有智高才
番犬のようにシュリーの部屋の前に立っていたリンリンは、やって来たランシンの姿を見て肩の力を抜いた。
レイモンドのように門前払いされることもないランシンが中に入れば、寝台の上に起き上がっていたシュリーは気怠げに欠伸をしていた。
「娘娘。お目覚めですか」
「ええ。苦労を掛けたわね」
水差しから水を注ぎ、シュリーに手渡しながら。ランシンは、静かな目を王妃に向けた。
「娘娘、陛下も伯爵達も娘娘のことを案じていらっしゃいます。令嬢の件、仰せの通りに処理を進めてよろしいのですか?」
「…………」
受け取った水を飲んだシュリーは、珍しく饒舌なランシンを見上げながらも、何も言わなかった。
「この国の人間には、残酷過ぎる刑は少々受け入れ難いようです。あのような令嬢の所為で娘娘の評判が貶められるようなことは、あってはなりません」
ハッキリとそう言ったランシンに、シュリーは溜息のような苦笑を漏らした。
「…………そうね。子供の頃から面倒を見てきたお前にこうして諭される日が来るなんて、自分が情けないわ」
下ろした黒髪を払ったシュリーは、顔を上げるといつもの自信に満ちた美しさをその微笑に滲ませていた。
「気が立っていたとは言え、考えが浅かったわ。これは私の失態よ。でも、好機でもあるわね。良いわ。あの女の処分方法を再考しましょう。それを利用して、私の立場をより強固なものにするのよ。……表向きはね」
ニヤリと笑うシュリーは、誰もが敬い跪く、美しく聡明で才気に満ち溢れたセリカ王妃そのものだった。
「それでこそ娘娘です」
恭しく頭を下げて、丁寧に拱手したランシン。その表情は相変わらず無表情ながらも、何処となく重い荷を下ろしたかのような安堵が漂っていた。
「それにしても。どうやら私の子は、なかなか生意気なようね。この母の気を乱そうだなんて」
その言葉を聞いて、無表情なランシンの眉がピクリと動いた。
「何か問題が……?」
「大したことではないわ。ただ、私の式典での暴走や不安定な心情はこの子の仕業だろうと思っているのよ。考えてもみて頂戴。いつもの私なら、あの場で力を解放させたりしないわ。あんな女一人、後から幾らでも存分に嬲り殺しにできるもの。あの場で周囲を巻き込んで威嚇する必要などなかったのよ」
「確かに、娘娘らしくない行動でした」
「今度ジーニーにも意見を聞こうかと思うのだけれど、この腹に宿る子は、日に日に霊力が強まっているようなの。その力の影響で私の経脈が乱れているのよ。私と陛下の子なだけあって、普通ではない子なのでしょうね。今から将来が楽しみだわ」
自らの腹を撫でながら、シュリーはクスクスと笑った。
「生まれる前から母に迷惑を掛けるだなんて。この母に二度と逆らうことがないよう今から厳しく躾け、教育してあげないと」
言葉とは裏腹に、自らの腹を見るシュリーの瞳は慈愛に満ちていた。
「娘娘はこの国に来て、幸せですか」
そんなシュリーを見て、ランシンはポツリと呟いた。
「あらあら。今日は随分とお喋りね。まあ、たまにお前とこうして話すのも悪くないわ。そうね。見て分かる通り、私は幸せよ。愛する夫がいて、その夫との間に子ができる。そんな当たり前の、普通の幸せを……化け物である私には望むことさえできないと思っていた幸せを、手に入れたのですもの」
「……ここまでついてきた甲斐がありました」
「何を言うの。私が何の為にお前を連れて来たと思っているの? お前自身もこの国で幸せになるのよ」
「…………」
シュリーのその言葉に、ランシンは黙り込んだまま答えなかった。
長年、弟のように思ってきた宦官へ向けて、シュリーは改めて目を細める。
「ランシン、有り難う。他でもないお前の顔を見て話したお陰で冷静になれたわ」
「私は何も……。私を遣わしたのはレイモンド陛下です」
静かにそう答えたランシン。
「そうでしょうね。あの人は、異端である私のことをよく分かって下さいますもの。きっとお前やリンリンのことも、理解して下さるはずよ」
「……私も、そう思います」
素直に頷いたランシンを見て、シュリーは口角を上げた。
「あら。いつの間に陛下と仲良くなったのかしら。妬いてしまいそうだわ」
ケラケラと笑いながら、シュリーは立ち上がった。
「それでは、陛下の元へ行こうかしら。どうせ皆さんお揃いなのでしょう?」
頭を下げたランシンを従えて廊下に出たシュリーは、そこで控えるリンリンに目を向けた。
「リンリン。私の陛下は、かつてお前を裏切った男のように不誠実な男ではないわ。あの陛下が、私というものがありながら不貞を働くわけないでしょう。お前も陛下のお人柄をよくよく見てきて知っているはずよ。だから今までお前が見てきた男と陛下を一緒にして威嚇するのは止めなさい」
「…………はい」
ばつが悪そうに頷いたリンリンを見て、シュリーは周囲に人がいないことを確認するとリンリンの頭を撫でてやった。
「良い子ね。お前には頼みたい仕事があるから、それまで大人しくしているのよ」
「……是!」
久々に仕事が貰えると知ったリンリンは、見えない尻尾を振り乱して喜んだ。
「では行きましょうか」
釧から連れて来た従者達と共に、シュリーは夫の元へ向かったのだった。
国王の執務室の前で声を掛けたランシンが扉を開けたその時、シュリーはふと違和感を覚えた。しかし。
「シュリー! 起き上がって大丈夫なのか!?」
シュリーの姿を見てすっ飛んで来た夫のお陰で、シュリーの思考は完全にレイモンドへと移った。
「陛下。大丈夫ですわ。お陰様でゆっくり休めましたもの。そんなことより、皆さんお集まりで今後の対応を協議中なのかしら」
「王妃様……!」
立ち上がったレイモンドの側近達が頭を下げる奥で、ジーニーもすっかり馴染んでそこに居た。
「面倒をお掛けしましたわね。事態の収拾は大変だったでしょう。それで、あの令嬢の件だけれど、私もあの時は少々気が動転しておりましたのよ。処分方法については今一度考え直そうと思いますの」
「王妃様、本当でございますか!?」
「シュリー、本当に良いのか?」
ホッと胸を撫で下ろした側近達とは違い、レイモンドは気遣わしげな目線を妻へと向けた。
「ええ。良いのですわ。ですからまずは、あの令嬢が何処の誰で、いったい何をどうして私の愛する陛下のことを侮辱するような口に出すのも悍ましい不愉快極まりない出鱈目でトチ狂った妄言を吐いていたのか、教えて下さるかしら」




