詠雪之才
「そういうわけで、今回の式典は盛大に行う予定です」
「ふむ。……少々大仰過ぎやしないか?」
マドリーヌ伯爵が主導となり進めているレイモンド二世の即位一周年式典について報告を受けたレイモンドは、その規模の大きさに頭を抱えたくなった。
「いいえ。これくらいが丁度良いのです。今や我が国は王妃様のお陰で西洋中の注目を浴びています。この機を逃す手はありません。陛下の権威を国内外に知らしめるのです!」
ここぞとばかりに力説するマドリーヌ伯爵を見て、レイモンドはこれも王の務めかと諦めることにした。
「この件については伯爵に任せる。良いように進めてくれ。それにしても、これでは即位式の時より余程派手になりそうだな」
「その、陛下の即位式は……」
言い淀むマドリーヌ伯爵の言わんとすることは、その場にいる誰もが分かっていた。
一年前、レイモンドが早急で簡素な即位を強いられた背景には、先王の崩御とフロランタナ公爵の思惑があった。
先代の国王であった父と、王妃だった母、王太子であった兄。家族を一度に亡くしたレイモンドは、失意の中で見せかけの王冠を押し付けられるようにして即位した。
全てはレイモンドの家族を死に追いやり、いずれ自分が王位に就こうとしていたフロランタナ公爵の策略であり、レイモンドの権威を貶めるために即位式は敢えて縮小され粗末に行われた。
当時のことを思い出し、レイモンドは静かに虚空を眺めた。
当時、叔父であるフロランタナ公爵に軽んじられることは、レイモンドにとってそこまで苦痛なことではなかった。そんなことよりも、レイモンドは家族を失ったことが何よりも辛かった。
父と母と兄のことを、レイモンドは心から愛していた。〝家族〟の温かみを知っていたからこそ、それを失った苦しみでレイモンドの世界は一瞬にして色と温度を失くした。
しかし、そんな悲しみに囚われている暇もなく、レイモンドの元に異国の姫君が嫁いでくることになった。それが他でもないセリカ王妃であり、レイモンドが何よりも愛する妻、シュリーだった。
シュリーのお陰でレイモンドの人生は色と温度を取り戻し、家族を失い全てに絶望した悲痛な夜は終わりを告げたのだ。
「陛下……」
「ああ、すまない。問題ないのでそのまま進めてくれ」
側近達の心配そうな目線に気付いたレイモンドは、昏い瞳を払い除けて明るく微笑んだ。
「そなた達には苦労を掛けるが、宜しく頼む」
紆余曲折を経てレイモンドに忠誠を誓った側近の三人は、国王の信頼に応えるため決意を新たに頭を下げた。
政務を終えたレイモンドが愛する妻の元に向かおうと腰を上げたところで、釧の皇太子一行の案内役を終えて控えていたランシンが視界の端に入った。
元々シュリーの従者であるランシンは、眉目秀麗なだけでなく非常に有能で、武の才もあると言う。そのためシュリーは護衛も兼ねてよくレイモンドの元にランシンを遣わせていた。
有能なランシンが側にいて特に困ることもないので、レイモンドは妻の厚意を素直に受け入れて好きにさせている。妻のために釧の言葉を覚えた際には、ランシンに随分と助けられた。
そういった経緯もあり、レイモンドは常に妻の側を離れないリンリンよりも、このランシンとは少なからず打ち解けていると思っていた。
「ランシン。何かあったのか?」
そんなランシンが、その日は妙に沈んで見えた。
国王からの思いがけない問いに、ランシンは珍しく驚いた顔をしてレイモンドを見上げる。
妻と同じように美しさの中にも幼さの残るその顔立ちを見て、レイモンドはいつも生真面目で無口だが頼り甲斐のある彼が、急に少年のように思えてきた。確かシュリーの話では、ランシンはレイモンドよりも歳下なはず。
余計に心配になったレイモンドがランシンの前に来ると、戸惑いながらもランシンは口を開こうとした。
しかし、何かを言い掛けたランシンは声を出すこともなくそのまま口を閉ざしてしまう。
「ランシン、何か悩みがあるのなら……」
「陛下!!」
と、そこで。息を切らしたドーラが盛大に執務室の扉を開けて走り込んできた。
「陛下、一大事です! 今すぐ来て下さい! 王妃様がッ!!!」
顔面蒼白のドーラに、レイモンドの体温も急降下する。まさか、シュリーの身に何かあったのか。取り乱すドーラから事情を聞いたレイモンドは、ランシンと共に執務室を飛び出したのだった。
「シュリー!」
夫婦の寝室に駆け付けたレイモンドは息を切らせながら、ベッドに横たわるシュリーの元へ一目散に駆け寄った。
そこには気怠げに寝転ぶ妻が、面白いものを見るような瞳をレイモンドに向けて待っていた。
「あら、陛下。そんなに焦って如何なさいましたの?」
「ハアッ……ハアッ……そなたが、わざわざ医者を呼んだと聞いたのだ。どこか悪いのか? 大事ないか?」
今まで病気どころか馬車ごと崖から落ちた時でさえ擦り傷の一つも負わなかった健康体そのもののシュリーが、医者を呼ぶなんて余程のことがあったのではないか。神妙な面持ちでシュリーの両手を握るレイモンドを見て、シュリーは楽しそうにケラケラと笑い出した。
「大事ございませんわ。私の見立てだけでは少々確信が持てなかったものですから、念のため医者を呼んだのですが、間違いなさそうです。陛下、どうやら餃子の効果が今更出たようですわよ」
「…………餃子?」
何のことかさっぱり分からないレイモンドは、妻の言葉を反芻し記憶を辿った。
餃子。釧の料理で、以前シュリーが作ってくれたものだ。なかなかに美味だったのは覚えている。確かあの時は議会の後で……と徐々に餃子の話を思い出し始めたレイモンド。
餃子は釧では婚姻式でよく食されるものだと聞いた。
『この餃子を食して交われば、子宝に恵まれると言われているからですわ』
あの時シュリーに言われた言葉を思い出して、レイモンドはハッと妻を見た。
「まさか」
ニンマリと微笑んだシュリーは、夫の手を取り自らの腹に導く。
「どうやら、その〝まさか〟のようなのです」
「…………」
シュリーの腹を見たまま放心したレイモンドは、何も言わず暫く呆然としていた。
「陛下?」
思っていたのとは違う夫の反応が気になり身を起こしたシュリーは、レイモンドの黄金の瞳を覗き込んでクスクスと笑い出した。
「あらあら、まあまあ」
その柔らかな金髪に手を通し、愛する夫を胸元に抱き寄せるシュリー。
「まったく私のシャオレイは、泣き虫だこと」
そしてそのまま後ろに控えているドーラとランシン、リンリンに目を向けた。
三人が頭を下げて寝室から出て行くのを見送って、静かに肩を震わせるレイモンドへ口付けを落としていく。愛する夫の子をその身に宿した王妃は、いつもの高慢で自信に満ち溢れた調子で美麗に微笑みながら胸を張った。
「貴方様の家族を、二度と誰にも奪わせたりは致しませんわ。他でもないこの私がこの子を守り抜いてみせますのよ。ですからどうか、安心なさって下さいまし」




