鈍才
「ご心配には及びませんわ。私を誰だとお思いですの? 世界一美しく強い貴方様の妃ですわよ。無事に産んでみせますのでどうぞ安心して下さいまし」
シュリーにそう言われたところで、レイモンドの心配は消えなかった。何よりも愛する妻に命の危機があるとは、到底受け入れられるはずもない。
「そなたのことは信じているが、こればかりは……。ジーニー、何か手はないのか?」
苦悩するレイモンドがそう問い掛けると、ジーニーはそれはそれは嬉しそうにニンマリと笑った。
「あー、それならいい手がありますよ。ええっと……そうそう、これこれ。この霊験灼かな霊符を貼れば、王妃様の中に宿る子は忽ち大人しくなり母子共に健康に……」
ジーニーが懐から取り出した怪しげな釧の霊符をピラピラと振れば、レイモンドはすかさず喰い付いた。
「言い値で買おう!」
食い気味の国王に一瞬だけ面食らったジーニーは、湧き上がる笑いを必死で堪えながら何食わぬ顔を取り繕った。
「そうは言いましてもねぇ、陛下。この霊符は釧から持ち込んだ貴重なものでして……金で解決できるようなもんじゃないんですよ」
「なっ!? そうなのか? では、どうすれば良いのだ? 何でもする、だからどうか……」
「シャオレイ。騙されてはいけませんわ」
悪徳商売に引っ掛かる寸前の夫を止めながらも、シュリーはシュリーで大きなダメージを受けて額を押さえていた。
夫が可愛すぎる。
シュリーの心配をするあまりジーニーの適当な口車に乗せられて騙されそうになっている夫が本当に可愛くて仕方ない。
普段は何だかんだ言って冷静で落ち着いていて、何事にも動じない夫が。こんなに分かり易い詐欺紛いの手に騙されるほど取り乱すだなんて。
それもこれもレイモンドが自分を愛しているからだと思えばこそ、シュリーは心臓が締め付けられる程にときめいていた。
怪しげな霊符に手を伸ばす姿は考えれば考えるほど情けなく、可愛いが過ぎる。あの眉の下がった泣きそうな顔。まるで迷子になった子供のようではないか。自分が守ってやらねば。これが母性本能というものなのだろうか、子を宿したからこんなにも狂おしい感情が迫り上がってくるのだろうか、と色んな意味で夫への激情に悶えるシュリー。
しかしながら、このままでは愛する夫が悪徳詐欺師に騙されてしまう。なので何とか気持ちを落ち着けたシュリーはジーニーの手から霊符を引ったくった。
「これは強制的に魂を抜き取る霊符ですわね。ジーニー、貴方。まだ私をキョンシーにしたいという野望を捨てていなかったのね」
「そんなに睨まないでくれよ。ほんの冗談じゃないか。君のその強靭な肉体と魔力をキョンシーにしたらどうなるのだろうかと、好奇心に負けて君を殺そうとしたのはもう過去のことだ。結果、ボコボコの半殺しにされてから僕は心を入れ替えたんだ」
態とらしく両手を上げるジーニーを一睨みしたシュリーは、困惑している夫へ体を向けた。
「ということですので陛下、あの詐欺師に騙されてはいけませんわ」
「あ、ああ。すまない。そなたのことになるとどうも……つい取り乱してしまうようだ」
申し訳なさそうにしょんぼりする夫を見て再び身悶えながらも、咳払いで誤魔化すシュリー。
「コホン……良いのですわ。私も貴方様のこととなると冷静ではいられませんもの。ですが、本当に心配なさらなくても大丈夫なのです」
「だが……」
「シャオレイ。今まで私が貴方様に嘘を吐いたことがございまして? 私が言って実現しなかったことは? どうか私を信じて下さいませ」
「シュリー……そうだな。そなたの言う通りだ。そなたが問題ないと言うのであれば、私はそれを信じるのみだ」
妻の手を取ったレイモンドは真剣な目をしていた。
「陛下」
「シュリー」
「はー。お熱いことで。羨ましいなぁ」
見つめ合う夫婦を尻目に琥珀の腕環が揺れる左手で頭を掻いたジーニーは、そっとドラドを見た。ドラドは師匠であるシュリーとその夫レイモンドのイチャイチャについていけず早々に虚無の境地にいてジーニーの視線には気付かない。
一歩引いたところからはリンリンが全く動じず一連の流れを見ている。
そんな只中にあってジーニーは、ふと辺りを見回した。
「んー? ……ランシンは何処だ?」
『藍芯! 貴様、いったいどういうつもりだ?』
同じ時、シュリーの兄、釧の皇太子紫鷹は、宦官であるランシンに詰め寄っていた。
『朝暘公主を連れ戻せという父上の書状を受け取ってから、随分と経つはずだ。宦官である其方には皇帝陛下たる父上の命令を拒絶する権利などない。それともこのまま死にたいのか?』
『……ッ』
普段から無表情なランシンは、紫鷹に左肩を押さえ付けられて僅かに柳眉を寄せた。
『なんだ、効いていないのかと思ったが、やはり痩せ我慢をしていたのか。剣を振るう自慢の左腕が、最早使い物になっておらぬではないか』
その様子を見て鼻を鳴らした紫鷹は、憐れな美貌の宦官を見下ろしながら言い放つ。
『悪いことは言わない。こうしている間にも、父上の命令に背き続けている其方の命は刻一刻と失われているはずだ。昔から其方のことを気に掛けてきた紫蘭は、其方を見捨てられないはず。命が惜しくば私に協力しろ』




