その王妃は異邦人【第一部 完】
「お前も私と同じ、優秀な兄の影に隠れて惨めな思いをしてきただろう!? 涼しい顔をしていても私には分かった。私だけにはお見通しだった。兄を恨み親を憎みこの国を呪った、お前も私と同じなのだ!」
「…………」
レイモンドは、叫ぶ叔父をただ見つめていた。
「図星だろう! だから何も言えぬのであろう!? お前は能力もなく取り柄もなく生き甲斐もない! 何一つ手にしていない無価値でつまらない男でしかない!」
力の限り喚いて息を切らせた叔父を憐れむわけでもなく。ジッと見下ろしながら、レイモンドは淡々と口を開いた。
「言いたいことはそれだけか」
「……ッ!」
これだけ罵っても、まるで相手にされていない。レイモンドには何一つ響いていない。それどころか、公爵の言葉は他でもない公爵自身に返ってくるばかりだった。そのことに気付き、公爵はあまりの悔しさと怒りと惨めさに、血が出るほど強く拳を握り締めた。
「何故、私ばかりが損をするのだ? 王太子の座も与えられず、いつだって二番手で、後継ぎさえ出来損ないで……」
「……それは、病弱な息子の話か?」
「な、何故それを……っ」
レイモンドの言葉に、公爵は目に見えて狼狽えた。公爵の子息、レイモンドの従弟は長年海外に留学していると思われていたが、実はそうではなかった。それは公爵にとって、恥ずべき秘密であった。
「私、医術にも多少の心得がございまして。それを領地に戻られていたフロランタナ公爵夫人にお伝えしたところ、是非ご子息を診てほしいと懇願され、治療を施したのですわ」
前に出たシュリーが説明すると、公爵は愕然とした。
「妻が息子を……他人に会わせただと?」
「ご子息の聴力は、鍼治療で多少であれば回復しますわよ」
「……何だと!?」
生まれ付き体の弱かった公爵の息子は、健勝な兄の息子達とは違い外に出ることすらままならなかった。更には耳が悪く、真面に言葉も話せない。そんな〝出来損ない〟で〝欠陥品〟の息子しか持てなかった自分が惨めで、公爵は余計に兄とその一家を恨んだ。
公爵夫人は社交界に積極的に参加しては華やかで派手な言動で周囲の目を引きつけた。それは息子を世間の冷たい目から守るためだったが。同じように政界で主導権を握った公爵は、ただただ恥ずべき欠陥品の息子を世間に晒さないために権力を求めた。それは自分の為だけの独り善がりな行為だった。
「あ、あんな出来損ないの欠陥品は私の息子ではないっっ!」
「彼は出来損ないでも欠陥品でもありませんでしたわ。とても上手な絵を描かれておりましてよ。将来は画家になるのも良いかもしれませんわね」
「画家、だと……?」
公爵の頭に、仄暗く絶望した兄との記憶が蘇る。冗談でも画家になるなんて言うことすら許されなかった兄と、好きにしろと放任された自分。
父の期待と、国王の地位と、完璧な息子と、国民の信頼。全てを持つ兄が憎くて仕方なかった。その全てを奪い踏み躙ろうとした結果が、取り巻き達から見放され、権力を奪われ、妻と腹心に裏切られ、何もかも失った屈辱の果ての処刑。
無様な姿で震える叔父を見て、レイモンドは静かに告げた。
「叔父上。私は……王妃に手出しをしなければ、あなたの罪を暴く気はなかった」
その言葉に目を見開いて顔を上げた公爵は、寄り添い合う国王と王妃を改めて見た。
思えば、レイモンドを貶めようとしたことで王妃の怒りを買い、王妃を暗殺しようとしたことで国王の怒りを買った。公爵は手を出してはいけないものに手を出して破滅したのだ。
そして二人を強制的に婚姻させたのは、他でもない公爵自身。
今更ながら全てが自業自得であったと思い至った公爵は、絶叫しながら床を叩いた。
フロランタナ公爵とアルモンドは、人望の厚かった先王一家暗殺及び、今や国の女神とまで謳われるセリカ王妃の暗殺未遂という重罪により、国民から尽きることのない罵倒を浴びながら刑を執行された。
両家とも取り潰しとなり、元公爵夫人と子息は貴族位を剥奪されて平民へと降格されたが、シュリーの口添えにより命は助けられた。
シュリーの治療で僅かながら回復の兆しがある公爵の息子は、まだ成人前ながらもその絵の腕を買われてマイスン工房の専属絵付け師として雇い入れられることになった。元公爵夫人も息子の補助をしながら孤児院で子供達の面倒を見ている。その姿はいつぞやのお茶会の時よりもずっと生き生きとしていた。
また、レイモンドは公爵の処刑を機に、議会での派閥制度を廃止した。派閥の概念を失くした議会では自由な議論が交わされるようになった。その中でもガレッティ侯爵とマドリーヌ伯爵、マクロン男爵は国王の側近として長年国家に貢献することになる。
セレスタウンは相変わらず賑やかで、シュリーが手掛けた商売はどれも莫大な利益を生み出し国中の景気が軒並み上昇し、職人達の活気溢れる声が王宮まで届くかのようだった。
他にもシュリーは魔塔主のドラド・フィナンシェスと共に魔道具を使った新たな商売を画策中だったりする。
シュリーが嫁いできてから数ヶ月ですっかり様変わりした国を見て、レイモンドは感慨深げに息を吐く。その隣には当然のようにシュリーが寄り添っていた。
この国も。そしてレイモンド自身も。この異邦人の王妃に救われた。搾取されるだけの人生を半ば諦めて歩もうとしていたレイモンド。型破りなシュリーが壊してくれたその虚ろな人生は、今や妻の瞳のように輝きを放っている。
「シュリー。そなたの言う通りになったな」
「はて。どれのことでしょうかしら。あれもこれも、私が言って実現しなかったことなどありませんわ」
いつもの高慢で、そんなところが可愛らしい妻を見て。レイモンドは目を細めた。
「そなたは本当に、私をこの国の真の国王にしてくれた」
今や誰もがレイモンドを国王と仰ぎ、見下す者も蔑ろにする者も誰一人いない。しかしシュリーは首を横に振った。
「…………陛下。それは違いますわ。陛下は最初から、紛うことなきこの国の国王でしたわ。公爵なんかとは全然違います。貴方様は最初から、民を思い、政治を憂い、国を見ていらっしゃいました。私はそれを、ほんのちょっぴり分かり易く国民に見せ付けて差し上げただけですのよ」
「そうか」
どうにも自信家な妻に似てきたレイモンドは、たまにはシュリーのように己を誉めてみるのも良いかもしれないと素直に思えた。
「そうです。私の旦那様は、世界一の殿方ですわ」
美しく気高く微笑む妻を見て。レイモンドは、体ごとシュリーに向き直る。
「そなたに伝えたいことがある」
「あらあら、まあまあ。そんなに改まって、何でございましょう」
真剣な顔をした夫を愛らしいと思いながら、シュリーはレイモンドに体を向けた。
シュリーとて、いい加減にレイモンドの自覚のない殺し文句には慣れてきたのだ。今更何を言われようとも負けはしない、とよく分からない闘争心を抱きながら、シュリーは夫の言葉を待った。
「その……あまり上手く伝えられないかもしれない」
「大丈夫ですわ。陛下のお言葉なら、どんなことも受け止めますことよ。遠慮せず仰って下さいな」
「そうか。では……」
ゴホン、と咳払いまでして。レイモンドは、かつてないほど真剣に妻を見つめて口を開いた。
「我愛你、雪麗」
その瞬間。ぽぽぽ、と音がする勢いで、シュリーの顔が朱色に染まる。
面と向かって言われたのは初めてな上に、シュリーの祖国の言葉での愛の告白。見事に撃沈したシュリーは両手で上気した顔を覆った。
「……ーー〜〜ッ! い、いったい、いつの間に釧の言葉を覚えられたのです……?」
顔を上げられないまま恨めしげに問えば、レイモンドは頰を掻きながら答えた。
「そなたが忙しくしている間に、ランシンから手解きを受けたのだ。私もそなたの母国語でそなたと話したいと思ってな」
レイモンドは妻の手を片方ずつ優しく剥がすと、その赤面した顔を覗き込んで笑った。そうしてそのまま手を握りながら、妻の祖国の言葉で語り掛けた。
『シュリー。私の王妃。この先もずっと、死が二人を分つまで。いや、その先の来世までも。私の片翼でいて欲しい』
「シャオレイ……」
「約束してくれるか?」
「……はい……」
完全にやられてしまったシュリーは、気の利いた返しもできず、ただただ淑やかに頷くしかなかった。それ以上言葉が出てこず、抱き寄せられるままに温かな夫の腕の中で与えられた幸せを噛み締める。
後に伝説にまでなる、何もかもが規格外のアストラダム王国国王レイモンド二世の妃、セリカ王妃。
異邦人であったその王妃は、愛する夫の前ではただの恥じらう乙女に成り下がってしまうような、可愛らしい娘だった。
その王妃は異邦人 第一部 完
読んで頂きありがとうございました!
ブクマ、評価、頂けると嬉しいです。
感想、いいね、とても励みになります。
誤字報告もありがとうございます!
キリがいいので、ここで一旦【第一部 完】とさせて頂きます。
ですが、まだまだ書ききれていない諸々がございますので、第二部も書かせて頂きます!
詳細は次ページにございます。開始まで今暫くお待ち頂けますと幸いです。
今後ともレイモンドとシュリー夫妻を宜しくお願い致します。




