とある魔法使いの受難
※ホラーです
魔塔に所属する新人魔法使い、カルレには憧れている人物がいる。
その人物こそが、魔塔を束ねる魔塔主、ドラド・フィナンシェス。アストラダム王国史上(規格外な王妃と王太子を除いて)最も強い魔力を持つという孤高の天才。
国中の優秀な魔法使いが集まり魔法と魔術を研鑽する魔法魔術研究機関、魔塔。
そのトップである魔塔主の座に若くして就いたドラド・フィナンシェスは、アストラダムの魔法や魔術に誰よりも詳しく、そして才能に満ち溢れていた。普段は無口で無表情で無愛想で陰湿な空気を纏った男だが、一度研究に没頭すれば恐ろしいほどの集中力を発揮するその姿は、同じ魔法使い達から尊敬の視線を集めていた。
かく言うカルレもそんなドラド・フィナンシェスに憧れて、魔法の腕を磨き魔塔の厳しい試験に合格したばかりだった。
しかしカルレはある日、そんな魔塔主の知られざる秘密を目撃してしまう。
「おい、新人。この資料を魔塔主様のところに持って行ってくれ」
「はい……!」
憧れのドラド・フィナンシェスに書類を届けるという大役を貰ったカルレは、意気込んで魔塔主の元へ向かった。
「魔塔主様、資料をお待ちしました!」
「……ご苦労」
テキパキと書類仕事をしていたドラド・フィナンシェスは、カルレに目を向けることなく手を差し出した。
憧れの魔塔主に直接書類を手渡しできる滅多にない機会に、カルレは緊張しながらも何とか震えそうな手を誤魔化して任務を遂行する。
その時だった。
なんとカルレは、孤高の魔塔主ドラド・フィナンシェスの左手首、普段袖口の下に隠されているその場所に、銀色に光る腕環が嵌っているのを見てしまったのだ。
アストラダム王国には、最近新しい風習が流行り始めている。
それが、婚姻した夫婦が揃いの腕環を左手首に着けるというもの。これは国王夫妻が始めたもので、そのルーツは王妃の祖国にあるとかなんとか。
兎にも角にも、今やアストラダムでは左手に腕環を着けている=既婚者と捉えられるようになったのだ。
そんな中、孤高の天才と謳われるドラド・フィナンシェスが左手に腕環を着けている。これはどういうことだ。
彼に夫人はいないはず。婚姻の話なんて聞いたことがない。それどころか、あの孤高の銀狼とまで称されたことのある男が、彼が師と仰ぐ王妃以外の女性と話す姿など想像もできない。
だったらあれは見間違いか、と思ったのも束の間。その次の日も、そのまた次の日も、先輩達から魔塔主への書類を押し付けられたカルレは、チラチラと魔塔主の袖口から見える腕環を目撃してしまった。
夫婦の腕環には、互いの髪や目の色を取り入れるのが定番となっている。彼の銀髪によく似たシルバーに、あからさまなアンバーが嵌められた腕環は、やはりどう考えてもそういう証だろう。と、なれば……。
ドラド・フィナンシェスにはアンバー色の髪か瞳を持つ秘密の伴侶がいるのだ。
そう推察したカルレは、人知れずショックを受け誰にも相談できぬまま、憧れの魔塔主の秘密を心の奥にそっと仕舞い込んで日々を送っていた。
その日もカルレは、新人としての雑用に追われながらも、こっそりと憧れのドラド・フィナンシェスを盗み見ていた。
しかし、その日の魔塔主は、何だか違って見えた。
いつも青白い肌は少なからず血色が良いように見えなくもなく、何より気怠げな眼差しが妙に色っぽく見えてしまう。まるで見てはいけないものを見てしまったかのような……目に毒な憧れの人の様子を見ているうちに、カルレの胸はドキドキと高鳴っていた。
カルレが憧れの魔塔主に見惚れていると。ふと、とんでもない寒気がした気がして、カルレは周囲を見渡した。そしてビクリと跳び上がる。
「ひっ……!」
思わず悲鳴を上げたカルレ。その視線の先では、トロリとした蜂蜜のような瞳がジッとカルレを見ていた。
慌てて視線を逸らして見なかったことにしたカルレは、急いでその場を立ち去る。
カルレと目が合ったのは、魔塔の七不思議の一つ、謎の東洋人、ジーニー。
国王夫妻とも気安く話す姿から、恐らくは王妃の祖国である釧の人間だろうと噂されているが、彼が何なのかは本当に謎だ。
ふらふらと魔塔に来たかと思ったら、昼寝をして帰ったり。他者の入室が厳しく制限されている魔塔主の研究室へ好き勝手に出入りしたり。かと思いきや墓地での目撃証言が相次いでいたりする。
そもそもジーニーとは中東の精霊を指す言葉だったはず。では彼は精霊なのか。確かに独特過ぎるあの雰囲気、人間ではないと言われても納得だ。
しかしそうなのであれば、何故に中東の精霊が釧風の衣服を身に纏った東洋人の姿でアストラダムの魔塔にいるのか。謎は深まるばかり。
そして、これも魔塔の七不思議の一つである地下室。何処にも入口がないのに、この魔塔にはジーニーが棲み着いている地下室があると言われている。ジーニーが昼寝を貪った後に消える時は必ず地下から恐ろしい悲鳴が聞こえるのだが、それが何なのか知ろうとする猛者はいない。
というか、それを知ってしまえばもう二度と陽の光は拝めないと言われているので誰も知りたがらない。
他にもジーニーに関する怖い噂の一つには、ここ数年巷を賑わせている怪談話、王都の上空を駆ける謎の『毛むくじゃらで尻尾のたくさん生えた巨大な化け物』の正体がジーニーなのでは……という、とんでもないものまである。
そんな曰く付きのジーニーと目が合ってしまい、まるで不吉な呪いを掛けられたかのような心持ちのカルレは、物陰に逃げ込み身を震わせた。
怪談話が苦手なカルレは、これまで極力ジーニーを視界に入れないように努力して来たのに。こんなふうに目が合うとは不覚だった。これからはもっとジーニーを見ないように気を付けよう。
ジーニーがいなくなったことを確認して机に戻ったカルレは、ふと自分の机の端に小さなメモが残されているのを見付ける。
【三回まで あと二回】
「なんだこれ?」
誰かの悪戯だろうか。しかし、カルレの周りの先輩魔法使い達は今日も忙しそうで、いちいち新人にこんな意味不明な悪戯を仕掛けようとする人はいなさそうだ。
それもそのはず、魔塔は今、かつてない忙しさの中にあった。
セリカ王妃がこの国に嫁いできたことにより、シルクや磁器の技法に留まらず、釧の魔術までもがこの国に持ち込まれた。そしてアストラダムと釧の魔術を融合させたセリカ王妃考案の魔道具は飛ぶように売れ、セリカ王妃が発見した魔晶石の鉱脈も世界中で高値で取引されている。
これらの魔道具を作り出し、魔晶石を管理し商品化しているのは他でもないこの魔塔なのだ。人手不足が通常で、誰も新人に構っている暇はないはず。
きっと、誰かのメモが紛れ込んでしまったのだろう。念の為机の端にそのメモを取っておいたカルレは、今日も忙しく仕事に励んだ。
だが、新人魔法使いカルレの受難はこれからが始まりだった。
その日からカルレは、取るに足らないような小さな不幸ばかりを引き寄せてしまうようになったのだ。
例えば、紙で指先を細く切ってしまうとか、足の小指を机の角にぶつけてしまうとか、取り分けてもらったスープに肉が入ってなかったとか。本当に些細なものばかり。
ツイていない。そう言ってしまえばそればかりで終わるような小さな不幸の連続。
何だかなぁ……、と腑に落ちない思いで過ごしていたカルレは、とある日。なんと魔塔主のドラド・フィナンシェスと二人きりで馬車の中にいた。
「…………」
「…………」
黙ったまま窓の外を見るドラド・フィナンシェスの向かいに座るカルレは、とてもとても緊張していた。何故なら二人はこれからあの有名なセリカ王妃に謁見するのだ。
定期的に王妃に報告に行く魔塔主のお供に抜擢されてしまったカルレは、憧れの人と馬車で二人きりの状況を楽しむ余裕など一つもなかった。
様々な伝説級の噂を持つ王妃に対して粗相があってはいけない。必死で作法を勉強したカルレは、沈黙の馬車の中で吐き気を覚えながらも何とか堪えた。
王宮に着いて王妃の元に向かう途中、カルレは、廊下の向こうからやって来た人物を見て思わず身構える。
最悪だ。
何故こんな所に彼がいるのか。そこにはカルレの苦手なジーニーが、我が物顔で王宮を歩いているではないか。
必死に目を逸らしたカルレだったが、意外にもカルレの前を歩いていた魔塔主は足を止めて、よりにもよってジーニーに声を掛けた。
「なんだ、来ていたのか」
「王妃様に話があってね。そうそう、今度のフロランタナ領の視察、僕も行くよ」
「またついて来るのか?」
「当然だろう。君が行くなら一緒に行くに決まってるさ。王妃様にお許しも貰ったよ」
「ゴホン!」
魔塔主のドラド・フィナンシェスは、何故か咳払いをして新人魔法使いのカルレをチラリと見た。
「?」
何でしょうかと首を傾げたカルレが疑問を口に出す前に、ジーニーは肩をすくめて手を上げた。
「分かってるって。じゃあね」
そのままヒラヒラと手を振って去って行くジーニー。本当に謎だ。いったい何だったのだろうか。カルレは首を傾げ続けた。
「……まったく、本当に勝手な奴だ。いちいち一緒に来なくていいと言っているのに……」
ジーニーの背を見送ったドラド・フィナンシェスは、ずっと口元を隠しながらブツブツと何かを呟いていた。それを見たカルレは、この魔塔主様もあの得体の知れないジーニーが嫌いなんだな、と勝手に解釈したのだった。
「あら、ドラド。新人を連れて来たの?」
セリカ王妃は、入って来た魔塔主が連れている供を見て微笑んだ。
「はい、お師匠様。新人のカルレです」
「ア、アストラダムの月に栄光があらんことを」
覚えた宮廷挨拶をぎこちなくやり切ったカルレを見て、目が焼けるような美貌の王妃はクスクスと笑った。
「まあまあ、随分と古風な挨拶だこと。よくよく励みなさい。魔塔は常に人不足だもの。折角新人が入っても、三人に一人は行方不明になるのだから貴方も気を付けて頂戴ね」
「!?」
紅い唇から鈴の音の鳴るような声で何か恐いことを言い出した王妃に、カルレは凍り付いた。
「お師匠様、どうか新人を怖がらせないで下さい」
「だって本当の話でしょう。この前も入ったばかりの新人が何の前触れもなく消えたじゃない。この子もそうならないとは限らないもの、忠告は大事だわ」
言葉とは裏腹に王妃は楽しそうだった。面白いものを見る顔でカルレを見下ろす王妃。カルレは緊張と恐怖で喉がカラカラになりながらも何とか声を絞り出した。
「あ、あの……行方不明とは?」
「あら、知らなかったの? ここのところ魔塔に入った新人のうち何人かが、ある日急に跡形もなく消息を絶ってしまうことが続いているのよ。原因は不明だし、何処に行ったのかも謎のまま。まあ、失踪として処理されているけれど」
「……ッ!」
王妃は意味深な瞳をドラドに向けてから、新人魔法使いへと再び目を向けた。
「貴方もそうならないように頑張ってね」
クスクスと、相変わらず微笑みながら話す王妃の言葉にゾッとしながらも。カルレは何とか頭を下げた。
その後は何事もなかったかのように魔塔主ドラド・フィナンシェスが王妃への報告を行い、アレコレと指示を受けては別の議題に移る、というのを繰り返した。
そうして話が一頻り終わったところで、ノックの音が響いた。
「シュリー」
「まあ! 陛下!」
カルレは心臓が止まるかと思った。気軽な様子で顔を覗かせたのは、紛う事なきこの国の国王陛下ではないか。まさか、王妃のみならず国王にまで会うだなんて。一介の新人魔法使いには荷が重すぎる。
「お仕事は終わりましたの?」
「少し時間が空いてな。そなたの顔を見に来てしまった」
「ふふ、私のシャオレイは甘えん坊だこと。お茶に致しましょう。すぐに用意させますわ」
「いや、そなたの仕事の邪魔をする気はない」
「そんな寂しいことを仰らないで。仕事などもう終わりましたわ。ドラド、用は済んだでしょう? 帰ってよろしくてよ」
手を振って早く行けと無言の圧を飛ばす王妃に、ドラド・フィナンシェスは立ち上がって礼をし、カルレを連れてその場を辞した。
わけが分からぬまま目を白黒させたカルレは心底驚いた。話には聞いていたが、国王夫妻のラブラブぶりは少々度を越している。一国の国王がまさか、仕事の合間に王妃の元に通っているなんて。
王子と王女がいても尚、国王夫妻の熱愛ぶりは健在ということか。そう言ったことに耐性のないカルレは、顔を真っ赤にして帰りの馬車に乗り込んだ。
「……大丈夫か?」
馬車に揺られて暫く経ったところで憧れの人に声を掛けられたカルレは、盛大に跳ね上がった。
「へ!? あ、はい! 大丈夫です!」
「顔色が悪いが……」
「これは! 国王陛下と王妃殿下にお会いして緊張したためで……」
心配そうなドラドに必死で弁明するカルレ。
「そうか。ならいいが、お師匠様の言っていたことはあまり気にしなくていい」
「あの、新人が行方不明になる話ですか……?」
「ああ。最近の若い者は堪え性が無いんだろう。辞めたいなら辞めたいと言えば良いものを。突然失踪するとは迷惑だ。……君は大丈夫だと思うが」
「勿論です! 折角憧れの魔塔に入って魔塔主様のお側に仕えることができたんです! 絶対に逃げたりしませんっ!」
「そうか。期待している」
カルレの必死さに思わず微笑んだドラド。普段あまり笑わない男の笑顔ほど破壊力のあるものはない。
その笑顔を見たカルレは、国王夫妻のラブラブぶりを見せ付けられた時よりも顔を赤くした。
魔塔に着き、馬車から降りたドラドは次の予定の為に早々に行ってしまった。残されたカルレは火照る頰を風に当てて息を吐く。その時だった。
「あと一回」
「ひいっ!!」
突然耳元で話し掛けられたカルレは、跳び上がって振り向いた。そこには、カルレが何よりも苦手なジーニーが、琥珀を思わせる瞳でカルレをジッと見ていた。
「あと一回だよ。若い肉体は活きがいいからね。楽しみだなぁ」
「……へ?」
わけの分からない言葉と共に、ポンと肩に乗せられた手は思いの外強く、そして魔法使いであるからこそカルレは感じた。何か今、とても嫌なものを体に流し込まれた気がする。何かは分からないが、途轍もなく不吉なものを。
「精々気を付けてくれ」
ヒラヒラと左手を振って、ジーニーはそのまま行ってしまった。恐怖に震えるカルレは、何故ジーニーがわざわざ左手を振るのか、そこにあるヒントには気付かなかった。
しかし、そんな鈍いカルレでも本能的に悟っていた。何かをあと一回してしまったら、とんでもないことが起こる。
いったい、何だ?
あと一回? 何があと一回なのか。いや、ちょっと待て。そう言えば……
既視感を覚えたカルレは、机の隅に取っておいたままのメモのことを思い出す。アレには『あと二回』と書いてあった。まさかアレもジーニーの……?
ゾッと背筋が凍る。
何かをしてしまったが為に、カルレはジーニーに目を付けられているのだ。
そしてそれを三回してしまうと、何か不吉なことが起こってしまう。カルレは既に二回、それをしてしまっているようだ。つまり、後がない。
何だ、いったい何をしてしまった? 最初のメモの時と今回、カルレは自分が何をしていたのか必死に記憶を手繰り寄せるのだった。
「それにしても。先程ドラドと来ていたのは魔塔の新人か?」
愛する妻とティータイム中のレイモンドは、自分の膝に座る王妃へと問い掛けた。
「ええ。そうですわ」
「……今度は大丈夫そうか?」
「五分五分と言ったところでしょうか。察しの悪そうな子でしたわ」
肩をすくめたシュリーがクッキーを差し出せば、レイモンドは当然のように王妃の手からそれを食べた。そして今度は同じ物をシュリーの口元に運んでやる。
「ジーニーにも困ったものだ。魔塔は年中人手不足だと言うのに……」
「アレでも随分と丸くなったではありませんか。三回までは待てができるようになったのです。私の指導の賜物でしてよ」
「そなたの〝指導〟で重傷を負ったジーニーが十日も目を覚まさず、ドラドが使い物にならなくなった時のことか? あの時は魔塔が全く機能せず大変だったな」
「ええ。あの男はたまに灸を据えてやらねば調子に乗りますから。あれ以来、ジーニーは我慢を覚えたのです。褒めてあげて下さいまし」
レイモンドは色々なことを飲み込んで、ただただ優しくシュリーの頭を撫でた。
気を良くしたシュリーは、愛する夫の腕の中で猫のようにゴロゴロとすり寄って甘える。
「私の名前で世に出される魔道具は全てジーニーが手掛けたもの。他にも色々と役に立つ男ですもの。多少のことは大目に見てやりませんと」
シュリーの〝多少〟の基準をよく知っているレイモンドは、甘える妻に愛おしげな目を向けた。
「魔塔のことはそなたに任せている。好きにしたらいい」
「私もジーニーの気持ちは分かりますの」
「そなたなら三回も待てないであろうな」
「分かり切ったことを聞かないで下さいまし。陛下のことを邪な目で見る女がいたら即地獄に堕として差し上げますわ」
「だろうな」
可愛くて可愛くて仕方ないという顔で妻を見下ろすレイモンドは、艶やかなシュリーの髪に口付けを落とした。
「察しの良い者は、ジーニーがこれ見よがしに見せびらかしているあの腕環の意味に早々に気付いて身の程を弁えますもの。ドラドが隠したがっているようなので魔塔の者は気付いていても口にしませんが、新人にはドラドと接する機会を与えて気付くように促しているようですわ」
人手不足の魔法使い達の涙ぐましい努力を思い遣りながら、シュリーは愛する夫に楽しげな瞳を向けクスクスと笑った。
「さてさて、あの新人は生き残れるのかしら」
次回は国王夫妻のラブラブ回です




