才徳兼備
美しくも気高い王妃のその笑顔の圧に、レイモンドの側近達は王妃の怒りがまだ燻っていることをヒシヒシと感じながらも頭を下げた。
「あの令嬢については私からご報告致します」
少し前まで人豚の話を聞いて倒れ込んでいたマクロン男爵が、まだ青白さの残る顔で前に出る。
「彼女はエクレイア子爵の娘、シャーロット・エクレイア嬢です。アカデミー時代の陛下と同じクラスで学び、当時から陛下に想いを寄せていたとか」
「……へぇ?」
序盤から部屋の温度を下げるような冷たい声で相槌を打つ王妃に怯えながらも、マクロン男爵は説明を続けた。
「わ、私の末の妹が陛下と同時期にアカデミーに通っておりましたので、話を聞いてきました。当時、第二王子殿下であらせられた陛下は、何と言いますかその……」
「地味で目立たない男だったはずだ。極力他者との関わりを避けていたからな」
言いづらそうなマクロン男爵に代わり自らそう発言したレイモンドは、妻であるシュリーの手を引いて隣に引き寄せた。
いつもの癖で夫の膝に座らないよう気を付けながら、シュリーはレイモンドの隣に座って話に耳を傾けた。
「だから私はあの令嬢のこともさほど記憶にないのだが。いったいあの無礼な態度と妄想は何なのだ?」
「妹の話ですと……、エクレイア嬢はアカデミー当時から、王子でありながら目立たなかった陛下に目を付け、周囲に自分は第二王子殿下の恋人であると自称し始めたらしいのです」
「いや、本当に意味が分からない。私からすれば学友とすら呼べないような赤の他人だぞ? 何故そうなる」
「かの令嬢の思考回路は理解できませんが、それまで一切何の噂もなかった陛下……当時の第二王子殿下の初の色恋話は女子学生を中心に瞬く間に広がり、そのうちエクレイア嬢を第二王子殿下の恋人だと信じる者が出てきたとか。そういった者達は当然、エクレイア嬢に擦り寄るようになります。結果として持て囃されて味を占めた令嬢が更なる虚言を吐き、いつの間にやらエクレイア嬢が第二王子殿下の婚約者だという話まで出るようになったと……」
呆れを通り越して恐怖すら感じたレイモンドは、深い溜息を吐いた。
「……それが王宮にまで広がらなかったのは何故だ。そんな話が耳に入れば、私の父である先王は黙っていなかっただろうに」
「秘密の関係だから表向きは内密に、と周囲の令嬢達に言い含めていたため、表立っての噂にはならず、令嬢達の間でのみ噂が広がっていったとか」
「ハア……。妙なところで狡猾な。その女の頭はどうなっているのだ。私と自分が無関係なことは誰よりも分かり切っているはずではないか。仲間内で虚言を吐くだけに飽き足らず、公の場であのように大声で叫ぼうとは。そんな嘘偽りが罷り通ると本気で思っていたのか?」
理解できない令嬢の話に疲れ果てたレイモンドは、無意識のうちに隣に座るシュリーの手を握っていた。
「あの令嬢は相当夢見がちな性格のようでして。直接尋問したところ、本気で自分を陛下の恋人、婚約者だと思い込んでいました。どうやら妄想を募らせていくうちに妄想と現実の区別がつかなくなっていたようなのです」
「……ただの異常者じゃないか。薬物の使用は?」
「視野に入れて調査中です」
片手で頭を抱えたレイモンドは、隣で黙って話を聞いていた最愛の妻へ視線を向けた。
「シュリー、そなたはどうしたい? 正直に言ってくれ。王族に対するこれ以上ない侮辱行為、家門の取り潰しと斬首刑は当然として、そなたが望むのであれば如何様にもして構わない」
真剣な表情の国王に、側近達は気が気じゃなかった。折角王妃が考え直すと言ってくれたのに、お願いだからあまりにも残虐な刑は本当に勘弁して欲しいと内心で懇願する。
「いえ。……斬首刑ではなく、家門を取り潰した上で国外追放に致しましょう」
「なに?」
「本気ですか、王妃様!?」
王妃の思いもよらない言葉に、国王と側近達は目を見開いた。
「懐妊の公表が遅れてしまいましたもの。目出度い報告をすると同時に処刑だなんて縁起が悪いでしょう? 斬首刑必至の愚行を犯したとは言え、ここは私の懐妊に免じて恩赦を与えるのが宜しいのではないかしら」
「そりゃあないだろう、王妃様! あの令嬢を好きにしていいと聞いて、僕がどれ程楽しみにしていたことか! 楽しみを与えておいて奪うだなんて、ちょっと酷いんじゃないかい?」
シュリーの言葉に真っ先に反応したのは、ジーニーだった。玩具を取り上げられた子供のように拗ねるジーニーを見て、シュリーは悪い顔で微笑んだ。
「貴方には悪いと思っているわ。代わりにドラドとの小旅行を用意してあげる。それでどうかしら?」
「何だって!? 最高じゃないか!」
一瞬で掌を返したジーニーに向けて、シュリーは更に畳み掛けた。
「あと、おまけでリンリンと散歩に行く機会をあげるわ。悪くないでしょう?」
「凛凛と散歩……? 成程ねぇ。ほうほう。それはいいな。まったく君には恐れ入るよ。分かった。それで手を打とう」
ニンマリと笑ったジーニーは、昔馴染みでもあるシュリーの意図を、正確に読み取っていた。
王妃の懐妊と、式典で前代未聞の暴挙に出たエクレイア子爵家の処遇について国民に広く知らされると、シュリーの名声は更に高まっていった。
仲睦まじい国王夫妻の間に亀裂を入れようとした令嬢への国民の怒りは凄まじかったが。王妃が下したのは、王妃の立場や国王の尊厳を貶めようとした子爵令嬢への、死罪ではなく国外追放という寛大な措置。
それが待望の王妃懐妊の報せと同時に伝えられると、セリカ王妃の人気は今まで以上のものとなり、誰もが国王夫妻の強固な絆に国の安泰を確信して熱狂した。
そんな中、牢獄の中で醜く言い争う親子がいた。
「いったい何なの……王妃が懐妊したですって!? レイ様は私のものなのにっ! どうしてこんなことに」
「シャーロット! お前、私にまで嘘を吐いていたのか!? 陛下とのこと、全てお前の虚言だったというではないか!?」
「嘘じゃないわよ! レイ様だって私のことを愛おしそうに見ていたもの! 誰も信じてくれないけど、妄想なんかじゃないわ!」
「だったらどうして陛下は助けに来ない!? どうしてお前ではなく王妃が寵愛を受けている!? お前を信じた私が馬鹿だった!」
「あらあら、まあまあ。お元気ですこと」
これから国外追放の護送を控えた二人へと、何処からともなく鈴の音のような軽やかな声が掛けられる。
「アンタ……!」
そこに居たのは、今国中で話題のセリカ王妃その人だった。シャーロットは鼻に皺を寄せて忌々しげに王妃を睨み付けた。
「面と向かってご挨拶するのは初めてですわね。改めまして私、国王レイモンド陛下の妃、国民からはセリカ王妃と呼ばれております。どうぞお見知り置きを」
優雅な仕草で顔を上げた王妃を見て、シャーロットは言葉を失った。これまでシャーロットは、セリカ王妃のことを東洋の野蛮人だと馬鹿にしてまともに顔を見たことがなかった。
間近で見たその顔は、自称〝世界一かわいい〟はずの自分よりもずっと美しかった。その美貌はまるで、見ている間に目が溶けて行きそうな程に、眩く光り輝いている。娘命の父ですら、檻越しに微笑む王妃に見惚れていた。
「シャーロット嬢が、私が考案したドレスをお気に召して下さったと伺ったものですから。持って来て差し上げましたのよ」
王妃の言葉を合図に、檻の中に豪華な純白のドレスが投げ込まれた。
「釧の香を焚き染めた特別仕様ですわ。長い長い旅路のお供に、どうぞ受け取って下さいまし」
そんなものは要らない、と叫ぼうとしたシャーロットは、そのドレスの豪華さと、甘く芳しい香りにドレスを突き返すのは止めることにした。
ドレスを気に入ったらしいシャーロットを見て、シュリーは口角を上げる。と、そこへ駆け付けてくる足音が響いた。
「シュリー! 探したぞ。このような場所に来て何をしている。そなたの体と、腹の子に障るではないか。こんなに薄着で……」
妻を見つけて駆け寄った国王レイモンドが、自らの上着を脱いで王妃の肩に優しく掛けてやる。その姿は誰がどう見ても愛し合う仲睦まじい夫婦そのものなのだが、そんな二人を見てもシャーロットは無謀な金切り声を上げた。
「レイ様! 助けに来て下さったのね!」
しかし、国王レイモンドがその声に反応することはなかった。
「……シュリー。どうやらここには煩い小蠅がいるようだ。早く戻ろう。国民がそなたを待っている」
「ええ、陛下。これからパレードの仕切り直しですものね」
「そなたがいなければ何も始まらない。私の愛する王妃。そなたはこの国の女神なのだから」
熱い眼差しを王妃に向けるレイモンドは、ほっそりとした白いその手を取り丁寧に何度も口付けた。金の腕環が光を反射し、シャーロットの目に光が突き刺さる。その熱烈な様子に、流石のシャーロットも言葉を失っていた。
「用は済みましたので参りましょうか、陛下。それではシャーロット嬢、エクレイア元子爵、ご機嫌よう。良い旅を」
颯爽と去って行った王妃は、国王の甘やかなエスコートを受けて光の中へ向かう。片や、シャーロットは無理矢理牢獄から引き摺り出され、護送用の馬車に押し込められた。
「わ、私は負けてないわ……! 何よ、ちょっと顔が良いからって陛下にチヤホヤされて。良い気になってるんじゃないわよ。いつか絶対、私の方が王妃に相応しいって分からせてやるんだから!」
馬車から叫んだシャーロットの声は、国民の歓声に掻き消されて王妃に届くことはなかった。
「何なのよ、あの王妃……許せない」
護送中の馬車の中で、両手両足を縛り上げられていたシャーロットはまだ毒を吐いていた。
「ハア……。私はいったい、どこで育て方を間違えたのか。シャーロット、お前があの美しい王妃様に敵うわけないだろう。陛下のあの熱烈な寵愛ぶりを見ただろう? もう諦めなさい」
親バカで娘に甘かった父の言葉に、シャーロットは驚愕した。少し前まで王妃のことを野蛮人と貶していたくせに。間近で王妃を見たからか、父はすっかり王妃の魅力に骨抜きになっていた。
「お父様! お父様まであんな王妃に騙されないでよ!」
「いい加減にしなさい。これからは王妃様が救って下さった命を大切にして他国で細々と暮らして……」
とそこで、親子はふと獣の唸り声のような音を聞いた。
「……何の音?」
「おい、馬車が止まっているぞ?」
「ねえ、御者や護送兵は何処に行ったの?」
何処かも分からない森に馬車ごと放置された親子が訳も分からず呆然としていると、急に視界がふわりと揺れた。
「…………え、」
シャーロットが最後に見たのは、衝撃で天高く飛ばされ幽霊のように舞い踊る、セリカ王妃から貰った愛らしい純白のドレスだった。
国民に絶大な人気を誇るセリカ王妃の夫、国王レイモンド二世の恋人を名乗り式典に乱入した世紀の痴れ者令嬢シャーロット・エクレイアとその父親は、国外追放される護送中、その馬車ごと突如姿を消したらしい。
この謎の失踪について、無責任にも刑から逃げ出したやら、物騒な盗賊に襲われたやら、土砂崩れに巻き込まれたやら、様々な憶測が飛び交う中で。最も奇妙な噂の一つが実しやかに王都を駆け巡った。
曰く、世にも恐ろしい毛むくじゃらで尻尾のたくさん生えた巨大な化け物が、馬車ごと罪人を連れ去った……と。
目撃者までいるというその噂は、後にアストラダム王国の怪談話の定番となるのだが、それはまだ少し先の話である。
その他にも、恩赦を与え刑を軽くしたと思われていた慈悲深い王妃が実は、かの令嬢の目をくり抜き四肢を切断するよう命じていただとか、死者を甦らせる東方の秘術により令嬢は死して尚も罪を償い続けているだとか、更なる噂が噂を呼び、真相は謎のまま、頭の狂った令嬢が無謀にも国王に手を出そうとした挙げ句の果てに王妃に手酷く返り討ちに遭った、というのが定説となった。
何にせよ、国民はこの話を教訓として心に刻み付けることになる。普段は慈悲深く美しく、聡明で才能に溢れた王妃様を怒らせるとーー取り分け、王妃の愛する夫である国王に手を出そうとすればーーそれはそれは恐ろしい天罰が下るのだと。




