レイモンドの秘密
※コメディです
かつて西洋の小国の一つにすぎなかったアストラダム王国は、経済面においても外交面においても西洋随一と謳われる程の繁栄の只中にあった。
それもこれも、十年前に王位に就いた国王レイモンド二世と、妃であるセリカ王妃の尽力が何よりも大きいというのは国民の共通認識である。
国王夫妻は数々の改革を行い、国民の生活を瞬く間に向上させただけでなく、王子と王女が誕生し恙無く育っている王室は国民からの根強い支持を受けるようになっていた。
だからこそ、国王の即位十周年を盛大に祝いたいと息巻く国王の側近三人組は、国王から告げられた言葉に耳を疑った。
「即位十周年はどうでもいいから、婚姻十周年の方を盛大に祝うべきではないか」
「「「…………」」」
真面目な顔で言い切った国王に、ガレッティ侯爵、マドリーヌ伯爵、マクロン男爵は言葉を失ってしまった。
「そうだな、式典は全て王妃を中心に考えてくれ。私の即位十周年を祝う場は二分もあれば充分だ。他の時間も予算も人員も全て王妃を喜ばせる為に使ってくれ」
「「「…………」」」
三人は、それぞれに国王のことを信頼し、尊敬もしている。だからこそ自ら希って国王の元に身を寄せて献身していた。それ程にこのレイモンド二世は人心掌握に長けており、かと思えば打算もなく気さくな人柄であり、誰よりも国のことを思う実直で堅実で誠実な名君であった。
しかし、一点だけ。何とも言えない残念で絶望的な欠点が、この国王にはあった。ここ十年の間に、三人は何度も頭を過っては否定してきたことをついに認める他なかった。
普段は真面目で公明正大な良識を持つ君主、国王レイモンド二世は、こと王妃に関することだけは、度を越して異常な程にトチ狂っているーーと。
王妃の規格外さは有名で、また王妃の国王に対する絶対的な熾烈で苛烈で熱烈な愛着も国民に広く知られている。その為ついついそちらに目を向けがちになってしまうが。時にこの国王は、王妃よりもずっとぶっ飛んだ思考をお持ちなのだ。
急逝した先王に代わり若くして王位に就いた国王レイモンド二世の紆余曲折を近くで見てきた三人は、王位に就いた当時はまだ頼りない部分のあった国王が、今やすっかり頼もしくなったのを親兄弟のような目線で見守ってきた。
普段は温厚で優しく穏やかだが、必要な時は厳しい君主の顔を覗かせる、正に理想の国王。
その分、こういう時のギャップが酷い。
そもそもこのアストラダム王国の歴史には、婚姻の周年を国を上げて祝ったような前例はない。それを知っているくせに、当然のように国家予算でそれをやろうと言い出す国王。しかも自身の即位十周年の祝いを差し置いて、だ。
他にも王妃が水面下でやらかした非人道的なアレコレを、この国王は知っていながら放任したり、時には率先して手助けしたりしていることも、三人は薄々気が付いていた。
絶対に認めたくはなかったが、やはり我等が国王陛下は王妃様のことになると少しばかり頭がイカれていらっしゃる……。
愛と言えば聞こえはいいが、この男の場合は王妃の為なら常識などドブに捨て、地位も名誉も国家も国民さえをも喜んで投げ出しかねない狂気を孕んでいる。
それでもこの国が破綻も傾きもしないのは、王妃のお陰だった。
あの破天荒な王妃は、何だかんだ言っても決して身勝手なわけではない。愛する夫が大切にしているこの国を、他でもない王妃が最大限に尊重しているからこそ、この国は繁栄しているのだ。
結局は愛。愛なのだが、背筋がゾクゾクするような寒気を感じるのは何故なのだろうか。
静かに無言で頭を抱えた三人は、次から次へと王妃の為にアレをしようコレをしようと提案する国王を、一旦放置して天を仰いだ。
「どうせなら世界各国から貴賓を呼ぼう。義兄上殿に連絡して釧からも大量の品物と来賓を用意してもらわねば」
それでも構わず話に夢中の国王は、黙り込む側近達を気にするふうもなく熱心に語り続けている。
「それから何か王妃が驚くような、記念に残るプレゼントを贈りたい。王妃に内緒で用意できないだろうか」
実はレイモンドは、五年前も同様のことを提案した。しかし、その時は王妃が王女を懐妊中だった為に泣く泣く断念したのだ。
「あとは国民全員に酒と食事と記念品を配ろう。罪人には恩赦を与え、その日生まれた子供には金塊を。予算はいくら掛けても構わない。とにかく国中が王妃を讃えたくなるような日にするのだ」
この機会を逃すものかと力説する国王に根負けした三人は、遠い目をして頷くしかなかった。
「「「陛下の仰せのままに……」」」
こうしてアストラダム王国では、前代未聞の国王夫妻婚姻十周年を祝う式典が盛大に執り行われることとなり、その旨が国内外に広く公表された。
と、同時に。レイモンドは、式典の日に何よりも愛する妻に向けたサプライズプレゼントを用意すると決めたのだった。
「陛下!」
とある日の午後、セレスタウンの視察から戻ったシュリーは、自分の帰りを待っていてくれた夫の胸に飛び込んだ。
ぎゅっと抱き着く妻を受け止めたレイモンドは、慣れ親しんだ香りを胸いっぱいに吸い込む。何よりも慕わしい甘く刺激的で神秘的な妻の香りはいつでもレイモンドを魅了して止まないのだ。
同じように夫の香りを嗅いだシュリーは、違和感を覚えた。
「この匂い……」
「どうした、シュリー?」
「陛下。このような昼間から湯浴みをされたのですか?」
「あ、ああ。少々汗を掻いてしまってな」
「左様でございますか。だから今朝とお召し物が違うのですわね?」
「……そなたはいつも私のことをよく見てくれているのだな。その通りだ。湯浴みをして服も替えた」
「ふーん……?」
鉄壁の微笑を浮かべたシュリーがジッとレイモンドを見詰めるも、レイモンドは動揺した素振りも見せなかった。
にも関わらずシュリーは、何やら自分の預かり知らぬところで何かが起こっていて、レイモンドがそれを隠そうとしていることを直感した。
まず、レイモンドでなく、リンリンの様子がおかしい。シュリーが匂いのことを指摘した時に、リンリンはピクリと反応したのだ。
政務に戻った夫を見送った後、シュリーは侍女へと笑顔を向けた。
「リンリン。まさかお前、この私に隠し事をしているわけではないでしょうね?」
「ッ!」
ビクッと反応したリンリンは、見えないはずの耳と尻尾をヘタリと下げていた。
「ニャ、娘娘……」
主人であるシュリーに隠し事ができないリンリンは、とても弱々しい声を上げる。それを見てシュリーは可愛いペットの頭を撫でてやった。
「良いわ。その反応だけで充分よ。これ以上は聞かないし、私への隠し事も許してあげるから安心しなさい」
リンリンがシュリー以外の言うことを聞くとすれば、その相手はシュリーの夫であるレイモンドしかいない。そしてリンリンは自らの意思でレイモンドに協力しているようだ。
ここでリンリンが関わっていると分かった時点で、小指の爪の先の先の先の先の先ほど僅かにあったレイモンドの浮気の可能性は完全に消えた。
浮気絶許のリンリンが許容しているのであれば、女関係は絶対に有り得ない。
シュリーは次にランシンに目を付けた。
近頃は王子や王女の世話役に徹しているが、ここ数日は何故かレイモンドの護衛に入っているというランシン。
絶対にランシンも関わっているはずなのだが、流石のランシンは違和感すらシュリーに感じさせなかった。
ランシンから得られる情報は無さそうだと判断したシュリーは、直接レイモンドに問い掛けることにした。
とある夜、遅く帰って来た夫を迎えたシュリーは、仁王立ちのままレイモンドを見上げる。
「陛下。今日も随分と遅かったですわね。何やら近頃お忙しそうですが、私に言うことはございまして?」
「いや……。式典の準備もあり立て込んでいるだけだ」
「……左様でございますか」
シュリーは、レイモンドがあくまでもシラを切ろうとしているのに気付き、それ以上追求するのを止めた。
「でしたらお疲れでございましょう? 久しぶりに二胡でも弾きましょうかしら」
「ああ、いいな。久しぶりにそなたの美しい旋律を聴きたい」
本当に嬉しそうな夫の手を取って座らせたシュリーは、早速楽器の用意を始めた。
十年前のシュリーなら、根掘り葉掘りレイモンドの秘密を暴いていたかもしれない。しかし、十年も寄り添って来たこの夫が、今更シュリーにとって害になるようなことをするとは思えない。
であるならば。無理に聞く必要もない。
知ろうと思えば何でも知ってしまえるシュリーは、敢えて何も知らない状態を楽しむことにした。
国王レイモンド二世とセリカ王妃の婚姻十周年を祝う式典は、アストラダム王国史上類を見ないほど盛大な規模で行われた。
流石のシュリーも、あまりの壮大さに目を瞬かせて、この式典を準備した夫の側近三人組にとても残念な目を向けた。
精も根も尽き果て瀕死の形相の三人は、王妃からの無言の労いを有り難く受け入れる。不思議なことに、今この時だけは王妃がとても真面に見えた。
「シュリー、そなたの為に用意したのだ。気に入ってくれたか?」
爽やかに輝く夫の笑顔に、シュリーはでき得る限りの優しい微笑で頷いた。
「ええ、勿論ですわ、陛下。私、とても感激してしまいましてよ」
幼い王子と王女まで駆り出されて国民総出で祝われたこの史上最大級の式典は、アストラダムの繁栄と国王から王妃へ捧げられた惜しみない愛を印象付ける形で幕を閉じた。
「実は……そなたに秘密で用意していたプレゼントがまだある」
「あらあら、まあまあ。何でございましょう?」
式典の後、ソワソワしながら切り出した夫に、やっと秘密を打ち明けてくれるのかとシュリーはワクワクが止まらなかった。ニヤける口元を何とか上品に抑えて小首を傾げる。
「随分と遅くなってしまったが。十年前にそなたから貰った恋文への返事を書いた」
「恋文……?」
心当たりのないシュリーが驚いていると、レイモンドは妻の手を取って二人の寝室に向かった。
「まあ、シャオレイ……!」
そこには、とても丁寧で綺麗な字で、時間を掛けて書かれたとよく分かる書が飾ってあった。
【我愛你雪麗】
「まさか、これを陛下が?」
「そなたに隠れてランシンに手解きを受けたのだ。道具はそなたが使用したのと同じものをリンリンに用意してもらった。特に〝麗〟の字が難しかったが……あの墨というインクは匂いも染みもなかなか取れないな。お陰で練習の度に落とすのに手間取った」
頰を掻く夫を見て、シュリーはその服や顔に墨を付けながら書の練習をするレイモンドを思い浮かべ、胸がキュンキュンした。
あまりにも可愛すぎる。
一生懸命、慣れない筆と墨に悪戦苦闘しながら忙しい合間を縫ってこれ程の腕を磨いたのだろうか。想像しただけでシュリーは悶絶した。
シュリーを喜ばせたいと言う一心でコソコソ隠れながら準備してきたのかと思うと、目の前の男が愛しくて愛しくて堪らない。
今すぐどうにかなってしまいそうな位に身悶えて、心臓を打ち抜かれてしまったシュリー。好きが暴走し過ぎて腰が抜けてしまいそうな理性を総動員しながら、シュリーはそれでも夫が用意してくれた書をまじまじと鑑賞した。
流れるような文字を書くレイモンドにとって、角張って入り組んだ釧の文字はさぞや難しかったに違いない。それを一筆一筆大切に書いてくれたかと思うと、より一層愛おしさが込み上げてくる。
国中を巻き込んで夫婦の記念日を国家規模で祝うくらい、何だと言うのか。世界各国から要人を呼んだ豪勢な式典に信じられないくらいの予算を注ぎ込んだのであろうが、そんなの可愛いものだ。金なんて自分がいくらでも稼いであげればいい。
だからもう、何だって好きなようにやって欲しい。やらせてあげたい。養いたい。
全てを見通す聡明な王妃であるはずのシュリーは、感激のあまり思考が破綻したのか、涙ぐみながらわけの分からないことを口走り始めた。
「陛下、私……陛下の為ならいくら貢いでも惜しくはありませんわ」
「? 何の話だ?」
「陛下の為にもっと稼ぎますので、ご安心下さいまし」
「シュリー? ……急にどうしたのだ?」
稼ぐ、貢ぐ、と連呼する母と、戸惑いながら首を傾げる父。
妹と手を繋いで両親のやり取りを見ていたアシュラは、とてもとても残念な目を母に向けた。
相変わらず父のことが好き過ぎて変な母は、所謂〝尽くすタイプの女〟らしい。
大人びてきたアシュラは、貴婦人達の噂話を聞いて覚えた言葉を母に当て嵌めて、到底子供とは思えぬような重い溜息を吐いた。
「……お前は母上みたいになっちゃ駄目だぞ」
呆れたような兄の言葉に、幼い王女は大きな黒い瞳を瞬かせたのだった。
次回はランシンの回です!




