才華蓋世
「状況はどうかしら」
驚異のスピードで王宮を飛び立ったシュリーは、フロランタナ領の魔晶石鉱脈を守護する砦に降り立った。王妃様が来てくれたと沸き立つ兵達の中、送り込んでいた自分の諜報員を見つけて問い掛けるシュリー。
「やはり帝国軍です。王妃様が施して下さった結界のお陰でこの砦は守られましたが、敵の援軍が到着次第、再び総攻撃を仕掛けられるかと」
砦の外を見遣った王妃は、少々離れたところで陣を張る帝国の軍旗を見て目を細めた。
「敵軍の数と将は?」
「援軍が加われば三万、進軍の最高司令官は皇弟のエルデリック公です」
その情報を得て、あまりの大軍と皇弟の登場に勝機はないと絶望していた砦の兵士達。しかし、そんな彼等の顔を見たシュリーは、ハッと鼻を鳴らして帝国の状況を笑い飛ばした。
「あらあら。三万の軍に皇弟まで寄越すとは。帝国ともあろうものが、小国の領地一つを落とす為に随分必死だこと。だけれど素人もいいところね。奇襲をかけて数で押せば勝てるとでも思っているのかしら。そういえば帝国の軍部は不安定な状態だと記憶しているけれど?」
「その通りです。数年前に全軍の総帥を務めていた大公が皇帝と仲違いして独立、大公国を建国したのを機に、帝国軍の主だった有力者は大公と共に帝国を去りました。今の帝国に大軍を統率できる指揮官はいないはずです」
「だったら皇弟は身分が高いだけの見せ掛けの将ね。良いわ。概ね分かりましてよ。有能な大公に逃げられ国力を落とし続ける帝国が、急成長を遂げる我が国に危機感を感じたのでしょうね。魔晶石さえ手に入ればそれを武器に更なる侵攻が可能。我が国を征服してシルクや磁器の技法を奪うつもりだったのかしら。舐められたものだわ」
「娘娘、遅くなりました」
少し遅れて到着した人間姿のリンリンと、乗り物酔いしたかのように倒れ込んだジーニーがやって来て、シュリーは微笑んだ。
「相手は大したことなくてよ。この分なら今日のディナーまでに帰れそうね」
「お、王妃様……いったい何なんだ? 急に連れて来られてわけが分からないよ。リンリン、頼むから僕を乗せる時はもう少し優しくしてくれないか。振り落とされるかと思った……」
口を押さえてよろめくジーニーを情けないと見下ろすリンリン。その様子を気にも留めず、シュリーは瀕死の昔馴染の尻を叩いた。
「貴方の大好きな戦場よ。貴方の死体がたくさん出るわ。早く立ちなさい」
「何だって!? 戦場!? それを早く言ってくれよ! また面倒に巻き込まれるのは御免だと思ってたけど、そういうことなら大歓迎だ!」
先程までの様子は何だったのか、喜色満面に起き上がったジーニー。そんな彼にシュリーは初めて状況を説明した。
「魔晶石を狙ってラキアート帝国がここフロランタナ領に攻めて来たわ。相手は数が多く、身分の高い者を司令官に置いてるだけの素人よ。私、早く陛下の元に帰りたいの。さっさと片付けてしまいましょう」
「分かった。それで、作戦は?」
あまりにも簡潔過ぎる説明にも関わらず、うんうんと頷いたジーニー。そんな彼にシュリーはニンマリと口角を上げ、ある物を取り出した。
「これを使うわ」
「……うわぁ。君、相変わらず容赦ないな」
シュリーの手の中にあったのは、いつぞやか魔道具の試作品として作ったランプだった。
「貴方が改良する前のものよ。威力は城を爆破する程度、だったかしら。これに魔晶石の欠片をくっ付ければ破壊力は更に増すでしょうね。これを敵軍の中に投げ込みましょう」
「そこに魔晶石まで付けるのか。えげつないな。あとは僕が出来上がった死体を操って軍隊を作れば良いんだな。なんだ、本当にディナーまでに帰れそうじゃないか」
「アストラダムを虚仮にしたこと、後悔させて差し上げなければね。ちょうど良く皇族が来るのなら好都合だわ」
悪魔のような顔で笑った二人は、それぞれに準備を始めたのだった。
「お前達はこの砦の中で待っていなさい。外は少々騒がしくなるでしょうけれど、私の結界の中にいれば安全よ。負傷者の治療を優先なさい」
部下に指示を出したシュリーは、遠方に見える帝国の軍旗に動きがあるのを確認して魔晶石を組み込んだランプーーもとい、破壊力抜群の魔道爆弾ーーを大人しく立つ侍女に手渡した。
「タイミングよく相手方の援軍が到着したようね。リンリン、お行きなさい」
「是、娘娘」
結果として、三万の軍勢を率いた帝国軍は、砦に辿り着くことすらできなかった。
帝国軍の行き手を阻んだのは、地面が抉れたような巨大な深い穴と、命を失い死体となった自軍の兵士達だった。
空から落とされた爆弾の圧倒的な破壊力と、味方の死体が化け物となり襲いかかって来る恐怖で帝国軍はあっという間に戦意を喪失し、武器を投げ出して逃げ出す者が相次いだ。
総帥として参戦した皇弟は戦争の経験などなく、小国の領地一つを略奪する勝ち戦だと聞いてやって来ただけの無能。担ぎ上げられただけの哀れな男は、こんなはずではなかったとこの惨状に後退る。
逃げるな、戦え、と震えながら叫ぶだけで何の手も打たない司令官に従う兵士はおらず、死体が増えれば増えるほどに被害は増大していった。
そんな中。爆発の威力を知らしめるかのように粉塵が舞う戦場の上空を、一筋の光が駆け抜けた。
「な、な、何だアレは!? 魔術か!?」
帝国軍総帥である皇弟の元に一直線に向かって飛んで来たその光の正体は、世にも美しい美女だった。
戦場にそぐわない、怪しく艶やかな麗人の登場に、皇弟を護衛していた騎士達も思わず剣を下げる。
「貴方がラキアート帝国皇弟殿下のエルデリック公かしら?」
鈴の音の鳴るような声で問い掛けられた皇弟は、美女に見惚れながら頷いた。
「あ、ああ。いかにも。私が皇弟エルデリックだ。そなたはいったい……」
「私はこのアストラダム王国を統べる国王レイモンド二世陛下の王妃でございますわ」
ニッコリと。溢れ出る美貌を見せ付けるかのように気高く美しく麗しく可憐に華麗に微笑んだ王妃を見て、混乱の最中の帝国軍は更なる困惑に見舞われた。
「何だと……!? お、王妃は数日前に出産したはず、このような戦場に産後の王妃が一人で来るはずなかろう!」
裏返る皇弟の声を鼻で笑い飛ばし、王妃は優雅な仕草で前に出た。
「確かに私、数日前に王子を出産致しましたわ。愛するレイモンド陛下と生まれたばかりの我が子を愛でておりましたら不穏な知らせがあり、飛んで参りましたの。私と陛下の時間を邪魔した不届き者の顔を拝みに来ましたのよ」
よく見ると王妃の手には、剣が握られていた。
「このような敵軍の中に一人で飛び込んで来るとは馬鹿な女だ! 誰ぞ、この者を捕えよ! 王妃であるかどうかはどうでもいい! とにかく捕虜とするのだ!」
皇弟の命令に、騎士達は戸惑ったまま動かなかった。
それもそのはず。戦場の真ん中、鎧姿の騎士達の中にドレス姿の女が一人。それも王妃という高貴な身分と、数日前に出産したばかりと聞けば、騎士道の精神を持つ者ならば手荒な真似をしようとは思わない。
できることと言えばせいぜい投降を呼び掛ける程度だが、程々の腕を持つ騎士達は目の前の美女の異常な隙の無さに、呼び掛けることすらままならなかった。
「何か勘違いしているようですわね。私は公にチャンスを差し上げる為に参りましたのよ」
優雅な仕草でまた一歩前に出る王妃に、皇弟も騎士もゴクリと喉を鳴らして後退った。
「このまま大敗すれば、公の名に傷が付きますでしょう? 卑怯な手で攻め入った小国相手に三万の帝国軍が全滅、だなんて。世界史に残る帝国最大の汚点となりますでしょうね」
クスクスと。楽しげに笑う王妃に皇弟は頭に血を上らせて叫んだ。
「黙れ! 我が国を愚弄するのか!?」
「あら。先に我が国を愚弄したのは其方でございましょう? 小国と侮り蛮行を犯した結果がこれでございましてよ。公にはこの惨状が見えておりまして? もう帝国に勝ち目など無いのです。後は被害をどこまで抑えられるかを考えるべきですわ」
「う、煩い! 先程から何なのだ偉そうに! 誰ぞ、早くこの女を捕まえろ!」
しかし、相変わらず騎士達は当惑したまま動かなかった。
「人の話は最後まで聞いて頂きたいわ。私はチャンスを差し上げると言ったはずです。ここで公が私と一騎討ちをして勝てば、魔晶石の鉱脈は差し上げますわ」
「何!?」
思いもよらない提案に、皇弟は目を丸くした。
「但し、公が負けましたら潔く撤退して下さいませね。その際に公には捕虜として私について来て頂きますのでご承知おき下さい」
「馬鹿な女だ! そなたのような小柄で華奢な女が男の私に勝てるわけなかろう! それも産後間もない王妃だと? いいだろう! そなたを倒し、魔晶石を手に入れる! そしてそなたのことも可愛がってやろうではないか!」
フハハ、と笑う皇弟を見て王妃は目を眇めた。ここで騎士道精神を見せて手を引くのであれば容赦してやろうと思ったが、見下げ果てた外道ぶりに手加減は無用だと剣を構える。
一方の皇弟は、剣を抜けども馬から降りるつもりはないらしい。どこまで恥を晒すのかと、周りの騎士達は羞恥に目を覆いたくなった。
「それでは、いざ。参りますわよ」




