王妃の異才
レイモンドが呼んだドレス職人は、昼前にやって来た。
「国王陛下、王妃殿下に拝謁致します」
マイエと名乗ったその職人は、王都で一番人気の洋服店のデザイナー兼裁縫師だという。しかし、国王レイモンドの手前礼儀正しく挨拶しているが、王妃であるシュリーには目を向けようともしない。その様子に口角を上げたシュリーは、頭を下げたままのマイエに上から話し掛けた。
「早速だけれど、ドレスを一着お願いしようと思うの。今の流行が分かるようなカタログを見せてくれるかしら?」
「え……!?」
王妃を異国人だと小馬鹿にしていたドレス職人マイエは、流暢な言葉で話し出したシュリーに固まった。
「あら。何か問題でもあって?」
漸く顔を上げてシュリーを見たマイエは、王妃のエキゾチックな美貌に息を呑む。しかしすぐに首を振って再び頭を下げた。
「い、いえ! 滅相もございません! 光栄にございます、すぐにカタログをお持ち致します!」
店の最新版だというカタログを受け取ったシュリーは、パラパラと捲りながら何の気なしに問い掛けた。
「随分と濃い色のドレスが流行っているのね。襟元は派手に大きくして胸元を隠すの?」
「さ、左様でございます。この型のドレスでしたら、すぐにご用意できます! 今夜の夜会にも間に合います!」
マイエが指したのは、深緑色の何とも言えない絶妙に陰気臭いドレスだった。ツンツンと飛び出した襟周りは悪趣味としか言いようがない。
「ふーん? リンリン、ランシン。例の物を持って来てくれるかしら?」
「「是、娘娘(はい、王妃様)」」
一糸乱れぬ動きで両手を前に組んで頭を下げたリンリンとランシンが、シュリーの荷物を取りに行く間、シュリーは夫のレイモンドへ甘い笑みを向けた。
「陛下、この国で絹は金と同じ価値がありますのよね?」
「ああ。釧のみで作られるシルクと美しい陶磁器は、この国を始めとした周辺諸国で非常に人気が高い。それこそシルクは同じ重量の金か、上級品であれば倍の重量の金で取引される。それらの交易を有利にする為、貴族達は私とそなたの婚姻を無理に進めたのだ」
「釧は釧でこの国の宝石を安価に輸入したい思惑があったのですわ。欲にまみれた政略結婚ですが、私はお相手が陛下だったこと、大いに満足しておりましてよ」
手を握り、しな垂れ掛かる妻を受け止めながら、レイモンドは僅かに口元を緩ませた。
「……私もだ」
小さく呟いた夫の声を聞き逃さなかったシュリーは、夫に見えない角度でほくそ笑む。
「あ、そうですわ。実は私、嫁入り道具を色々と釧より持って参りましたの。その中に最高級の絹もございまして、持て余して困っていたのです」
シュリーは、タイミングよく戻って来たリンリンとランシンに命じて、マイエの前に大量の絹織物を置いた。
「おっ、王妃様!? この最上級のシルクはいったい!?」
滅多にお目に掛かれないような、輝かんばかりの上質な生地を前に、職人であるマイエの目が煌めき、絹に魅せられた羨望と驚愕のその顔は、涎を垂らしそうな勢いだった。
「お近付きのしるしに貴方に差し上げようかと思って。これでドレスを一着作って下さる? 余りは差し上げるわ」
「本当ですか!? これだけあれば、特上の最高級ドレスが五着は作れます! この量、それも最上級のシルクをタダで!?」
感涙を流しながら手を伸ばしたマイエから、シュリーは絹を遠ざけた。
「……と思っていたのだけれど、貴方の態度次第では考えさせて頂くわ。それで、改めて聞くけれど、これは本当に最新版のカタログなのかしら?」
シュリーがカタログをヒラヒラと振ると、マイエは慌てて頭を下げた。
「申し訳ございません! うっかりしておりましたわ、それは流行遅れのものでございます。最新版はこちらに」
「どうもありがとう」
マイエが差し出したカタログをスッと取ったシュリーは、絹の塊をマイエに向かって投げた。大量の布地が綺羅綺羅と輝きを放ちながら宙を舞う。
それを後生大事に抱えたマイエは、そのあまりにも見事な肌触りに感嘆しうっとりと見惚れた。
一連の様子を見ていたレイモンドが、眉間に皺を寄せる。
「そなた、まさか王妃を騙そうとしたのか?」
「そ、それはっ……」
絹に夢中になっていたマイエが顔を青くすると、意外にもシュリーが夫を宥めた。
「陛下、どうぞ赦して差し上げて下さいまし。私でもそうしますわ。流行どころかドレスの何たるかも分からない異邦人に、時代遅れの在庫品を売り付けたいのは商売人として当然の発想ですもの。ねえ、マイエ?」
ニッコリと微笑むシュリーを見て、マイエは背筋が凍った。何もかもを見透かされていたのだと知り、目に見えて不快そうな国王よりも、にこにこと美しく微笑み何を考えているか分からない異国人の王妃に畏れを抱いたのだ。
「申し訳ございませんでした! 全身全霊を傾けて王妃様のお手伝いを致しますので、どうかお赦し下さい!」
ガタガタと震えて土下座するマイエへと、シュリーはカタログを眺めながら優しく声を掛けた。
「良いのよ。代わりに私の役に立ってくれるのなら些細なことは水に流すわ。それで、流行遅れのものとは違って、最新のカタログでは淡い色調のものが流行っているようね」
今度こそマイエは、最先端のデザイナーとして正直に答えた。
「さ、左様でございます! 今年は淡いパステルカラーが主流です! それと、胸元は大胆に露出し、スカートはふわりと広げ、腰にはコルセットを巻いてきつく締め上げ細く見せるのが最先端でございます」
説明しながらマイエが取り出したコルセットを見て、シュリーは腹を抱えて笑い出した。
「あははっ! 西洋の方は大変ですのね。こんなものを巻かないと醜い体型を隠せないの? 私には必要ありませんわ。そうでしょう、陛下?」
「ん?」
何故自分に聞くのかと不思議そうなレイモンドが首を傾げると、シュリーはにんまりと意味深な笑みを夫へ向けた。
「陛下は私の腰がどれほど細いか、よくご存知ではありませんか。昨晩あんなに強く掴んで放して下さらなかったのですもの」
「んん゛ッ!?」
急に咳き込んだレイモンドは顔中を真っ赤にして妻を睨んだ。
「な、何を言い出すのだ、人前で……やめなさい」
「あら。私のシャオレイはそんなに赤くなって、今更初心なふりをなさるの? 昨夜はあんなに激しくまるで獣のように……」
「シュリー! 頼むから勘弁してくれ……」
茹で蛸のように赤くなったレイモンドが額を押さえると、それを見たシュリーは満足そうに目を細めた。昨日初対面で婚姻したばかり、それも政略により無理矢理夫婦となったとは到底思えない二人を見て、マイエは愕然としていた。
職業柄、様々なカップルを見てきたマイエでさえ、二人の醸し出す独特の熱量についていけなかった。そんな中、壁際に立ち涼しい顔で平然としているリンリンとランシンを見て、マイエは釧国人への偏見と誤解を改めざるを得なかった。
「それで。マイエ、淡い色合いと開いた胸元、腰部分を細く、ふわりと広がる裾。これが今のドレスの流行で良いかしら?」
イチャイチャしていたかと思った王妃に話しかけられ、マイエは慌てて姿勢を正す。
「左様です。あとはそうですね……パートナーの男性と色味や小物、生地を合わせるカップルコーデも人気ですわ。これをやれば互いにとても上手くいっているカップルとして認知されますわよ」
「まあ。それは絶対に取り入れないと! 陛下、陛下の衣装はどちらです? 拝見することはできまして?」
目を綺羅綺羅と輝かせる妻を見て、レイモンドは今日着る予定の衣装を急いで持って来させた。
到着したレイモンドの盛装用の衣装を眺めながら、シュリーはふむふむと頷く。
「白地に紫……留め具と装飾は金ね。成程。リンリン、ランシン」
シュリーの言葉に、控えていた二人が即座に反応し跪いた。
「釧から持って来た衣装の中で、糖時代のものを白と紫を中心に取ってきてくれるかしら。簪は金で、それから金糸と針も持ってきて頂戴」
頭を下げて再びシュリーの荷を取りに行った二人を見送って、レイモンドが気遣わしげに妻を見た。
「シュリー、何をする気だ?」
「うふふ。私の祖国は、とても長い歴史がございます。その中で衣服も様々な型が生まれましたわ。ちょうど王朝を二つほど遡った頃に流行った型が、今この国で流行っているものによく似ておりますの。釧風の情緒を演出しつつ、流行を取り入れた衣装で登場すれば、『セリカ王妃』として相応しいお披露目になりますでしょう?」
クスクスと笑うシュリーは、運ばれて来た数着の衣装からパーツを選び抜いて組み合わせると、あっという間にレイモンドの衣装の隣に並べた。
それを見て最初に声を上げたのは、マイエだった。
「完璧です、王妃様……! まるで示し合わせたかのように色味も揃っておりますし、何よりこの釧の衣装! このように美しく透けるような素材、初めて拝見しましたわ! 釧の衣装は色味が派手で窮屈そうな詰襟しかないと思い込んでおりましたのに、このように洗練された衣服があったなんて……!」
感激するマイエとは対照的に、シュリーは肩をすくめた。
「この程度で終わりではありませんことよ。陛下には私の手のものを身に着けて頂きませんと」
そう言って金糸と針を取り出し、レイモンドの衣装からクラバットを抜き取ったシュリーへと、レイモンドが声を掛ける。
「それをどうするのだ?」
夫からの問い掛けに、シュリーは美麗に微笑んだ。
「私、刺繍には多少の心得がございますの」
そうしてスルスルと流れるような手付きでレイモンドのクラバットに見事な刺繍を施したシュリーは、それを夫の首元にあてた。
「とってもお似合いですわ」
レイモンドは驚嘆しながら妻が仕上げた刺繍を見た。寸分の狂いもない、見事な金の蘭だった。
その間にシュリーは、己の上衣にも同じ紋様の刺繍を施した。
改めて並べると、二つの衣装は色味が似ている上に同じ模様の金の刺繍が入ったことで、最初から揃いで誂えたかのように完璧に調和が取れていた。
「王妃殿下! どうか私を弟子にして下さいませ!」
この仕上がりを見たマイエが、跪いてシュリーに頭を下げる。
「あらあら、まあまあ。私、釧では弟子を取るのが趣味でしたのよ。でも今は陛下の妻としての役目がありますもの。陛下の許可を頂きませんと」
シュリーの目線を受けたレイモンドは、楽しげな妻と懇願するマイエを交互に見て溜息を吐いた。
「そなたの好きにしたら良い」
にんまりと微笑んだ王妃シュリーは、期待の眼差しを向けるマイエに向かって手を差し出した。
「よろしくてよ。貴方をこの国で迎える最初の弟子としましょう。誠心誠意私に仕え、全身全霊で教えを乞いなさい」