大同小異
「アストラダムの太陽に栄光を」
緊張をなるべく表情には出さず、マドリーヌ伯爵は正式な挨拶を国王に捧げた。
「うむ。掛けてくれ」
示された椅子に伯爵が腰掛けるとすぐさま、国王は切り出した。
「時間を頂き感謝する、マドリーヌ伯爵。早速だが……」
ゴクリと唾を飲み込んだ伯爵は、身を引き締めて国王の言葉を待った。しかし……
「……私の妻は天才だと思わないか?」
国王の口から飛び出したのは、ビックリするくらいに子供じみた王妃への賛辞だった。
「は、……はあ?」
真面目な面持ちで何を言い出すのかと思えば。声が裏返りずっこけそうになった伯爵だったが、何とか体面を取り繕う。これはこちらを動揺させる手かもしれない。
「オホン。確かに、お茶会に参加させて頂いた妻から王妃殿下の皿に纏わる話を聞いた時は、到底信じられませんでした。本当に、アストラダムで磁器とシルクの生産が可能なのですか?」
「ああ。王妃の才は確かだ。生産は順調に進んでいる。今後規模を拡大し国内外へ売り出す予定だ」
ちゃんと話が通じることに安心した伯爵は、改めて王妃の事業に対する投資を申し出た。
「是非、我が家門も事業に参加させて頂きたい。私であれば、販売経路を確保できます。現に釧からの輸入品の流通ルートは全て把握しておりますので。恐らく王妃殿下はそれを見越して我が家門にお声掛け下さったのでしょう」
「その通りだ。伯爵の助力を得られれば有難い。しかし、一点だけ懸念がある」
真剣なレイモンドに、伯爵は少しだけ警戒しながらも問い掛けた。
「……何でございましょう?」
「夫人から聞いているだろうが、此度のフロランタナ公爵の議案。まずはアレを棄却させる必要がある」
やはりその話か、と伯爵は何でもないふうを装って息を吐いた。
「それはまた……難しいことを仰いますな」
ここは一度、逃げ道を用意しておくべきと考えた伯爵は、この話を曖昧に流そうとした。しかし、国王レイモンドはそんな伯爵の態度を見逃さなかった。
「そこまで無理難題ではない。そなたが動いてさえくれれば、充分に実現可能だ」
「…………」
「王妃がお茶会に招待した貴族派の家門は十三。ここに私と中立派の票を足せば、議会の過半数に届く。私は一人一人に会い協力を乞うつもりだ。だが、正直に言って私一人では心許ない。貴族派で重要な位置にいる伯爵、そなたが力を貸してくれるのであれば、可能な限りの票を確保できるだろう」
マドリーヌ伯爵は、妻から聞いたお茶会の参加者を思い返して唸った。確かに国王の言う通り、懇意にしているマクロン男爵を始め、どの家門も伯爵の事業に関連している家門ばかり。伯爵が国王と共に声を掛ければ必ずや助力を得られるだろう。
丸ごと貴族派から寝返るのであれば、それぞれの恐怖は和らぐ。そうなれば安心して国王側に付き、王妃の事業の恩恵を貰うことができるだろう。
これが偶然なはずはない。国王は想像以上に貴族派の実情を把握しているようだ。これは厳選された戦略だったのだ。
「……私は、先王陛下の崩御を受けて貴族派に寝返った身。陛下はこのような私を信用できるのですか? あの時、国王派の多くの貴族が忠義を貫き粛清されました。陛下も思うところがおありのはずです」
伯爵がずっと胸の中に秘めていた拭い切れない思いを吐露すると、レイモンドは静かに口を開いた。
「……先王への忠義を貫き、不利な状況でも国王派として立ち続けた彼等のことは、誇りに思う。しかし、私は忠義を貫くよりも、彼等に生きていて欲しかった」
「国王陛下……」
「保身を貫いた伯爵の決断には寧ろ感謝している。命より重いものなどない。伯爵がこうしてここにいてくれて良かったと、心から思っている」
レイモンドの瞳には、先王に対する哀愁も伯爵に対する気遣いも無かった。ただ本当に、淡々とそう思っているだけのようだった。
「私は一度王室を裏切った身です。そして今度は公爵を裏切ろうとしている。今後、絶対に陛下を裏切らないとは誓えません。それでも私を重用なさいますか?」
「勿論だ。そなたはそなたの利になることをしたらいい。己の利を優先するのは当然のこと。そのような些事をいちいち咎めたりはしない。ただ一つ、私の大切な者達に危害を加えないでいてくれれば、あとは自分の利のために動いてくれて構わない」
「些事……ですか」
裏切りを些事と言うレイモンドの思わぬ大胆さに目を瞠った伯爵は、もしかしたら自分はとんだ思い違いをしていたのではないかと気付いた。
特にこれと言って評判もなく、何も分かっていなさそうな地味な国王。されるがままの傀儡。そう思っていたレイモンドは、決して無知な王ではない。
実は全てを分かった上で、敢えて手も口も出さず。誰よりも達観していただけではないのだろうか。
「そなたが気になると言うのであれば、こう考えてみてはどうだ? 例えこの先そなたが私を裏切ったとして、それはそなたにそうさせた私の責任だ。私がそなたに、忠義を尽くそうと思うだけの利を与えられなかっただけのこと」
「何故……何故それ程までに、寛容でいられるのです?」
「私には、例え地獄の業火で灼かれようとも私の元に居てくれる、最強の味方が居るからな。それだけで充分なのだ」
妻の顔を思い浮かべたレイモンドは、わけが分からず戸惑うマドリーヌ伯爵に向けて意味深に微笑んだ。
これまで伯爵は、色んなものに遮られて国王の顔を正面からこんなふうに見たことがなかった。
王族特有の、黄金の髪と瞳を持つ国王は、どこまでも真っ直ぐな瞳をしていた。打算に汚れ、損得だらけに気を取られるばかりの者達を見てきた伯爵にとって、柔らかく包み込むようなレイモンドの眼差しは、何かを賭けてみるに値する輝きがあった。
「お約束しましょう。次の議会の採決で、必ずや公爵の議案を棄却させます。ですのでどうか、それが叶った暁には私を陛下の傘下にお入れ頂きたい」
「ああ。期待している。頼んだぞ」
そうしてレイモンドと伯爵の暗躍により、公爵の議案は僅差で棄却されたのだった。
「さてさて。そろそろあちらも追い込まれて来たのではないかしら」
レイモンドと温もりを分け合っていたベッドの中から抜け出したシュリーは、カーテンの隙間から差し込む朝日の中で煙管を燻らせた。
そうして薄衣のまま文机に向かうと、羽ペンを器用に使い熟して何やら書き始めた。
その時ふと、シュリーの肩に暖かな上着が掛けられる。
「何を書いているのだ?」
シュリーを追って起き出したレイモンドが、まだ眠そうな目で妻を見下ろしていた。
「フロランタナ公爵夫人へのお見舞のお手紙ですわ。どうやら体調を崩されてらっしゃるとか。社交シーズンの真っ只中に公爵夫人が領地に戻るだなんて、相当お加減が悪いんでしょうね」
煙管の煙をフゥーっと吐き出して、シュリーはクスクスと笑っていた。
「……シュリー、ほどほどにしておきなさい」
寝ぼけ半分のレイモンドは、背後から覆い被さるようにシュリーに抱き着いてキスをする。そんな夫の頭を撫でながら、シュリーは煙管の灰を軽やかに落とした。
「あら。心外ですわ、シャオレイ。私、そんなに過激なことをするつもりはございませんことよ」




