才気煥発
「何を言い出すかと思えば」
頑なに姿勢を解かないランシンを見て、シュリーは溜息を吐いた。
「父上から何を命じられたの? 私を連れ戻せとでも?」
「……はい。ですが、私にはできません。幸せそうな娘娘とレイモンド陛下を引き離したくはありません。私を救って下さった娘娘には幸せに生きて欲しいのです」
「馬鹿ね」
ランシンへ近付いたシュリーは、痛々しく震えるランシンの左腕をそっと下げさせた。
「父上の手の届かないところに置けば、その黒蛇釧なんて無意味だろうと思っていたわ。この国に来た兄様に書状か何かを持たせていたのかしら。まったく。普段は酒と色に溺れているくせに、そういうところは頭の回る男だこと。少し父上のことを見縊っていたようね」
そしてシュリーは、レイモンドの方を見た。
「陛下」
愛する妻に呼ばれたレイモンドは、寄り添うようにシュリーの隣に立つ。
「どうした、シュリー」
「事情はお聞きになりましたでしょう? 頑固なこの男は私達の幸せの為に死ぬつもりのようですわ。私達がそれを許すとでも思っているのでしょうかしらね」
「……実はランシンの様子がおかしいと思ったことがあったのだ。その時にちゃんと話を聞いてやればよかった」
「あら、陛下もですの? 私も、違和感を覚えたことがございましたの。懐妊や式典のことで少々立て込んでおりましたものね。これは私達の落ち度ですわ」
「そうだな。すまない、ランシン」
謝罪を口にしたレイモンドに、ランシンは目を見開いた。
「何を……そんな、どうかおやめ下さい。これは私の問題です」
「いや。臣下の異常に気付かないのは君主の落ち度だ」
言い切ったレイモンドは、真っ直ぐな瞳をランシンに向けていた。グッと迫り上がるものを押し込んで、ランシンは顔を伏せる。しかし、頭上から聞こえてきた次のシュリーの言葉に、再び勢いよく顔を上げた。
「陛下。私、この腕環の呪いを解いてやろうと思いますの」
「いけません、娘娘! 御身には大切な御子が宿っております。私のような者の為に無茶をしてはなりません」
必死に言い募るランシンを見て、シュリーは鼻を鳴らした。
「無茶ですって? 私を誰だと思っているの。この程度の呪い如き大したことないわ」
「ですが……! 解呪には、失敗すれば術者に呪いが跳ね返る恐れがあります! 娘娘をそんな危険に晒すわけには参りません!」
普段は寡黙なランシンが声を荒げるも、シュリーはそんなランシンを一蹴した。
「私を甘く見ないで頂戴。そんな腕環一つ、いつだって外せたわ」
「!?」
厳しい目をしたシュリーは、目を丸くするランシンを見下ろしながら淡々とそう口にした。
「私が今までその黒蛇釧を残してやっていたのは、お前の為よ。父上の浅ましい欲望のせいで宦官に落とし込められたお前にとって、その黒蛇釧は手枷であると同時に、皇帝陛下の側付きという地位と身分を証明するものでもあるわ」
釧を出る時に、シュリーはリンリンとランシンを連れて行くと決めた。そして連れて行くからには、生涯面倒を見てやるつもりだった。
しかし、もし自分に何かあった時。人間ではないリンリンはどうとでもなるとして、ただの人間でしかなく、更には宦官の身であるランシンには、祖国に戻る選択肢を残してやるべきだと思った。
「お前が釧に帰りたいと思った時に、それがあれば幾らでも大成することができると思ってのことよ。だけれど、その所為でお前の命が危うくなるというのなら、そんなものは外しておしまいなさい」
「……」
簡単なことのように言うシュリー。呆然としたランシンの前で、シュリーはレイモンドに目を向けた。
「陛下。理屈上は少々無謀な賭けの部類になるでしょうけれど、私であれば絶対に成功させる自信がございます。莫大な魔力を消費せねばなりませんが、丁度よく今の私の体には二人分の膨大な魔力が宿っておりますの。ランシンの解呪をお許し頂けませんこと?」
腹の子の魔力まで利用しようと言うシュリーに、レイモンドは一度だけ目を閉じてから答えた。
「……そなたが絶対にできると言うのであれば、私はそれを全面的に信じるのみだ。やってやりなさい」
「シャオレイ」
いつだって自分を信じてくれる夫。内心では心配で堪らないくせに、やりたいようにさせてくれる愛する夫の存在に、シュリーがどれだけ救われて力を貰っているか。
「心配には及びませんわ。何せ私、解呪には多少の心得がございますの」
頼もしいその言葉を聞いたレイモンドは、心配を押し除けて笑ってみせた。
「私はいつでもそなたを信じている。私からも頼む。ランシンを救ってやってくれ」
「なりません、そのような危険を!」
まだ戸惑うランシンを見下ろして、シュリーは無慈悲に告げた。
「往生際が悪いこと。お前が心配するのは私の体ではないわ。黒蛇釧を失い釧の宦官としての地位を完全に失った後の身の振り方をよくよく考えなさい。私のことを心配するのは陛下の特権なのよ」
何も言えなくなったランシンへ向けて、シュリーは手を差し出した。
「左手を出しなさい。さっさと済ませてしまいましょう」




