量才録用
翌日、金公子は、セリカ王妃の口車に乗せられてここまで来たことを後悔していた。
「まあ! これはまた何と上質な刺繍なのかしら……! ここの構造はどうなっているの!?」
王妃の弟子だという服飾職人のマイエに身包みを剥がされる勢いで衣服を観察され、際どいところまで覗かれそうになる金公子。
言葉も分からず、マイエの勢いにされるがままになっていた公子は、背後から感嘆の声が上がるのを聞いて虚ろな目で振り向いた。
「これがザクロですか! 釧の磁器によく描かれているのはこの果物だったのか。こちらではアレは玉ねぎだと思われていたんですよ。まさか果物だったなんて」
公子が持参した柘榴は先程から陶工のベンガーの手に渡り、あらゆる角度から観察されていた。しかし、それを手にしたシュリーがあろうことか公子の許可も得ずにザックリと実を割って中身を露わにしてしまう。
『ちょ、君! それはキョンシーの餌にしようとわざわざ釧から持って来た柘榴……』
「これは……! なんと美しい! 真っ赤なガーネットの粒がギッシリ詰まっているようだ」
公子の叫びは無視されて、零れ落ちた柘榴の赤い粒を見たベンガーが不思議な果実に興味津々で鼻息を荒くした。
その横で、ベンガーに連れられて来た絵付け師のダレルが一心不乱に柘榴をスケッチする。
「味も甘酸っぱくて美味ですのよ。ほら、陛下。食してみて下さいまし」
赤い果肉の粒を一粒口に入れて確かめたシュリーが、妻が心配で今日も来ていたレイモンドに実を食べさせてやる。
「うん。爽やかな味わいだな。しかし、公子はこれをキョンシーの餌だと言っていなかったか?」
「ええ。あまり一般的な方法ではありませんけれど、金公子はこの柘榴を餌にしてキョンシーを飼うのですわ。柘榴は元々その味が人の血肉に似ていると言われておりますの。ですから、人の血肉を求めるキョンシーの餌には打って付けなのでしょうね」
「人の血肉……」
それを聞いたレイモンドが二粒目に手を出すことはなかったが、幸いにも興奮しているベンガーには今の国王夫婦の話は聞こえていなかった。
「次回作の絵付けはこのザクロをメインにしましょう!」
ダレルのスケッチを見て興奮したベンガーが叫ぶ一方、金公子は頭を抱えた。
『はあ……服は脱がされるし柘榴は食べられるし、もう滅茶苦茶だ。阿蘭……じゃなかった、セリカ王妃。僕そろそろ帰りたいんだけど……』
泣きそうな顔で訴える公子に、シュリーは例の鉄壁の微笑を向けて言い放つ。
『ちょっとお待ちなさい。あともう一人来るのよ』
『いや、もういいよ。どうせまた変なのにこねくり回されるんだろ? 君の言葉に騙されてやって来た自分を恨むよ。こんなことならどんなに暇でも部屋で寝ているんだった……』
『どうせ暇ならいいじゃない。私の弟子達の手助けをして頂戴』
残りの柘榴を守るように手に取った金公子が勘弁してくれと抗議を口にしようとしたところで、突如突風が吹いたかのように扉が勢いよく開かれる。
「お師匠様、遅くなりまして申し訳ございません! 試作品をお持ちしました」
駆け込んで来たのはシュリーの魔術の弟子、魔塔主のドラド・フィナンシェスだった。
開発中の魔道具を改良するために徹夜したのか、普段から魔塔に閉じこもって青白い顔をしている男は、いつも以上に顔色が悪く、目の下には濃い隈ができていた。
そんなドラドを見て、金公子の手からポトリと柘榴が落ちる。
「………………好」
数秒の沈黙の後、思わず呟きを漏らした公子は、乱れた服装を急いで整えてドラドに近寄ると、今までののんびりした口調からは想像もできない早口で喋り出した。
『この生気を一切感じない死人のような青白い肌! 暗く翳った虚な瞳! まるで死んだ魚のようじゃないか。そして男なのに絶対的な陰の気配を漂わせる霊力。良い。実に良い。なんてことだ、まさかこんな理想の男がこの世にいるなんて!』
釧の言葉が分かるレイモンドは、これはまさか、と公子とドラドを交互に見てシュリーに目を向けた。
愛する夫からの無言の問いに気付いたシュリーは、楽しげに微笑んで頷いて見せる。それだけで妻のやらかしたことを察したレイモンドは、ただただ苦笑を漏らした。
「ドラド。彼は釧の魔術師、金公子よ。そのランプの術式を監修して貰おうと思って呼んだの」
二人の間に立ってドラドに公子を紹介したシュリーは、頰を染める公子に向けて釧語で説明した。
『彼はアストラダム王国の魔塔主で私の弟子、ドラド・フィナンシェスよ。私と一緒に魔道具を開発中なの。貴方にはこの術式を改良して欲しいのよ。夜になったら陰の気を燃料にして自動点灯するランプを作ろうと思うのだけれど、私の考えた術式では一般向けしないらしいわ。見てやって頂戴』
『彼の為なら何だってするさ。どれどれ……って、君。これは酷い。城を燃やす兵器でも作るつもりか? たかだかランプにこんなに強力な術式を組み込んでどうするんだ。ちょっと直すよ』
開発中のランプに施されたシュリーの術式を見た公子は、そのえげつない術式を描き直してあっという間に簡略化させた。
『これでいいんじゃないかな』
金公子が指を鳴らすと、ドラドが四苦八苦していた釧の術式を施されたランプは程よく明かりを灯した。
「……! お師匠様、彼は天才ですか? 是非もっと釧の魔術を教えて頂きたいです……!」
何をやっても爆発しそうになるランプに絶望していたドラドは、一瞬にして金公子へと尊敬の眼差しを向けた。
「勿論、彼は協力してくれるわ」
ニンマリと微笑んだシュリーは、公子へ向けて釧語で問い掛けた。
『彼は貴方にもっと色々教えて欲しいそうよ、金公子?』
『いくらでも手解きするよ! ああ、もどかしいな。こんなことならアストラダム語を勉強しておくんだった! 今からでも遅くないか。王妃、ランシンを借りてもいいかい? 明日までにアストラダム語をマスターしてくるよ』
『そうね。それがいいわ。貴方には今後も何かと役に立ってもらうつもりですもの』
『任せてくれ!』
公子はドラドを見つめるのに夢中で、シュリーの物騒な笑顔には気付いていなかった。それどころか喜び勇んで頷く始末。
ドラドを見つめる公子の目は、完全に恋をしているソレだった。
「だから言いましたでしょう? 私とあの公子の間には、何も起こり得るはずがないのです。あの男は生きている人間の女には興味がない、断袖(男色)の気があるのですわ」
こっそりと夫に耳打ちしたシュリーを見て、レイモンドは笑うしかない。
「まったくそなたは……こうなると分かっていて二人を会わせたのか?」
「あの男の趣味は分かりやすいのですもの。そして何かに夢中になるとその事にしか頭がいかないタイプですから、暫くはこちらの言いなりになるでしょうね。人間としては色々と終わっている男ですけれど、道士としての才だけは本物なのです。これを利用しない手はないでしょう?」
打算的であくどく、慈悲もないシュリー。そんな妻の姿にも惹かれてしまうレイモンドは、相変わらず愛おしげな瞳をシュリーに向けながら頷いた。
「確かに。そなたがそう言うのであれば、彼をこの国に留めておくのも良いのであろうな」
そしてレイモンドは、妻の思惑を後押しすべく公子へと声を掛けた。
『金公子……金黙犀殿。協力に感謝する。これからも王妃の弟子達を手助けしてやってくれるだろうか』
『あー。それは構いませんけど。その金黙犀と呼ぶのは止めてくれませんか。金木犀みたいな字で好きじゃないんですよ。もう面倒だから、今後は僕のことを金益と名で呼んでくれていいので』
すっかり気を許した公子がそう言えば、レイモンドは目を瞬かせた。
『しかし……名で呼ぶのは相手の魂を支配する無礼な行為ではなかったか?』
『ふん。名で呼んだくらいで魂を支配されてちゃ堪らないですよ。僕は僕だ。いちいちそんな迷信に怯えるわけないでしょう』
当たり前のようにそう言ってのける異国の貴公子を見て、レイモンドは目を細めた。
『ではこれから宜しく頼む、ジーニー』
そう呼び掛けられた公子は一瞬だけ惚けた後、クスクスと笑うシュリーを見て観念したように苦笑した。
『はい、宜しくお願いします。国王陛下』




