感嘆と驚異の視線
「何を考えている?」
注目を集める会場の真ん中で、レイモンドは踊りながら妻に問い掛けた。今日初めて見たばかりのダンスを完璧に踊る妻シュリーは、難しいステップとターンを難なく熟しながら、その視線をするりと会場中に動かしていた。
「陛下の敵と、味方となる者を見極めているのですわ。あの派手な口髭の男が公爵ですわね?」
「……そうだ。よく分かったな」
「あれだけこちらに敵意を向けておりますもの。すぐに分かりましたわ」
クスクスと笑いながら、シュリーはその黒い瞳をくるくると更に動かす。
「公爵の周りにいる取り巻きは、私に見惚れるあの間抜け顔を見るに大したことは無さそうですわね。少し突けばいくらでもこちら側に寝返りましょう。あちらの、直立不動の紳士は何方です?」
「あれは……ガレッティ侯爵だ。政治の場では代々中立を保つ家門で、彼自身は厳格なことで有名だな」
「中立……成程。お隣にいらっしゃる奥様は、なかなか洒落た格好をなさっておいでですのね」
「ああ。侯爵夫人はファッションや流行に敏感で、公爵夫人と並ぶ社交界の重要人物だ」
それを聞いたシュリーは、レイモンドに向けて美しく微笑んだ。
「とてもよろしくてよ。色々と、順調ですわ」
「ん?」
何がだ? と、レイモンドが聞く前に。何かに気付いたシュリーの瞳が、再び鋭く動いた。
「陛下、あのお方は?」
くるりと回り、シュリーの視線の先を見たレイモンドは、思わずステップを踏み外しそうになった。危なげないシュリーのフォローで醜態を晒さずに済んだが、一歩間違えれば社交界デビューを果たした妻に恥をかかせるところだった。
「すまない、大丈夫か?」
「うふふ、お気になさらないで下さいまし、シャオレイ」
笑いながらも、シュリーはもう一度、先ほど目に留めた男を見る。
「あのお方は、陛下が動揺するような者なのですわね?」
「ああ。彼は、魔塔の主ドラド・フィナンシェスだ。この国の魔法使い達の頂点であり、変わり者でこういった社交の場には滅多に姿を現さない。正直とても驚いた。何故、戴冠式にすら来なかった彼がこの夜会に参加しているのか……」
「魔法使い……と言いますと、釧で言う道士や仙師、巫師の類ですわね。確かにあの者から強い霊力を感じます」
「霊力?」
キョトンとしたレイモンドを見て、シュリーはこの国で霊力を何と表現したか思案する。
「ええと……何と言ったかしら。ああ、そうそう、魔力のことですわ」
「それはそうだろう。彼はこの国始まって以来の強大な魔力の持ち主と言われている」
「あらあら、左様でございますか」
……あの程度で。というシュリーの小さな呟きは、レイモンドには届かなかった。
魔塔の主ドラドは、明らかにシュリーの方を一心に見つめている。その熱心な視線を受けて挑発的に微笑んだシュリーは、一段とレイモンドに身を寄せ、華麗にフィニッシュを迎えた二人のダンスは拍手喝采を浴びたのだった。
ダンスを終えた国王夫妻は、貴族達からの挨拶を受ける。位の高い者からと順番が決まっている為、一番最初にやって来たフロランタナ公爵とその夫人へ向けて、セリカ王妃ことシュリーは秀麗な微笑を浮かべた。
「アストラダムの太陽と月に栄光があらんことを。国王陛下、王妃殿下。此度の婚姻、誠におめでとうございます」
先程の剥き出しの敵意を押し殺して、粛々と挨拶をした公爵は次の瞬間、大袈裟に手を叩いた。
「おっと、これは大変失礼を致しました。セリカ王妃殿下は異国の出自。この国の崇高な言語を理解されておりませんでしょう。すぐに通訳をお呼び致しましょう。なに、無理をすることはありません。王妃が我が国の言葉を話せぬからと言っても何の問題もございませんので」
遠回しに、シュリーがこの国に馴染まなくても構わない、延いては余計な口出しなどせずお飾りの王妃でいろと見下す公爵に対して、他でもない〝セリカ王妃〟が笑みのまま答えた。
「お会いできて光栄でしてよ、フロランタナ公爵。ですが、お気遣い頂かなくて結構ですわ。私は既に、この国の王妃となる為アストラダムの言語を習得済みですの。折角提案して下さったけれど、通訳は必要ありませんわ」
あまりにも流暢に話し出した王妃に、公爵だけでなく会場中が度肝を抜かれた。見た目は美しいが、黒髪黒目の明らかな異邦人である王妃が、ペラペラと少しの訛りも吃りもなく、この国の言葉を巧みに操り公爵に反論したのだ。驚異の視線が王妃へ向かう。
「……こ、これは。出過ぎた真似を致しましたな。どうぞお許しを」
他に何も言えずそう言う他なかった公爵へ向けて、王妃は厳かに頷いた。
「勿論ですわ。異国人である私を慮ってのこと、よくよく理解しておりましてよ。どうもありがとう」
ふっと笑うシュリーは、敢えて砕けた言葉を使うことで公爵が自分より下の人間であるのだと周囲に知らしめた。
公爵の拳に力が入る。
しかし、公爵が何か言う前に、レイモンドが先に口を開いた。
「公爵、すまぬが今日は客が多い。そろそろ次の者に代わってくれるだろうか」
「なっ……!」
普段は大人しい甥であるレイモンドからそう促されて、公爵は血管がブチギレそうになるのを何とか堪える。公爵としてのプライドから、ここで恥を晒すわけにはいかない。
「オホン。左様ですな。慣れぬ異国で王妃殿下もさぞお疲れのことでしょう。私はこれで失礼致します」
妻を伴って踵を返すその様は、隠し切れない苛立ちを滲ませていた。