尺二秀才
『久しぶりねぇ、金公子』
盛大な欠伸で周囲の注目を集めた公子へ向けて、シュリーは淡々と声を掛けた。
『あぁ、阿蘭(蘭ちゃん)じゃないか。久しぶりだな。まだ生きていたのか、とても残念だ』
のんびりした口調の昔馴染に、シュリーは鉄壁の笑顔を向ける。
『その馬鹿げた呼び名で呼ばないで頂戴と昔から言っているのだけれど。貴方も相変わらずですこと』
『おっと、これは失礼。君はこの国の王妃になったんだった。気安く呼ぶのは控えるよ』
表面上は笑顔だが、どこか殺伐とした雰囲気の二人の会話。レイモンド以外には見分けがつかないだろうが、シュリーのその笑顔は本気で苛立っている時の笑顔だった。
非公式とは言え愛する妻に許婚がいたと知り面白くない思いだったレイモンドは、シュリーの言う通り本当に二人の間には何もないのだと確信して一先ず息を吐いた。
『それにしても意外ね。まさか面倒臭がりの貴方がこの国に来るとは思っていなかったわ』
『正直に言って、僕も迷惑してるんだ。何が悲しくてこんな西洋の果ての小国まで連れて来られなきゃならないのか。しかし、皇帝陛下の勅命とあらば逆らうわけにもいかないだろう? 上手いこと逃げ出して自由を得た君が羨ましいよ、蘭蘭(蘭ちゃん)』
口調だけはゆったりとしつつも嫌味を言ってくる公子に向けて、シュリーの笑顔が更に威圧感を増す。
『いちいち巫山戯た呼び名を付けないでと言っているでしょう。生身の女に興味が無いからと、礼儀くらい覚えないと。この先嫁を貰うことも一苦労でしょうね』
『ああ……。生きた女なんぞ要らぬと言うのに、金の一族も皇帝陛下も僕を放っておいてはくれないんだ。最近ではあまりに五月蝿いので、僕に興味のない君を娶るのも悪くないのでは……と思い始めていたんだが。どうやら僕と同類だと思っていた君は見事に相手を見付けたらしい。本当に君が羨ましいな、小蘭(蘭ちゃん)』
その時、ふとシュリーからレイモンドへと目線を移した金黙犀と、レイモンドの視線がパチリと合わさった。
「…………?」
妙な悪寒を感じたレイモンドを守るように、シュリーがその視線を遮り前に出る。
『私はレイモンド陛下の妃、セリカ王妃よ。この先は私のことをそうお呼びなさい。そして、私の愛する夫を穢らわしい目で見るのは止めて頂戴。まさか、私に半殺しにされた時のことを忘れたわけではないでしょう?』
『分かった。僕はまだ死にたくない。言う通りにするよ。それにしても……セリカ王妃か。君の旦那様は、なかなかにいい男じゃないか。君がそこまで本気になるなんて、少し興味が湧いてきたな。こんな小国まで来るのは本当に苦労したが、面白そうなことを見つけて嬉しいよ』
シュリーは金公子の言葉を無視してレイモンドに向き直ると、その手を握り甘えるように擦り寄った。
「陛下、あの通りあの男は少々頭のおかしい奇人なのです。見てお分かりと思いますが、私とあの男との間には何の関わりもございません。そもそもあの男は、生きている人間の女には興味のない変態なのですわ。ですから陛下も無闇にあの男に近付いてはなりませんことよ」
「生きている人間に興味がない、とは…?」
何やら物騒な言い回しが気になってレイモンドが首を傾げると、シュリーは呆れたように肩をすくめた。
「彼の家は道士の名家でして、こちらで言う魔術師の類なのです。その中でもあの男の才は一目置かれているのですが、あの男が好んで使う術は死者の魂を呼び戻す反魂術や、死体を操る趕屍術など死に関わるものばかり。死体を見れば狂喜乱舞し、こねくり回して喜ぶような男なのですわ」
「…………」
レイモンドは改めて異国の貴公子を見た。見た目はごくごく普通の、整った品の良さそうな顔立ちの男だが、少々普通ではない趣味を持っているらしい。釧には変わった男もいるものだ。
一方、公子や夫婦の会話から完全に蚊帳の外になっていた皇太子紫鷹は、静かに怒りを募らせていた。
『金公子! もっと他に言うことはないのか? わざわざ貴殿を連れて来たのは何の為だと思っているのだ!?』
釧を出発した時から今この時に至るまで、ずっと非協力的な態度の公子に苛立ちを露わにした紫鷹。それに対し、金黙犀は悪びれることなく答えた。
『いやいや殿下、僕如きがあの女を動かせるわけないじゃないですか。何を言っても無駄ですよ。いくら僕が鬼才と言えど、朝暘公主の前では赤子も同然です。僕は死体が大好きですが、自分が死体になるのは御免なので』
当然のことのように言われ、紫鷹は頭痛を覚えながら深く溜息を吐いた。そして再び妹へと鋭い視線を向ける。
『おい、紫蘭。時に、この縁談話を持って来たフロランタナ公爵は何処だ? 元々この取引は公爵を主導に行われたはず。この件については公爵と話がしたい』
皇太子の問いに、レイモンドとシュリーは顔を見合わせた。
『……彼は死にましたわ』
シュリーが答えると、皇太子は驚きに目を見開いた。
『なっ!? 死んだだと!? ……で、ではフロランタナ公爵の側近、アルモンド小侯爵は何処だ!?』
『彼も死にました』
シュリーが更に答えると、口をぽかんと開けた皇太子は徐々にその身を震わせ始めた。
『何故……まさか、お前の仕業か……! 雪紫蘭! いったい何をしたんだ!?』
『心外ですわね。特に何もしておりませんわ。彼等は罪に見合った罰を受けたまでですわ』
『罪だと!?』
『釧が公爵とどのような取引をしていたのかは存じ上げませんが、彼等は先王陛下を暗殺したばかりか私の暗殺を企てた反逆者です。家ごと取り潰しになりましたわ』
それを聞いて、皇太子は頭を抱えた。
『はあ……。朝暘公主を暗殺? 無謀にも程がある。ただの死にたがりではないか。どうしてくれるのだ、取引の当事者がいなければ、釧側には損失しか残らないではないか……』
肝心の妹は国王に夢中で、その国王は得体が知れない。釧から連れて来た協力者は無気力で、取引相手は既にあの世。完全に八方塞がりの中、想像以上に最悪の事態だったことを認識した紫鷹は、頭を抱えながらも目の前の国王と妹に宣言した。
『とにかく! 我等は紫蘭を連れ戻す為にここに来た。手ぶらでは帰れん。何としてもお前を連れ帰るまでこの国に居座ることとする!』
勝手な兄の物言いに、白けた目をしたシュリーは夫の方を見た。
「迷惑なお人ね……。陛下、如何なさいます? 力づくで追い出してよろしければ、今すぐにでもあの者達をこのアストラダムから叩き出してご覧に入れますことよ」
妻の言葉に、レイモンドは苦笑を漏らした。
「いや。そなたの兄上ではないか。そのような手荒な真似はしなくていい。暫くは滞在を楽しんでもらってはどうだろうか。そなたの占いを受けて、もてなしの準備は整っているしな」
「……陛下がそう仰るのなら、暫くは様子を見ますわ」
こうして国王レイモンドの慈悲により、釧の皇太子一行はアストラダム王国への滞在を認められたのだった。




