不羈之才
目が眩むほどピカピカに磨き上げられた廊下をセカセカと進む藍海は、勝手知ったる觜禁城を進むと恭しく頭を下げた。
「陛下。三公主、朝暘公主殿下より書状が届きましてございます」
「おお! 紫蘭からか! 待ち侘びておったぞ、早う持って参れ」
酒盃を片手に喜色満面の釧の皇帝は、愛娘からの書状を受け取ると直ぐに目を通した。
「なんと…… 紫蘭め、ついにやりおった!」
「と仰いますは、まさか……」
ごくりと唾を飲み込んだ藍海が問えば、皇帝は膝を叩いてニンマリと笑う。
「北方の蛮族匈古を、ついに征服しおったのだ。これで我が釧は大陸の東を隅から隅まで統一した。実に百年もの間抵抗してきたあの厄介な騎馬民族の討伐を、僅か一年にも満たぬ間に成功させるとは。朕の娘ながら、紫蘭の手腕には恐れ入るものよ」
藍海は、拱手しながら祝いの言葉を口にする。
「おめでとうございます、陛下。長年の我が国の悲願が、ついに実現するとは。流石は朝暘公主様、嫦媧の化身と謳われる我が国最高の軍師にございます」
機嫌良く立ち上がった皇帝は、長い爪で書状の清らかな筆跡をなぞりながら娘の帰還に思いを馳せた。
「紫蘭が戻り次第、保留にしていた金公子との縁談を進めるぞ。一刻も早く、紫蘭に子を産ませるのだ。あれだけの才。道家の名門、金氏と掛け合わせれば、紫蘭よりも優秀な子が作れるであろう」
興奮気味の皇帝に、藍海は愛想よく作り笑いを浮かべた。
「朝暘公主は最早、神の領域におわす御方。それを越えられるとは、いやはや。末恐ろしい子が生まれましょう」
「男児であれば、朕の養子として皇太子の座を授け、紫蘭共々この朕の側に置こうではないか」
「な、なんと……、それでは現皇太子殿下はどうなさるおつもりで?」
「ふん。紫蘭に比べれば、皇太子は凡庸である。いくらでも地位を取り下げれば良かろう。紫蘭の子とあれば、諸侯も世継ぎと認めざるを得まい。思い通りにいかぬ時はこれまで通り、紫蘭に全てを任せれば三日と待たず解決しようぞ」
「陛下の高尚なお考えには感服致します」
ははあ、と深く頭を下げる藍海に気を良くした皇帝は、手元の酒を煽って口元を拭った。
「うむ。そうだ、七公主の縁談はどうなったのだ?」
気まぐれな皇帝の問いに、藍海は記憶を辿った。
「あの西洋の小国に嫁いだ七公主でございますか。はて、そろそろ送り届けた使節団が戻って参る頃合いではないかと」
「小賢しい小国との取引であったが、西洋に足掛かりを作る良い機会だ。あの卑しい母親を持つ七公主もこれで漸く役に立つものよ」
「陛下、西洋の足掛かりとは、まさか……」
「朝暘公主、紫蘭がおれば、東洋だけではない。世界を手に入れることも夢ではあるまい。朕は釧の君主であるが、それだけでは足りぬ。果ては西洋まで、この世の全てを手に入れ支配するのだ」
「さ、流石は皇帝陛下。どこまでもお供致します!」
ふははは、と高笑いをする皇帝の横で同調するように頷く藍海。
と、そこへ伝令役の宦官が何やら報告にやって来る。それを聞いた藍海は、薄っぺらい笑みを浮かべて皇帝に頭を下げた。
「陛下、噂をすれば。西洋のアストラダム王国より使節団を務めた使者達が戻りました。急ぎ陛下に謁見しご報告したき儀があると」
「ほう。通せ」
ご機嫌な皇帝は、さして興味も湧かないながらも、遥か異国から帰還した使者を出迎えたのだった。
「皇帝陛下に拝謁致します」
揃えた声で拱手をし、深く頭を下げた面々を見て。皇帝は満足げに頷いた。
「うむ。楽にしろ。して、早速報告とやらを聞こうではないか」
「…………」
しかし、面を上げた彼等の表情は暗く、憔悴し切っていた。
「ん?」
「其方等、どうしたのだ! さっさと申さぬか!」
藍海の怒鳴り声に、漸く一人が口を開いた。
「皇帝陛下、どうかお赦しを!!」
そう叫んだ次の瞬間。全員が床に膝を突き、声を震わせて涙を流し始める。
「これはいったい、何事ぞ!」
驚いた藍海が再び怒鳴ると、嗚咽を混じえた言い訳が次々と上がる。
「我等には、とても手に負えず……」
「まさかこのような事態になろうとは……ッ」
「よもや、何の力も持たぬ七公主が……まさか……」
「其方等! 陛下の御前であるぞ! はっきりと申せ!」
皇帝の顔が険しくなるのを見て、焦った藍海が促せば、悲痛な叫びが嗚咽の間から響いた。
「アストラダム王国の国王に嫁いだのは、七公主ではありません……! 七公主に入れ替わった、三公主様……朝暘公主殿下にございます! 三公主様は……アストラダムの国王に純潔を捧げ二度と釧には帰らぬと……」
藍海は、その一瞬が永遠にも感じられた。使者の話を理解するにつれ、考えたくもない現実が迫り嫌な汗が噴き出すようだった。
そして、絶句する藍海の背後から恐ろしい怒号が上がる。
「そんなことが、あるわけなかろうがっ!!」
烈火の如く怒り狂った皇帝は手にしていた盃を投げ捨て、立ち上がって先程の書状を乱雑に手に取った。
「本日とて、ここに紫蘭からの書状が……!」
と、そこへ。血相を変えた別の宦官が走り込んできて書状を掲げた。
「陛下! 北方より朝暘公主様からの追加の書状が到着しましてございます……」
「寄越せ!」
鋭い皇帝の声に、その宦官から書状を引ったくった藍海が急いで皇帝の手に書状を渡す。
「………………ッ!!」
中身を読んだ皇帝は、目を見開いて固まったかと思うと、ワナワナと震え出した。
「陛下……三公主様は何と?」
恐る恐る尋ねた藍海には答えず、皇帝は唾を撒き散らして怒鳴った。
「其奴等を斬り捨てよ! そして皇太子をここに! 今すぐだっ!」
真っ赤な顔で怒り狂う皇帝に、泣き叫び赦しを請う使者達。藍海はその地獄のような場所から慌てて駆け出したのだった。




