異体同心
「シュリー!」
波乱の議会を終え戻ったレイモンドは、待ち構えていた妻に抱き着いた。小柄なシュリーはレイモンドの腕に収まりながらも危なげなく夫を支える。
「上手くいったようですわね、流石陛下です」
「何を言う。全てそなたのお陰ではないか」
「私は少しだけお手伝いをしただけですわ。伯爵や男爵を説得なさったのは陛下です。ついでに事業の投資話まで纏めて下さいましたわ」
「あの二人は有能な事業家としても有名だからな。そなたの投資話に食い付かないわけがない。それにしても……今回そなたが選んだ貴族派の者達は、マドリーヌ伯爵やマクロン男爵を含めて先王時代に国王派に属していたり関係があった者達だった。だからこそ糸口があった。いったいどこで情報を得たのだ?」
「うふふ。企業秘密ですわ」
人差し指を唇に当てたシュリーは、秘密と聞いてムッとする夫の手を引っ張った。
「そんな事より、お早く来て下さいまし。陛下の為に私自ら作りましたのよ」
二人きりの晩餐の席に座らされたレイモンドは、目の前に出された見慣れぬ料理に戸惑い妻を見た。
「これは……?」
「これは餃子ですわ。釧では慶事の際に出される、とても縁起の良い食べ物ですのよ」
「これを、そなたが作ったのか?」
「はい。私、料理には多少の心得がございますの」
いつもの通り、胸に手を当てて微笑む妻を見て。レイモンドは臆することなく未知の食べ物を口に運んだ。
「ん、美味い……!」
スプーンで器用に餃子を掬っては口に入れるレイモンドは妻の手料理を大層気に入ったようで、その様を眺めていたシュリーは目を細めた。
「お気に召して頂けまして?」
「勿論だ。そなたは天才だな」
「ええ、よく言われますわ」
クスクスと笑ったシュリーは、そのままレイモンドに近付いた。
「釧では婚姻式の時にもこの餃子がよく出されますのよ。何故だか分かりますこと?」
近くまで来た妻を見上げながら、レイモンドは首を傾げる。
「いや。何故なのだ?」
いつぞやのように、夫の耳元に近寄ったシュリーは、わざと息が掛かる距離でそっと囁いた。
「この餃子を食して交われば、子宝に恵まれると言われているからですわ」
「ぶっ……!?」
「あらあら、まあまあ。陛下、大事ありませんこと?」
急に咳き込んだレイモンドの背を撫でながら、シュリーはますます笑みを深めた。色んな意味で真っ赤になる夫が可愛くて仕方ない。
「ゴホッ……シュリー……そなた……ッ」
「私、今回は陛下の為に色々と頑張りましたわ。ご褒美を頂いてもよいかと思うのですけれど」
「ほ、褒美……とは?」
呼吸もままならない程に動揺したレイモンドが問うと、その赤くなった頬をなぞりながらシュリーは黒い瞳を愛おしげに細めた。そして夫の手を取り、自らの腹に導いて甘く囁く。
「……シャオレイによく似た子が欲しいわ」
「…………ッ!?」
困惑と期待で混乱したレイモンドが手を伸ばすと、シュリーはその手をひらりと躱して自分の席に戻った。肩透かしを食らったレイモンドは行き場のない手と激しく脈打つ心臓を持て余して愕然とした。それを楽しげに眺めながら、無慈悲なシュリーは何事も無かったかのように話題を変える。
「それにしても。公爵はさぞかし面白い顔をなさったのではなくて?」
「あ、ああ。……そうだな、うん」
なかなか現実に戻ってこられないレイモンドはそれでも何とか頷いた。議会でのフロランタナ公爵の取り乱し様を思い出し、漸く正気を取り戻す。
「確かに、あんな公爵を見たのは初めてだ。いつも踏ん反り返っている公爵からは想像もつかないような醜態を晒していた」
「まあ。それはさぞかし見ものでしたのでしょうね。……これで陛下の憂いは、少しでも晴れましたかしら?」
自分を見る妻の瞳を見て、レイモンドは改めて気付いた。あのお茶会も、議会のお膳立ても、今日の手料理も。多少の悪ふざけがありつつも、シュリーの目的は全て、レイモンドの疲弊した心を労ることだったのだと。
そう思うと、堪らなくなる。
日を追う毎に、言葉を交わし、目を合わせる度に。シュリーという規格外でとんでもない妻の存在が、レイモンドにとって掛け替えのないものになっていく。
「……ああ。そなたには感謝するばかりだ」
少しでもその思いを伝えたいレイモンドだったが、シュリーはそんな夫の言葉を温かく笑って拒否した。
「その感謝は不要ですわ」
首を横に振ったシュリーは、力強く輝く黒曜石の瞳を真っ直ぐに夫へ向ける。
「私達は異体同心。私達の間には、感謝も謝罪も不要ですのよ」
「シュリー……」
今度こそ。レイモンドがシュリーへと手を伸ばしたところで。
ガチャン、と大きめの音が響く。
「…………」
恐らく。入室しかけて空気を察し、慌てて退室しようとしたところで思いの外強く扉を閉めてしまったのであろうドーラが、気まずい顔をしてそこに立っていた。
「ああ! 申し訳ございません、王妃様! いつものお手紙が……」
空気が読めず申し訳なさそうなドーラの手にあるものを見て、シュリーは呆れつつ溜息を吐いた。
「大丈夫よ。その手紙はいつものように燃やして頂戴」
「……それは?」
手紙を見もせず燃やすとは何事かと驚いたレイモンドが尋ねると、シュリーは面倒臭そうに手紙を見遣った。
「大したものではございませんわ。魔塔主のドラド・フィナンシェスからの手紙です」
「魔塔主から? ……彼がそなたに何の用なのだ?」
眉間に皺を寄せた夫を見て、シュリーの悪戯心に火がついてしまう。
「……恋文ですわ」
「…………は?」
「どうやら私に一目惚れをしたらしく、会いたいだのなんだの。くだらない内容を書いて寄越すのです」
シュリーが手紙を取り出すと、チラリと見えた文面には確かに『今すぐお会いしたい』『どうか機会を頂きたい』『貴女のことが忘れられない』と書かれていた。
「…………」
絶句したまま固まる夫の反応を楽しんで、シュリーは追い討ちをかける。
「陛下も覚えていらっしゃいませんこと? 私達が踊ったあの宴の日、彼は熱心にこちらを見ていましたでしょう? あれからしつこいくらいに手紙が届くのです。あまりにもしつこいので、最近では一度くらいお会いして差し上げようかと思い始めて……」
「嫌だ」
「…………へ?」
立ち上がったレイモンドが、シュリーの前に跪いてその手を握る。
「何処にも行かないでくれ、シュリー」
「私はそなたがいないと生きていけない」
「他の誰の元にも行かないでくれ」
「……ーーー〜〜〜ッ」
上目遣いの夫から一言一言懇願される度、シュリーの心臓が絞られるように苦しくなった。
少し揶揄おうと思っただけなのに。あまりにもあまりな墓穴を掘ったシュリーは、身悶えて発狂してしまいそうだった。




