異様な才
「……分かりましたから、もう堪忍して下さいまし……」
柄にもなく茹蛸のように真っ赤になってしまったシュリーが何とか声を絞り出すも、レイモンドがシュリーの手を放すことはなかった。
「本当に? 他の男に会ったりしないか?」
「……は、はい」
両手を掴まれて顔を隠すこともできず。至近距離で自分を見る夫の子犬のような瞳に胸を撃ち抜かれたシュリーは、消え入りそうな声で頷きながらハッと我に返り慌てて誤解を解く。
「そ、そもそも。あの手紙は違うのです。そういうのではありませんわっ」
「何が違うのだ?」
不思議そうな顔をしたレイモンドに、シュリーは先程の手紙を目で示した。魔塔主であるドラド・フィナンシェスが熱烈な言葉を手紙に書き綴っていた理由。それがデカデカと書かれた文面を読んで、レイモンドは呆れたように妻を見た。
「『どうか私を弟子にして下さい』だと? ……シュリー、今度はいったい何をやらかしたのだ?」
稀代の魔法使いと名高いフィナンシェスが。普段は魔塔に籠って他者と関わろうとしない変わり者が。恋文と見紛う程に熱烈な文章で師事を望むとは。妻の規格外加減に頭痛すらしてきたレイモンドが問い詰めると、シュリーは気まずげに目を逸らした。
「怒らないで……聞いて下さいます?」
珍しくモジモジとするシュリーを見て、レイモンドはフッと優しく微笑んだ。
「私がそなたを怒るはずがないであろう?」
繋いだままの手をきゅっと握られてしまうと、シュリーにもう逃げ場はない。
「実は私……西洋で言う魔法や魔術の類にも多少の心得がございまして……」
最早シュリーが何でもできてしまうことに今更驚きもしないレイモンドは、言い淀む妻を目線で促した。
「……あの宴で、会場中に魅了の術を掛けていたのです」
「魅了の術?」
「陛下と私のダンスがより魅力的に見えるように、魔法を使ったのですわ」
レイモンドは、シュリーの言葉に少しだけ考え込んだ。
「……それは……凄くないか?」
そしてレイモンドから飛び出たのは、素直な賛辞だった。
思えばあの時、二人のダンスに追随して踊り出す者が一組もいなかった。誰もが二人に見惚れ、魂が抜けたようだった。あの公爵でさえ入り込めずにいた程だ。レイモンドは魔法に詳しくないが、あの規模の会場で、それも踊りながらそのような術を展開するのはなかなか難しいのではないかと思った。
「ええ。普通でしたら、一人に術を掛ける程度がやっとでございましょうね。それも術が効き過ぎてしまうのではないかしら。あれはあまりやり過ぎると相手の人格を破壊してしまう術ですの。人格を壊さぬ程度に微調整した術を会場中に施すのは、普通なら到底できない芸当のようですわ」
「…………それをそなたは、容易くやってしまったのだな」
「だって私にとっては大した術でもありませんもの。それよりも陛下の妻として、初めてのお披露目を少し大袈裟に演出して差し上げようとしか思っておりませんでしたから。ですが、あの場に居た魔塔主だけは、その術に気付いたようなのです」
あの時のフィナンシェスの熱心な視線の意味を知ったレイモンドは、改めてフィナンシェスの手紙を読み込んだ。
『あの時の王妃殿下の見事な魔法が忘れられず、寝ても覚めても貴女のことを考えてしまいます』
『今すぐにでもお会いしたいです。私を弟子にして下さい。どうか機会を頂きたいのです』
「それでこの熱量なのか。確かに、魔法にしか興味の無い男が何事かと思ったのだが……」
恋文ではないと分かったが、これはこれで危険な気がしないでもないレイモンドは、複雑な気持ちでシュリーを見た。
「そもそも彼が宴に姿を現したのは、私の魔力を感じてのことだったようですわ」
「そなたの魔力? 何か特別なのか?」
わざわざ引き篭もりの魔塔主が見物に来るとは、いったい妻の魔力はどうなっているのかと首を傾げたレイモンドに、シュリーは曖昧に微笑んだ。
「別に特別ではありませんことよ。普通の魔力ですわ。ただ……他人より少しだけ、強大かもしれませんけれど」
「……強大?」
「正確に表現するのは難しいのですが……あの魔塔主の十倍くらいでしょうかしらね」
その言葉に、流石のレイモンドも一瞬固まってしまった。
「十倍だと? あのドラド・フィナンシェスは、アストラダム王国始まって以来の強力な魔力の持ち主なのだが……その十倍?」
「大凡ですけれど。なので私の魔力を感じ取って魔塔から飛んできたそうですわ。その時に私の魔法を見て以来、しつこく弟子にしろと手紙を寄越すのです」
もう慣れたと思っていたレイモンドも、これには思考が停止した。やはりレイモンドの妻は普通ではない。
「……魔法を使ったのはその時だけなのか?」
「あと、私の着ていた衣装にも魅了の術を掛けましたわ。あのドレスが流行すれば、シルクの需要も増えて私の名声も上がり、ドレスが売れればマイエを通して儲かりますから」
「……それだけか?」
何かを察したようなレイモンドの視線に、シュリーはこの人にだけは敵わないと余罪についても正直に白状した。
「ガレッティ侯爵夫人のお茶会でも少々……それと、お茶会で配った磁器の皿にも……それから陛下にお贈りした書にも……」
道理で。とレイモンドは思った。いくらシュリーの弁が立つとは言え、シュリーを迎えてから何もかもが出来過ぎていた。寧ろ魔法を使っていたと言われて安心した程だ。しかし……
「シュリー。一つだけ、聞かせてくれ」