は、そこに愛があるようにすら錯覚する程に好ましいものだった。
歓迎されていない雰囲気から一転、好感度を突き抜けさせた王妃は、居並ぶ貴族達に強烈な印象を残した。
この夜会を機に、もともとシルクや陶磁器といった釧製品への関心が高まっていたアストラダム社交界は、一気に釧ブームに突入することになるのだが、これもまたシュリーの策略だとレイモンドが知るのはもう少し先のことである。