如才
「本当にそんな命知らずの令嬢がいるのか?」
ところ構わず自分は陛下の恋人だと吹聴しているというエクレイア子爵令嬢の話を聞き額を押さえたマドリーヌ伯爵に、伯爵夫人は神妙な面持ちで頷く。
「実は先程、シュクリム男爵夫人が泣きながら訴えて来たのです。シュクリム男爵令嬢が着るはずだったドレスが、隣のタウンハウスのエクレイア子爵と子爵令嬢に強奪されたと。その際に今日の式典で王室からエクレイア子爵令嬢が新王妃となる発表がある、だから新王妃に跪いてドレスを寄越せ、と言い張っていたらしいのですわ」
「………………馬鹿なのか」
強盗を働いた上に王族侮辱罪及び不敬罪。確実に処罰の対象だ。しかし何がどうしたら王室からの重大発表がそんな馬鹿げた話にすり替わるのか。その辺の子供だって王室からの発表と聞いて王妃様がご懐妊されたんだと喜んでいるというのに。
元々エクレイア子爵は評判の悪い男で、先王が崩御された際は貴族派に寝返るのも国王派として粛清されるのも覚悟がつかず、領地に逃げ込んだ卑怯な男だった。まあ、そもそも国王派を粛清したフロランタナ公爵は、エクレイア子爵家など眼中にもなかったのでそんな中途半端な状態でも運良く生き延びたのだが。
その娘である勘違い令嬢が、何を以てしてそんな妄言を吐いているのか。
本気で頭の痛くなってきたマドリーヌ伯爵は、自分に伝えるという判断をしてくれた妻に感謝した。
「令嬢の悪評は有名でしたが、王妃様のご懐妊さえ公表されれば令嬢も諦めるだろうと思っていましたのよ。けれど、それを発表するこの式典で騒ぎを起こすつもりだなんて。……あなた、一刻も早く対処した方がよろしいわ。騒動を起こすだけならまだしも、もし王妃様のお耳に子爵令嬢の妄言が入りでもしたら……」
伯爵はサアッと青褪めた。自称レイモンド陛下の恋人、新しい王妃。そんな妄言を吐く令嬢とセリカ王妃が鉢合わせしたら……。何とかしなければ、頭の痛い馬鹿な令嬢のせいでこの国は終わる。
「そうだな。ガレッティ侯爵やマクロン男爵にも協力を仰いで王妃様のお耳に入る前に食い止めねば。まあ、その辺で騒いでる分には令嬢が何を言ったところで真に受ける国民はいないだろうが……」
と、そこまで言い掛けて伯爵は言葉を止めた。
確かにこの国の国民、それも国王夫妻を間近に見てよく知っている者であればある程、あの国王陛下が王妃以外を愛すなどと馬鹿げた妄言を信じる者はいないだろう。
しかし、この国には今、厄介な客人が来ている。
王妃の兄である、釧の皇太子。もし彼が、この騒動を知ったら。ただでさえ王妃を釧に連れ戻す口実を探している男が、国王の不貞の噂を利用しない手はない。最悪の場合、国王レイモンドの不貞を理由にセリカ王妃は釧に連れ戻され、国際問題に発展する可能性も。もしそんなことになれば……
アストラダム王国は超絶有能な王妃を失い、東洋の大国釧との諍いを押し付けられる。ついでに怒り狂った王妃による物理的な大損害を被り、更にその王妃は今、唯一の王族である国王の子を身籠っているときた。
「最悪だ」
事態が想像以上に逼迫していることに気付いた伯爵は、妻に礼を言ってすぐさま駆け出したのだった。
マドリーヌ伯爵からことの次第を聞いたガレッティ侯爵とマクロン男爵は、揃いも揃って青褪めながら、衛兵達も総動員し広い会場で傍迷惑な子爵親子を探し回った。
相手はただの貴族ではなく、強盗と不敬罪の容疑者。容赦はするなと兵達には伝えたが、伯爵が盛大に準備した会場は広く、王宮の広場まで含めるととても令嬢一人を見つけ出すのは難しい。
そうこうしているうちに、国王夫妻の登場の時間がやってくる。
惜しみない拍手で迎えられた国王夫妻は、それはそれは美しかった。
揃いの生地で作られた衣装を身に纏い、王族特有の金髪を揺らし愛する妻を見つめる若く美しき国王レイモンド二世と、東洋人独特の黒髪を艶やかに結い上げて見る者全てを魅了する美貌のセリカ王妃。
誰が見てもお似合いの二人は、うっとりとする観客に見守られながら中央まで進む。止まない拍手に手を振って応えながらも、事ある毎に互いを見遣る姿は仲睦まじく、何人たりとも入り込めない甘々しさが漂っていた。
心から愛し合っているのだと、美しい二人に思わず見惚れてしまっていたマドリーヌ伯爵は、それどころではなかったと頭を振って再びお呼びではない勘違い令嬢の捜索に戻った。
しかし、一向に令嬢は見付けられない。人が多過ぎる。レイモンド国王の権威を見せつける為に盛大な式典を用意し全家門を招待したのは他でもない伯爵自身。何としても、何としても大惨事だけは食い止めなければ。そんな思いで伯爵は仲間達と人混みを掻き分けた。
式典自体は滞りなく進む。大神官が国王陛下の即位一周年を祝う言葉を朗読し、騎士達が改めて国王夫妻に忠誠の剣を捧げた。
この後は国王陛下の演説の中で王妃の懐妊を国民に告げ、それからバルコニーでのお披露目や王都からセレスタウンを経由する盛大なパレードを予定していた。
予定通りに演説を始めた国王レイモンドは、愛する妻を引き寄せてその声を響かせた。
「ここで皆に喜ばしい報せがある。この度、私の愛する王妃がーーーー」
しかし、次の瞬間。
会場中が期待に胸を膨らませてその言葉を待つ中、国王の言葉を遮るようにして場違いな甲高い声が上がった。
「レイ様! 大事な私のことを忘れてるわよ!」
意味不明な叫びに、国王の言葉が止まる。人混みの中、大声で叫びピョンピョンと跳ねる一人の令嬢。周囲の訝しげな目がその令嬢に向かっていく。
「レイ様! レイ様! 私はここよ!」
それにも関わらず大胆に手を振る令嬢。このタイミングで声を張り上げるだなんて。想像以上の愚かさと絶望にマドリーヌ伯爵はこの世の終わりが見えた。
ーーーー間に合わなかった。
「あなたの恋人、新しい王妃のシャーロット様よ!」
会場中が、静まり返った。




