曠世之才
「シュリー。リンリンの尻尾が見えている。隠してやりなさい」
「…………あら、まあ」
愛する夫にそっと耳打ちされたシュリーは、指を鳴らしてリンリンの衣装からはみ出ていた尻尾を魔術で隠した。
「陛下ったら。リンリンのこと、いつからお気付きでしたの?」
楽しげな顔をしたシュリーは、興味津々の瞳を夫へ向ける。
「そうだな……最初に違和感を感じたのは、フロランタナ公爵の策略でそなたが馬車ごと崖から落ちた時だ」
「そんなに前から?」
少しだけ驚いたシュリーは、大きな瞳をパチパチと瞬かせた。
「あの時は気が動転していたが、後から思い返せば妙だと思ってな。あの日、リンリンはそなたと共に馬車に乗っていた。にも関わらず、落下する馬車から脱出したそなたが飛んで舞い戻ってきた時には既に、リンリンは崖の上にいた。普通に考えて有り得ない話だ」
「そうですわね」
夫の察しの良さに、シュリーは嬉しそうに頷く。
「だが、確信したのはつい最近、ジーニーの態度を見ておかしいと思ったのだ。生きた人間の女には興味がないはずのジーニーが、リンリンには積極的だった。だからきっと、リンリンは人間ではないのだろうと思っていた」
「ご明察ですわ。流石は私の旦那様」
紅い唇をニンマリと上げたシュリーは、夫を愛おしげに見つめた。
「リンリン」
シュリーが呼ぶと、従順なリンリンはすぐに国王夫妻の前にやって来た。見た目は愛らしい人間の少女だが、人間ではないというリンリンへ、レイモンドは改めて目をやった。
「仰る通り、リンリンは人間ではございません。表向きは私の侍女ですが、その正体は九尾狐、私の可愛いペットですのよ」
シュリーが再び指を鳴らすと、リンリンの背後に揺れる九本の尾が見える。
「いつもは完璧に人間の姿に擬態しているのですけれど。つい最近、変化を解いて長時間過ごしたせいか不安定になっていたようですわ。リンリン、尻尾が出ていたところを陛下が気付いて下さったのよ。お礼をなさい」
「ありがとうございます、陛下」
素直に頭を下げたリンリンは、ポンと音を立てて完全に尻尾を消した。
「九尾狐、とは?」
「尾が九本ある狐の霊獣ですわ。リンリンはその昔、君主の徳が高い時に現れる瑞獣とされておりましたのですけれど、時の皇帝と恋に落ち利用された挙句に裏切られ、悪しき妖怪の汚名を着せられてしまったのですわ。ですから、不貞を働く男に対しての嫌悪が尋常ではございませんの」
「なるほど。だから例の令嬢の件で私を威嚇していたのか」
「あれでも大分マシになりましたのよ。一時期は浮気した男がいると聞けば真相も確かめずに喰い殺していた時期もあったとか。リンリンにとって浮気は地雷というやつなのですわ」
自分の過去を話す二人を見て目を逸らしたリンリン。そんなリンリンに、レイモンドは問い掛けた。
「リンリン、例の令嬢の件は事実無根の虚言だ。私は生涯を賭けてシュリー以外を愛することはないが、まだ私はそなたの信頼を得られないだろうか?」
直球なレイモンドの問いに、リンリンはボソボソと答えた。
「……いいえ。娘娘の懐妊に、私も気が立っていたのです。その節はやり過ぎました。陛下のことは娘娘が認めただけあって、人間の雄にしては真面だと思っております」
本能が動物寄りのリンリンは、基本的に主人であるシュリー以外を敬うことはない。が、長年釧の宮廷に出入りしていたこともあり、人間の礼儀作法は知っていた。だからこそ、主人の番であるレイモンドには礼儀正しく接してきたが、先日の態度や今の発言は些か無礼だったかもしれない。
流石に怒られるだろうか、と目を上げたリンリンは、心底嬉しそうに微笑むレイモンドを見てポカンと目を瞬かせた。
「そうか。それなら良かった。私はこれからもシュリーの夫として努力を惜しまないつもりだが、至らぬところがあれば遠慮なく言ってくれ。そなたのように全面的にシュリーに味方してくれる者がいることはとても心強い」
一つの邪心も無いような、真っ直ぐな瞳でそう言われたリンリンは、躊躇って主に目を向けた。その視線を受けたシュリーは微笑を浮かべながら大きく頷く。
「……是」
戸惑いつつも頭を下げたリンリンは、気高く美しいご主人様が何故この男に心を許し身を委ねているのか、少しだけ分かった気がした。
「それにしても、つい最近、長時間変化を解いていたと言ったな。そういえばパレードの際にリンリンとジーニーの姿が見えなかったが、それと何か関係あるのか?」
リンリンが仕事に戻り、二人になったところで夫からそう問われたシュリーは、とぼけるように扇子で口元を隠した。
「さて。どうでございましょう? ただの偶然ではございませんこと?」
「そうか。そなたがそう言うのであれば、そうなのだろうな」
素直に引き下がるレイモンドは、それ以上追求する気がないらしい。そんな夫にシュリーは観念して扇子を置いた。
「……前から思っておりましたけれど、陛下は鈍感なふりがお上手ですわね。誰よりも鋭い観察眼をお持ちですのに。本当は私が何をしたのか、全てご存知なのでしょう?」
「さあ。私を買い被りすぎではないか? 私は昔から目立たず何も知らない王子として有名だったのだぞ。だが、言ったであろう? 私はそなたが何をしても、その何もかもが愛おしく思えて仕方ないのだ。そなたのすることならどんなことでも可愛いらしいと思ってしまう。何があっても受け入れられる」
「シャオレイ……」
グッと握られた妻の手に手を重ねて、レイモンドは意地悪な表情で笑ってみせた。
「まだ分からないか? 私はそなたがどんなに残虐な行いをしたとしても、例えこの世界を滅ぼそうとも、愛らしいとしか思えないのだ。それ程までに、私はそなたを深く愛している。もう手遅れな程に重症なのだ」
「……!」
頰を撫でられながら耳元で囁かれたシュリーは、生娘のように顔を真っ赤にして俯くことしかできない。
「貴方様は、まだ私を口説くおつもりですの? 子まで作ってこんなにも私を骨抜きにしておいて、まだ足りないのかしら」
やっとのことで返した声は、拗ねたような口振りとは裏腹に嬉しさが隠し切れていなかった。
「足りない。足りるわけがない。そなたが愛しくて愛しくて愛おしくて仕方ない。私から離れていかぬようにそなたをドロドロに甘やかして溶かしてしまいたい。そうして私無しでは生きられなくなればいいのにとさえ思う」
普段は温厚で優しい夫の、誰も知らないような重たく執拗な執着をまざまざと見せ付けられて、シュリーの体に痺れが走った。
「〜〜ッ! もう充分、そうなっておりますわ」
なんて体に悪いのか。と、このままでは心臓が破裂してしまうと思ったシュリーが慌てて逃げようとするも、レイモンドはそれを許さなかった。
「シュリー」
「!?」
後ろから抱き込まれて逃げ場を失ったシュリーは、ただただ夫から与えられるドロドロの愛をこれでもかと享受させられたのだった。




