大異小同
フロランタナ公爵は手が付けられない程に荒れていた。
自慢の口髭を震わせ、鼻息荒く手当たり次第に物を投げては、国王レイモンドに対する暴言を吐いている。公爵の側近であるアルモンドは、恐る恐る公爵を宥めた。
「閣下、どうかお鎮まり下さい」
「何が起きた! 私の議案が棄却されただと!? いったい、どうしてああなったのだ!?」
「……裏切りです。どうやらマドリーヌ伯爵、マクロン男爵を含め、貴族派議員のうち十三名が国王側に寝返ったようです」
「なんだと!?」
「正直に言って、これは非常にまずい事態です。資産家のマドリーヌ伯爵と、領地に鉱脈を持つマクロン男爵が抜けたとあらば……貴族派の軍資金に多大な影響が」
「何故このようなことが起こったのだ!?」
「お、恐らくですが……今回寝返った十三名は、いずれの家門のご夫人も王妃のお茶会に招待を受けております。その時に何かあったとしか考えられません」
「王妃のお茶会だとっ!? そんなものは、失敗に終わったはずであろうが!」
「考えてもみて下さい! 圧倒的な勢力を誇っていた貴族派から、一度に十三人もの裏切りが出たのです! 何かが起こったのだとすれば、謎に包まれた王妃のお茶会以外にあり得ません」
アルモンドが冷静に言うも、興奮状態の公爵は暴れるばかりだった。
「生意気な! レイモンドの分際で!」
「閣下、どうか落ち着いて下さい。急ぎ対策を考えなければなりません。此度の議案、元々中立派は国王寄りでした。特にガレッティ侯爵と、中立派に属する庶民院議員八名の票は確実に国王に流れると予想しておりましたが、そこに中立派の残りの貴族と貴族派十三名を取られ、僅差で競り負けたのです」
公爵が投げ付けてくる物を避けながら、アルモンドは必死に説明した。
「マドリーヌ伯爵とマクロン男爵は貴族派の重要な資金源、更に残りの十一人とはそれぞれ懇意にしている間柄です。そこを突き、彼等を一挙に掠め取っていった手腕、これは只事ではありません!」
「だったら何故こんなことが起こったのだ!?」
怒鳴り声と共に投げ付けられた、特大の花瓶を避けながら。アルモンドは声を張り上げた。
「もしこれが、計算された所業だとしたら! 国王側には、相当頭の切れる参謀がいることになります! 更にはこちらの実情を知り過ぎているため、我々の元に間諜がいる可能性もあります。もしそれが事実なら、今この瞬間も国王側に全てが筒抜けになっているやもしれません!」
とうとう投げる物がなくなった公爵は、ワナワナと震えて頭を掻き毟った。
「何故だ、何故! 先王が死んでから、全てが上手くいっていたのだ! 何もかも、思い通りだったのに、何故こうなった!? いったいどこで間違えたと言うのだ?」
「随分と酷い有様ですね」
惨憺とした室内に入って来たのは、話題のマドリーヌ伯爵。その姿を見て、公爵は激昂した。
「貴様……この裏切り者がっっ!!」
グッと襟首を掴まれても、伯爵は涼しい顔でされるがままになる。
「……私は最初から、より強い者を支持していただけです。これまでは閣下がこの国を動かしていましたが、今はもう違います。これ以上閣下に傅いたところで意味はないと判断したまで。ですので義理を果たすため、こうして最後の挨拶に参ったのです」
「この場で斬り捨ててやる!」
恨みのこもった公爵の脅しにも、伯爵は顔色を変えなかった。
「今ここで私を斬り殺したところで、閣下にはそれを隠蔽する力が残っているのですか? 今日の議会の結果を受けて、心変わりした貴族派達があと何人いることか」
「…………ッ」
「これまでは閣下が無謀なことをする度に、私とマクロン男爵が金で解決してきましたが。今後ご自身の不備はご自身で処理なさって下さい」
「本気かっ!? 本当に私を裏切るのか? そうだ、釧の商品で儲ける金が惜しくはないのかっ!? 釧の商品は飛ぶように高値で売れている。今戻ってくるのであれば、分け前を今までの倍にしてやるぞ?」
繋ぎ止める手段がそれしか思い浮かばない公爵を、マドリーヌ伯爵は無表情で見下ろした。
「それについては間に合っておりますので結構です。では、私はこれで。精々悪足掻きをなさって下さい」
「なっ……!」
「……あなたは王の器ではない」
フロランタナ公爵と完全に決別したマドリーヌ伯爵は、そう呟くとその場を後にした。
覚悟を決め後戻りのできなくなった伯爵が思い返していたのは、国王レイモンドとの会話だった。
セリカ王妃のお茶会に参加した妻から、奇跡のように輝く皿を見せられ現実とは思えないような事業の話を聞いた時、敏腕な投資家でもある伯爵は、この商売に必ず投資すべきだと直感した。
王妃の事業が成功すれば、釧から輸入されている高額な商品は国内産に取って代わる。そうなれば、貴族派が独占している釧との交易による利益は日に日に減っていくだろう。片や、王妃の事業に乗れば比べ物にならない程に莫大な利益が望めるのだ。
どちらを取るかなど、比べるまでもない。
しかし、王妃は伯爵が属する貴族派とは対立関係にある国王の味方。それも、この事業には公爵肝入りの貧民街の議案が関係していると言うではないか。上手くことを運ばなければ、色々と面倒なことになる。少なくとも貴族派内での立場はなくなるだろう。完全に貴族派を捨て国王に付くべきか、少しでも貴族派との繋がりを残すべきか。思い悩む伯爵に、妻が是非にと提案してきたのが、国王レイモンドとの密談だった。
普段政治に口を出すことのない妻たっての希望ということもあり、伯爵は渋りながらもその提案を受け入れることにした。
国王レイモンド二世についての評判は、これと言って何も無い。
可もなく不可もなく。そもそも、元は王位を継ぐと思われていなかった第二王子。優秀な兄である王太子の影に隠れ、目立った行動もなく、かと言って悪評もなく、華やかな王室の中で異様なくらい地味に過ごしていたレイモンドは、貴族達の話題に上ることがほぼ皆無だった。
伯爵は、レイモンドと密談するに当たって、覚悟を決めていた。
先王の時代、国王派に属していた伯爵は、先王と王妃、王太子の崩御があったあの事件により、貴族派に寝返った。
全ては生き残るためだった。もしあの時、伯爵が忠義を貫き国王派に残っていれば、間違いなくフロランタナ公爵の粛清を受けていた。状況を判断し、迅速に立場を変えたからこそ、伯爵は死を免れたのだ。
だから当時の自分の選択を後悔はしていなかった。ただどうしようもなく拭い切れない罪悪感が残っているだけで。
国王レイモンドは、自分に何を言うのだろうか。王室を裏切ったことに対する罵倒、貴族派に取り入り国王を苦しめてきたことに対する恨言、それでも王妃の事業に関わりたいという虫のよさに対する嫌味。
あらゆる状況を想定し、国王との密談に臨んだマドリーヌ伯爵は。
初めて国王レイモンド二世と言葉を交わしたその瞬間、ただただ拍子抜けしてしまった。




