異彩を放つ王妃
アストラダム王国の貴族達を束ねる圧倒的な権力者、フロランタナ公爵は国王レイモンド二世の叔父である。
先代国王の王弟であった公爵は、兄王とその王妃、そして王太子であった第一王子の事故死をそれはそれは悼み、遺された第二王子レイモンドが国王になるのに尽力し、献身的に支えている……と、表向きは公表されていた。
しかし、実情は全く違っている。
実兄であった先王とその妻子に手を下したのは他ならぬ公爵自身であり、王室唯一の生き残りであるレイモンドを一時的な国王の座に就かせることで、公爵は裏で議会を掌握し絶大な権力を手に入れていた。
レイモンドの父である先王が生きていた時代は、王国の政派は国王派、中立派、貴族派の三つに分かれ均衡が保たれていた。それが先王と王妃、王太子の崩御により均衡は呆気なく崩れ去る。
レイモンドが悲しみに暮れている間に権限を握った公爵は、馬車の転落により事故死に見せ掛け王族三人を暗殺したとして、国王派の主要貴族を反逆罪に仕立て上げ問答無用に粛清した。静かに喪に服していたレイモンドがこのことを知らされたのは全てが終わった後であり、家族も忠臣も一度に失い孤立したレイモンドが何を言ったところで、覆るものなど何一つ無かった。
結果としてレイモンドは、傀儡の王として虚空の王冠を無理矢理その頭に戴くこととなり、その先に残されたのは搾取され使い捨てられることが目に見えている人生だった。
釧との交易を盛んにさせたい貴族派は、レイモンドを良いように操り釧の姫君との婚姻を勝手に推し進めた。そうして昨日、ついに遠い異国から到着した野蛮人の姫が、見せ掛けの王に嫁いだのだ。
煌びやかな夜会の会場で貴族達に囲まれながら、公爵は悦に入っていた。
何もかもが上手くいっている。大人しい甥は物分かりが良く、自分の立場を正しく理解して公爵の思うがまま。
このまま飼い慣らすも良し、頃合いを見て暗殺するも良し。どちらにしろその王妃は異邦人。二人の仲が上手くいくはずはない。可能性は低いが、例え二人の間に子が生まれようと、野蛮人の血を引く王子を誰が世継ぎと認めようか。
世継ぎに正当性が認められずレイモンドが死んだ場合、最終的に玉座を手に入れるのは先代国王の実弟である公爵になる。公爵はリスクを冒してまで無理にレイモンドを蹴落とさずとも、ただ頃合いを待っていれば良いのだ。
そういった意味でも、釧との取引によってレイモンドの王妃に異邦人を据えたのは実に良い案だった。
焦らず入念に王座に就く準備をするつもりの公爵は、お飾りの国王となった甥の力をとことん奪う為に開いた今日の夜会を、それはそれは楽しみにしていた。
野蛮人との婚姻式でさえ涼しい顔を取り繕っていたあの甥は、果たして今宵の夜会でも気取っていられるのか。昨日の王妃の下品な赤い衣装と終始顔を覆っていた様子を見るに、今日の夜会で国王夫妻がどれほど恥をかくかは目に見えていた。
礼儀作法も知らない醜い野蛮人の姫を連れた、傀儡の王。貴族達の辛辣な目線に耐え切れず、今日こそいつも澄ましている甥の顔が歪むのを見れるかもしれない。
まだ登場もしていない王妃を侮辱する貴族達の会話と笑い声を楽しげに聞きながら、公爵は会場に目を走らせた。
国王派の派閥を取り込み貴族の三分の二を味方につけた公爵が気にするのはただ一人。中立派の筆頭、ガレッティ侯爵だけだった。
礼儀作法に煩く、堅物なガレッティ侯爵が、野蛮人の姫を王妃と認めるはずはない。この夜会で王妃の格が認められなければ、唯一の懸念である中立派がレイモンド側に付くことは一切有り得なくなるだろう。
それさえ見届ければ、未来は確定したも同然。公爵に憂いは一つも無くなる。公爵は、一刻も早く国王夫妻が登場して恥を晒すのを期待していた。
「レイモンド・デイ・アストラダム国王陛下、並びにセリカ王妃殿下の御入来でございます」
伝令の声に、貴族達の好奇の視線が会場の扉に向かう。拍手すら起こらぬ蔑みの出迎えに公爵が口角を上げたのも束の間、登場した国王夫妻を見て場内は騒然とした。
公爵でさえ、時が止まったのかと錯覚する。それ程に、二人の姿は鮮烈だった。
レイモンド国王に手を取られ階段を降りて来たセリカ王妃は、東方人特有の重い黒髪に黒目だが、その顔は見る者全てを魅了する程に美しく堂々としており、国王と揃いに見える衣装は釧の異国情緒を残しつつ、この国の流行を押さえた、とても洗練されたものだった。
軽やかな足取りも、動く度に舞う不思議な薄い布地も、黒髪に映える金の簪が揺れる様も、その独特の雰囲気と相まって天女が舞い降りて来たかのように幻想的で、野蛮人の王妃を辱めようと構えていた者達は、いつの間にか茫然と口を開けて王妃に見惚れていた。
そして、何より。王妃をエスコートする国王レイモンドが、いつもの影の薄い控え目な印象を消し去り、王としての風格を醸し出していた。美しく初々しく、しかし長年連れ添ったかのように息の合った二人は、数多の視線を物ともせず優雅に上品に階段を降りる。近くで見ると、金糸で施された揃いの刺繍が光を反射して更に二人を輝かせていた。
二人が会場に降り立ったところで、公爵は漸く我に返った。
こんなはずでは……と焦りつつも、公爵は惚ける妻の手を取り前に出ようとした。というのも、夜会では身分の最も高い者が最初にダンスを踊るのだ。
異邦人であるセリカ王妃がダンスを踊れるはずもないので、その最も高貴な役回りは公爵夫妻のものになるはずだった。これも今宵夜会を開いた理由の一つ。王妃を貶めつつ、自分達の権威を見せ付ける好機。この好機を逃す手はない。
しかし、立ち止まった公爵は再び目を見開いた。
なんと、国王レイモンドと王妃が、会場の真ん中で向かい合ってダンスの構えをしているのだ。そんな、まさか。公爵の戸惑いなど置き去りにして、音楽が流れ始める。
その瞬間、会場に響めきが走った。
昨日この国に到着し、嫁いだばかりの遥か異国の姫君が。美しい衣装を翻して、完璧にダンスを踊っているのだ。
釧の衣装は軽いのか、王妃が舞う度に白と紫の裾が広がり、長い袖が揺れ、恐ろしい程に優雅で美しかった。
異彩を放つ王妃と、そんな彼女を堂々とリードする国王。見つめ合う二人の視線は甘く、そのステップは軽やかで、まるで最初から一つであるかのように完璧に揃っていた。
あちこちから感嘆の溜息が聞こえ、誰もが二人に見惚れた。常であれば、途中から周囲も踊り出すのだが。一曲まるまる踊り切るまで、誰も二人の横に並ぼうとはしなかった。
曲が終わり、二人が向かい合って礼をすると。自然と拍手が巻き起こる。
公爵は上げかけていた手を慌てて下ろしたが、公爵の妻も、ガレッティ侯爵も、王妃を蔑んでいた貴族達も、誰もが賞賛の眼差しを国王と王妃に向けていた。
これは、まずい。
鳴り止まない拍手の中、公爵の頭には警鐘が鳴り響いていた。