大才
「シュリー……」
ベッドに腰掛けた妻の前に跪き、その両手を取ったレイモンドは掛ける言葉を探しながら眉を下げた。
「大丈夫ですわ。分かっておりますのよ、貴方様のことは、微塵も疑っておりませんわ」
そんな夫に、シュリーは手を握り返しながら声を掛ける。が、その表情は暗いままだった。
「私はあのような令嬢のこと、本当に心当たりがない。私がこの生涯で恋をし、心を寄せ、愛するのはただ一人、妻であるそなただけだ。この命を賭けて誓う。私にとって恋人も妻も、そなた以外には有り得ない」
レイモンドの真っ直ぐな言葉はシュリーの凍て付いた心を少しずつ溶かしていった。
「……ええ、存じ上げております」
「具合はどうだ? 先程あれだけ大きな力を使ったのだ、どこか悪くなったりしていないか? 痛いところは? 苦しいところはないか?」
シュリーのあちこちを触って確かめる過保護で心配性なレイモンドに、シュリーの顔にも漸く微笑が戻った。あんな惨事を引き起こしても尚、レイモンドはシュリーを一人の女として扱う。他のことなど二の次で、シュリーを優先してくれる。
シュリーの力を見ても、父のようにその力を利用しようとすることも、兄のようにその力を嫉み憎悪することもなく、ただただ当然のように身を案じてくれる夫。
変わらぬレイモンドの大きな愛を受けて、いつもの調子を取り戻したシュリーは夫へ向けて目配せをした。
「大事ありません。少々歯止めが効かず、お見苦しい姿をお見せしてしまいましたわね。そんなことよりも、式典が台無しですわ。陛下はお戻りになって処理をなさって下さいませ」
「…………」
しかし、レイモンドはシュリーのその言葉には答えなかった。不思議に思ったシュリーが首を傾げる。
「陛下、皆が待っておりますわよ?」
「嫌だ。行きたくない。そなたと一緒にいたい」
拗ねた子供のように駄々を捏ね、シュリーの腹に抱き着くレイモンド。その様子にいつの間にかクスクスと笑っていたシュリーは、可愛い夫の顔を持ち上げてその頬に唇を寄せた。
「私はここでお待ちしておりますわ。何やら先程からとても眠たいのです。私は寝ておりますから、どうか行って下さいまし。貴方様はこの国の国王なのですから」
「……分かった。そなたと、ここに宿る子の為に、行ってくる。だからシュリー、そなたはゆっくり休んでいてくれ。念の為医者も呼ぶのでちゃんと診てもらうのだ。よいな?」
シュリーの腹に手を置き、真剣な表情をするレイモンドは、シュリーが頷いたのを確認して名残惜しげに立ち上がった。
「いってらっしゃいませ」
ニコリ、と。美麗に微笑み胸を張ったシュリー。その瞳はいつもの煌めきを取り戻し、真っ直ぐにレイモンドを見ていた。それだけでレイモンドの心は歓喜に打ち震え、漸く胸の痛みが和らいだ気がした。
「リンリン、どうかシュリーのことを頼む」
去り際、部屋の外で控えていたリンリンに声を掛けたレイモンド。だが、リンリンの反応は予想外のものだった。
「陛下の心配には及びません。娘娘には私がついております」
てっきり、いつも通り静かに頷くだけかと思っていたリンリンから微かな苛立ちを向けられて、レイモンドは一瞬面食らった。しかし、リンリンが主人であるシュリーを大切に思っている裏返しなのだと思えば、レイモンドにもその気持ちはよく分かった。
「そなたにも心配を掛けてすまない」
「……」
両手を組んで頭を下げたリンリンは、何も言わずレイモンドに背を向けてシュリーの元へ向かった。
会場に戻り、マドリーヌ伯爵達と合流して中途半端になってしまった式典の後始末に奔走したレイモンド。
王妃懐妊の発表やパレードは延期となり、会場を後にする貴族達からは、無礼な身の程知らずの令嬢のせいで折角の目出度い日が台無しだとエクレイア子爵家に対する不満と批判が爆発していた。
その中の一部には、絶対的に令嬢に非があると思いつつも、あれだけの惨事を引き起こしたセリカ王妃に対して恐怖心を抱く者もいた。
才能豊かでこの国に恵みを齎す女神のような王妃は、その一方で国を滅ぼす程の力を有している……、と。
一応の収拾をつけた国王とその側近達は、今後の対応や今回の騒動の発端となったエクレイア子爵家及び子爵令嬢に対する処分を検討することにした。
国王の執務室に集まる途中、レイモンドは、護衛についていたランシンを連れて妻の様子を見に夫婦の寝室に寄ろうとしたが、そこで思わぬ足止めを食らうことになる。
「娘娘はお休み中です」
扉の前に立っていたリンリンが、国王の入室を拒んだのだ。
「……一目だけでも、顔を見たい」
尚も食い下がる国王レイモンドを、リンリンは一蹴した。
「お医者様からは安静にと言われております。陛下がいらっしゃれば娘娘は目を覚ましてしまいます。どうかご理解下さい」
「シュリーの身に何かあったのか!?」
医者から安静にと言われた、という言葉を聞いて、レイモンドは心配で思わずリンリンに詰め寄っていた。
「大きな声を出さないで下さいませ。休息が必要なようです。いくら娘娘でも、懐妊中に無理は禁物のようです」
それを聞いたレイモンドは、今すぐにでも中に押し入りシュリーの様子を確かめたかったが、リンリンの言う通り。眠っているシュリーを起こしてしまうのは本意ではない。
歯を食いしばってグッと堪えるレイモンドの耳に、呑気な声が響いた。
「おー、凛凛は今日も可愛いなぁ。あ、藍芯もいるじゃないか。この国は天国か」
「ジーニー」
「陛下、お呼びだと聞きましたけど」
のんびりとした足取りでやって来た異国の貴公子は、宣言通りにアストラダム語をマスターして完璧に操っていた。
一目惚れした男の為に短期間で異国語を習得するという規格外ぶり。レイモンドの妻であるシュリーもシュリーだが、この公子も相当である。
「ああ。一緒に来てくれ」
少しだけ冷静になったレイモンドは、後ろ髪を引かれる思いながらも、ジーニーとランシンを連れて執務室に向かった。
国王の執務室では、ガレッティ侯爵、マドリーヌ伯爵、マクロン男爵が国王を待っていた。
重苦しい空気の中、国王レイモンドが口を開く。
「ジーニー。王妃はあの令嬢の処分をそなたに任せると言っていた。私もこの件に関しては王妃のしたいようにさせようと思っているが、王妃が言っていた人豚とは何なのだ?」
「あー、釧の刑罰の一つです。最も残酷な刑だなんて言われてますね。あまりにも残虐過ぎて、近年では全然執行されないんですよ、残念なことに」
「どのような刑だ?」
ジーニーは、国王の問いに楽しさを隠し切れず説明を始めた。
「この刑には楽しい工程が沢山あるんですが。まず、罪人の眼球をくり抜きます」




