才覚
国王レイモンド二世の即位からもうすぐ一年。
即位一周年の式典に向けて準備が進められる忙しない中で、王妃の懐妊という慶事。一足先に報せを受けた国王夫妻に近しい者達はそれはそれは喜びに沸き立っていた。
これでこの国は安泰だ、と喜びを噛み締める一方、招かれざる釧の皇太子一行のこともあり、王妃の懐妊をいつ公表すべきかは意見が分かれた。議論された結果、正式発表はレイモンド二世の即位一周年を祝う式典の際に行うことが決まった。
そんな中、渦中のセリカ王妃ことシュリーは変わらずに忙しい日々を過ごしていた。
「次の新作は男性用の釧風衣装を考えておりますの」
「あら、それは良いわね。丁度モデルになりそうな釧の使節団も来ているし、この際だから陛下と私の揃いの衣装を作って頂戴」
シュリーの弟子達、マイエ、ベンガー、ドラドがそれぞれ王妃への報告を行う定期報告会。懐妊について聞かされた三人は師へと盛大な祝辞を述べた。が、仕事人間の彼等は次の瞬間にはこの機を逃すものかと王妃へ仕事の相談を順に持ち掛け始めた。忙しいシュリーとの時間は、彼等にとって何よりも貴重なのだ。
シュリーはそんな弟子達の態度に特に気を悪くすることもなく、いつものように話を聞いてやり、気安く接した。
「釧の男性衣装は西洋のものとは全く違っておりますから、もっと勉強させて頂きたいのですけれど、使節団の方々の衣装を間近で拝見することはできますでしょうか?」
「難しいことではないわね。手を考えてあげるわ」
「ありがとうございます、お師匠様!」
マイエがホッと胸を撫で下ろすと、その隣からベンガーがずいっと前に出た。
「王妃様、こちらも磁器の新しい図案を検討中です。何か革新的でより異国情緒に溢れた図案はないでしょうか」
次はマイスン工房のベンガーがこれまで作った図案をシュリーに見せる。
「ふむ……そうね。絵付けはダレルが担当するのかしら?」
「ええ、彼は優秀ですから。新作は彼に任せようと思うのですが、何か参考になるようなものがあればと」
マイスン工房で専属の絵付け師として活躍するダレルとは、故フロランタナ公爵の子息であり、母である元フロランタナ公爵夫人と共に平民に降格されてセレスタウンに身を寄せている青年だった。
虚弱体質で難聴を患ってはいるものの、彼の絵の才能を見抜いたシュリーにより抜擢され、今ではマイスンから出る人気作はその殆どが彼が手掛けたものだった。
「分かったわ。それも何か手を考えましょう」
「助かります、お師匠様!」
王妃がそう言ってくれるのであれば、絶対にハズレの無い案をくれるだろう。安心したベンガーは大人しく下がり、入れ代わりにドラドがシュリーの前に跪いた。
「お師匠様。お師匠様の仰った場所を確認しました。やはり、例のものが見つかりました」
「あら、そう。それは何よりだわ。運用には問題なさそうかしら?」
「恐らく。しかし、念の為分析中です。もう暫しお待ち下さい。それとランプの件ですが、少々手間取っております」
「何が問題なの?」
「お師匠様の考案された術式は完璧ですが、魔力の使用量が多過ぎて実用化には不向きです。魔力のない者が使用することを考えれば、もっと簡略化する必要があるのですが……」
「あれ以上、簡略化するですって? 充分簡単にしたつもりだったのだけれど。……普通の人間は、あれしきの術式も扱えないものなの?」
心底驚いたように呟くシュリーに、ドラドは無言ながらも目を逸らした。シュリーはドラドと共に釧の魔術を融合させた新たな魔道具を開発中なのだが、正直に言って規格外なシュリーの基準で魔道具を作ろうとすれば、兵器級の威力と高度な魔術力が必要になる。ドラドでさえ扱えない魔道具を実用化するのは非常に厳しい。
ドラドの無言の落ち込みようにそのことを悟ったシュリーは、改めて目を閉じ頭を働かせた。
「ふむふむ、成程。よろしいわ。お前達の悩みを全て一度に解決する方法を思い付きましてよ」
「ほ、本当ですか!?」
「流石はお師匠様です!」
「……!」
「明日、同じ時間にここにいらっしゃい。その時までに準備をしておくわ」
頼もしい師に感激した三人は、深々と頭を下げてその場を辞した。と、そこへとんでもなく速足な国王レイモンドが入れ代わりにやって来る。
頭を下げる面々に手を上げて合図だけして、そのまま一目散に王妃の元へ向かうレイモンド。
「シュリー!」
「あら、陛下! また来て下さいましたの?」
セカセカとそれはそれは驚きの速度でシュリーの元までやって来たレイモンドは、シュリーの隣に腰を下ろすと妻の体をあちこち確認し出した。
「どこか変なところはないか? 痛いところは? 苦しいところは?」
「つい先程お会いした時も問題ないとお答えしたばかりではありませんか。本当に大事ありませんわ」
時間を見つけては速足でシュリーの様子を確認しに来るレイモンドに、シュリーはニヤける頰をそのままにして楽しげな目を向けた。
「また仕事の話をしてたのか? あまり無理をしないでくれ。そなたの体に何かあってはどうするのだ」
大真面目に言ってのけるレイモンド。手に付かない仕事を無理矢理終わらせてはシュリーの元にやって来て、また再び政務に向かったと思えばすぐにまた戻って来るレイモンドの方が余程無理をしているのではないかとシュリーは思うのだが、真剣な夫がどうにも可愛くて困ってしまう。
「陛下、私はそこまで軟弱ではないと申し上げているではありませんか。身籠っているとは言え、私の強靭さに変わりはありませんのよ。ですからそんなに心配しないで下さいまし」
クスクスと笑いながらシュリーがそう言えば、レイモンドは尚も真面目な顔で妻の手を取った。
「シュリー。私はそなたが強いことはよく知っている。そなたは誰よりも強靭で、軟弱とは程遠い。しかし、それでも私はそなたのことを心配してしまうのだ。何故だか分からないか?」
「はて。何故なのですか?」
「そなたが大切だからに決まっているだろう」
「……ッ!」
「そなたが大切だから、ほんの少しも苦しい思いをさせたくない。いつも笑って健やかにいて欲しい。だからこそ、どんなに強くとも、私はそなたが心配で堪らない」
「シャオレイ」
頰を染めたシュリーをレイモンドが抱き寄せる。この一連のパターンを本日四度も繰り返している二人。毎回感激して目を潤ませるドーラと、無表情のリンリンとランシン、もう頼むからいい加減にしてくれと、王宮中を忙しなく動き回る国王に付き従って疲弊し切り白目を剥く護衛騎士達。
「そうですわ、陛下。少々お時間はございます? これから散歩に行くのですけれど、ご一緒しませんこと?」
「散歩? 転んだらどうする気だ」
「ですから。これ、このように。手を繋いで下さいませ」
いつもの型に嵌ったエスコートではなく、指と指を絡め合わせ。街中で歩く平民のカップルのように手を繋いで見せたシュリーは、悪戯な瞳を夫に向けた。
愛してやまない妻のその顔に勝てるわけもないレイモンドは、シュリーの望むままに庭園へと向かったのだった。
今日も今日とて、周囲の目を気にせずイチャつく国王夫妻。王宮中の生暖かい視線を感じながらも、目的を持って進むシュリーは、計算通りにお目当ての男を見付けた。
『これは幻覚かな。あんなに男を毛嫌いしていた朝暘公主が男と手を繋いで歩いてるだなんて。寝過ぎて頭がおかしくなったんだろうか』
タイミングよく通り掛かった金公子が、何とも言えない残念な目で二人を見る。
『幻覚でも何でもなくてよ。それに、貴方の頭がおかしいのは元からだわ』
『それもそうだ』
自分の頭がおかしいと自覚のある金公子は、うんうんと頷きながらもシュリーを見た。
『んー? 蘭蘭……じゃなかった、セリカ王妃様。この前会った時は気付かなかったが。君、何やら妙だな』
『あら、何かしら。貴方の戯言に構っている暇はないのだけれど』
『君から別の気配を感じる。ふむ……。君の莫大な霊力に隠れているが、君の中から別の霊力が溢れてるぞ? 誰かの霊力を取り込んだのか? いや、これはどちらかと言うと……』
ブツブツと呟きながらシュリーの周りを回った金公子は、繋がれたままのレイモンドとシュリーの手を見てあることに思い至った。
『ははあ。成程なぁ。君、孕んだのか。朝暘公主と異国の王の子……なんだ、滅茶苦茶面白そうじゃないか』
手を叩いた金公子は、ニヤニヤと仄暗い笑みを浮かべた。




