士魂商才
セリカ王妃の兄、釧の皇太子雪紫鷹は、来た時と同様に突如帰国を宣言した。
『やっとお帰りになるのですわね。くれぐれも弟子達のこと頼みましたわよ』
見送りの場で妹から釘を刺された紫鷹は、溜息を吐きながら頷いた。
『分かっている。約束は守るから心配するな』
『それと、匈古の族長にも宜しくお伝え下さいませ』
『匈古だと? お前が討伐した北方の蛮族ではないか。何を宜しくする必要がある?』
釧を出発する前に、皇帝の元に届いたシュリーの手紙によって匈古は討伐済みだと思い込んでいた紫鷹は妹の言葉に眉を寄せた。
『あら。言っておりませんでしたわね。討伐の件は嘘ですわ』
『……は?』
口をあんぐりと開けた兄に構わず、シュリーは楽しげに話し続ける。
『実際は戦などしておらず、平和的交渉によって和平条約を締結したのです。どうせ軍部は私の思うままですし、父上は私の報告を鵜呑みにしますもの。互いに口裏を合わせ釧の皇家を欺くことに合意したのです。彼等匈古は実際に接してみると勇敢でとても友好的ですのよ。今回の謀反にも協力してくれる予定なのですわ』
『あ、あの野蛮で偏屈な奴等が友好的だと? そんなもの信用ならん! いったい何があればそのような話になるのだ……ッ!』
今更聞かされた衝撃の事実に狼狽える兄へ、シュリーは笑いながら告げた。
『うふふ。心配ございませんわ。一年程前に代替わりした匈古の若き族長は私に大きな借りがあるのです。彼にはずっと想いを寄せていた娘がおり、私が仲を取り持って差し上げたのですわ。その相手というのが兄様もよく知っている私達の妹、七公主の紫鈴です』
『アストラダムに嫁ぐ予定だった、あの紫鈴か!?』
顎が外れるほど驚愕した兄に、シュリーは満足げに頷いた。
『そういうわけで、彼と結ばれた紫鈴の代わりに私がこの国に来たのですわ』
さらりと言ってのける妹に、紫鷹は顔を赤くして怒号を上げる。
『しかし、だからと言ってあのような蛮族を信用などできない! 何かあればどうする!? 奴等が裏切れば大惨事ではないか!』
そんな兄へと、シュリーは目を眇めた。
『兄様。妹からの最後の忠告です。そういった偏見は捨てた方がよろしいわ。もっと広い視野と大きな器を持たねば、真の君主にはなれませんわ。兄様はこの国に来て、私の愛するレイモンド陛下から多くのことを学ばれたのではなくて?』
『それは……』
兄妹の邪魔にならないよう、一歩引いたところでこちらを見ていたレイモンドに目を向けて、紫鷹は言い淀んだ。
『彼等匈古は、仁義に厚い者達です。恩義のある私や、族長の妻紫鈴の兄である兄様に矢を向けることなど致しませんわ。自分と異なる者を相手にする時は、文化が違うからと真っ向から拒絶するのではなく、異なる相手の風習を理解して取引する方が余程建設的ですのよ。言語を習得するのも効果的です。今後の外交手段として覚えておくとよろしいわ』
『くっ……』
実際に釧の外に出て、異国の地で異国の国王レイモンドの姿に感銘を受けた紫鷹は、自分の常識が必ずしも正しいとは限らないことを痛感していた。その上で妹から与えられた言葉の重みを理解しようと努力し、それ以上声を荒げるのは止めた。
『分かった。お前がそう言うのなら。匈古の族長と会って話をしてみよう』
兄の成長に満足したシュリーは、大きく頷いてみせたのだった。
『お師匠様、皆恋しがっております。本当にもう釧には戻らないおつもりなのですか?』
涙目の莫泰然に問われたシュリーは、そっと微笑みながら首を横に振った。
『お前も見たでしょう。私はこの国の王妃で、何よりも愛する夫がいるのよ。そしてこの腹には陛下の子が宿っている。この国から離れる気はなくてよ』
『……この国に着き、玉座の間で謁見したレイモンド陛下とお師匠様の姿に私は衝撃を受けました。お師匠様のあのような笑顔は初めて見ました。お師匠様の幸せが我等の幸せです。皆も理解してくれるでしょう。どうかお幸せに』
『有り難う』
涙声の弟子を見遣りながら、シュリーは優しく目を細めた。
『達者でな、義兄上殿』
師弟の涙の別れが繰り広げられている隣で、去り行く皇太子にレイモンドが手を差し出せば、逡巡した後にその手を取り握手を交わした紫鷹がそっと口を開いた。
『貴殿には、世話になった。……落ち着いたら二人で釧に来てはどうだ?』
『それも良いかもしれないな。私もシュリーの生まれ育った国を見てみたい』
そう微笑んだレイモンドの横にいつの間に来たのか、シュリーは肩をすくめた。
『ですけれど、国王が国を空けるには釧という国は遠過ぎますわ。もっと気軽に行き来できる方法を考えるのもよろしいかもしれませんわね。貴方もそう思うでしょう?』
シュリーが振り向いた先に居たのは、見送るアストラダム側の重鎮達に並んで立つジーニーだった。
『そうだなぁ。柘榴が足りなくなる前に調達したいし、人や物を伝送する術でも開発しようか』
『金公子……本当に一緒に帰らなくて良いのか』
『ええ。何度も言ったじゃないですか。僕はこの国に残ります。色々と面白いことが沢山あるし。何より運命の相手を見つけたもので』
のらりくらりと答えたジーニーに、紫鷹は何かを言い掛けて止めた。
『いや、そうだな。其方がそう言うのであれば、これ以上は無粋だろう。どのような令嬢か存じ上げないが、その運命の相手とやらと幸せにな』
『はあ……。どうも』
紫鷹はどうやらジーニーがこの地で何処ぞの令嬢と恋に落ち結ばれたが為に帰らないのだろうと勝手に想像を膨らませているようだが、実際の相手は男な上に、ジーニーのただの片想い。しかし、訂正するのも面倒臭いジーニーは適当に頷いて皇太子に別れの挨拶をした。
ジーニーとシュリーには儀礼的な挨拶で済ませた紫鷹は、最後に再びレイモンドの前に来ると、咳払いをして小さな声で呟いた。
『では、その……達者でな。お、義弟よ』
『……!』
その言葉を聞き、パアッと表情を明るくしたレイモンドは、嬉しそうに微笑んだ。
『ああ。義兄上。また会おう』
そうして西洋の国王と東洋の皇太子は、兄弟として改めて握手を交わしたのだった。
『そうそう、兄様。忘れるところでしたわ。一つ、耳寄りな情報がございますの』
いざ出立、の段階で突然前に出たシュリーが兄に声を掛ける。
『……なんだ』
レイモンドの時とは違い、とても嫌そうな顔で妹を見た兄に、シュリーは口元に手を添えてそっと囁いた。
『実はこの国には、手付かずの龍穴が眠っているのです』
『なんだと!?』
妹の一言で目を見開いた紫鷹が声を上げれば、シュリーはここぞとばかりに兄へと商売を持ち掛ける。
『調査を命じた結果、釧では枯渇してしまった霊玉が発見されました。今後我がアストラダム王国は、霊玉の輸出も行うつもりですわ。兄様にその気があれば、釧に優先的に輸出をして差し上げようと思っておりますの』
『本当か!? 紫蘭……本当に、霊玉が手に入ると?』
『ええ。まだ調査を進めている最中ですが、質も良く産出量も見込めておりましてよ』
『なんてことだ。是非頼む。必ず我が国に霊玉を寄越してくれ』
前のめりになった兄に、シュリーはニヤリと口角を上げた。
『勿論ですわ。ただ、加工や輸送に費用も嵩みますし、代金はご相談させて頂きませんと』
『私が皇帝になれば、霊玉になら幾らでも予算を回そう。他の国の倍は出す。だから何としても我が国に輸出してくれ』
『そういうことでしたら。商品化できる段階になりましたらご連絡致しますわ』
思い通りに商談を纏めたシュリーは、今度こそ清々しい笑顔で兄に手を振った。
去って行く釧の皇太子と使節団を見送りながら、レイモンドは隣に立つ妻へと声を掛けた。
「義兄上殿は、大丈夫であろうか。この先皇帝として、そなたの弟子達と上手くやっていけると思うか?」
「さて。これまでの兄様でしたら、無理でございましょうね。私の弟子達の良いように操られて傀儡となるのが目に見えておりますわ。ですけれど……」
遠ざかる兄の姿を見遣りながら、シュリーは柔らかく口角を上げた。
「陛下に出会い、兄様は少々成長したようです。狭く頑なだった視野を広げ、他者を受け入れることを学んだのですわ。紫鈴の夫である匈古の族長もなかなかの手腕を持っておりますし、義弟達に感化された兄様の努力次第では、もしかしたら奇跡が起こるやもしれませんわね」
「そうか。頑張って頂きたいものだ」
「ええ。可能性は低いでしょうけれど」
最後まで兄に対して辛辣なシュリーに苦笑しながら、レイモンドは気になっていたことを妻に問い掛けた。
「それにしても。先程の霊玉とは……そなたがドラドに調査を命じていた魔晶石のことか?」
「うふふ。左様でございますわ。今後はジーニーも調査に加わりますので、商品化も近いかと。いい取引先が見つかりましたわね。どうせ釧にはこれまで絹や磁器で儲けた金が有り余っているのです。がっぽりと儲けさせて頂きましょう」
「まったく。そなたはあくどいな」
「あらあら。私のシャオレイは、あくどい私はお嫌いですの?」
「わざわざ聞かなくても分かるだろう? あくどいそなたも可憐で魅力的で蠱惑的で、死ぬほど好きだ」
「……うぅっ」
死ぬほど好きだ、を耳元に直接吹き込まれて無事に撃沈したシュリーは、兄の前で見せていた強気で勝ち気で傲慢な姿など幻であったかのようにヘナヘナと、しおらしくしゃがみ込んで赤くなった耳を隠した。
「シュリー、大丈夫か?」
「キャッ」
「その体で無理をするからだ。ほら、部屋まで送って行くから掴まりなさい」
レイモンドの殺し文句に腰を抜かしていたところをそのレイモンドに抱き上げられたシュリーは、国王夫妻のイチャつきぶりを呆れた目で見る周囲の視線の中で更に顔中を赤くした。
「もう……少しはご容赦下さいまし……」
小さな声で呟いたシュリーは、ヤケクソでレイモンドの首に両腕を回し、大人しく夫の腕に身を委ねたのだった。




