変異
「貧民街の……と言いますと、フロランタナ公爵が発案された議題でしょうか?」
「ええ。陛下からお話を伺った時は驚きましたわ。まさか貧民を救済する為の予算を、自分の俸給に充てようだなんて。到底国政を担う者の発言とは思えないわ」
王妃の発言に、貴族派の夫人達が気まずげに目を逸らした。
「それは……確かに、私の主人も反対をしておりましたが。ですが、その議案と王妃様の事業にどんな関係が……?」
困惑したように首を傾げるガレッティ侯爵夫人。その他の貴婦人達からも怪訝な視線を受けて、セリカ王妃は背筋を伸ばした。
「私は、この事業の中心となる工場を、貧民街に作るつもりですの」
「な、何故わざわざ貧民街に……!?」
ザワザワと目を瞠る周囲に向けて、王妃は少しだけ声を潜めた。
「ここ数年、貧民街への民の流入が増加しているのはご存知ですこと?」
「聞いたことがありますわ。……失業者がかつてない勢いで増えていると……」
「その原因は他でもない、私の祖国、釧なのです」
「……どういう事ですの?」
驚きを隠せない貴婦人達に、王妃は憂いを含んだ目線を向けた。
「釧からの輸入品は、我が国だけでなく、西洋中で人気ですわよね。その輸入量は年々増すばかり。特に磁器とシルクは需要に供給が追い付かない勢いですわ。これに押され、本来国内で出回るはずのアストラダム産陶器の価値は落ち、リネンやウールは安く買い叩かれるようになりました。そのせいで国内の窯元や紡績・機織り業を営んでいた者達が職を失ったのです。彼等は貧民街に流れ、今この瞬間も飢えと貧しさに苦しんでいますのよ」
ハッと息を呑む貴婦人達の声を聞きながら、王妃は切なげに胸に手を当てた。
「私は釧出身の王妃として、民を思い遣る国王陛下の妻として、彼等を救いたいのです。そして、彼等の持つ陶芸や紡績、機織りの技術は必ずや私の事業に役立ちますわ。彼等は仕事を渇望し、必要な技術を既に持っているのです。これ以上に打ってつけの人材が他にありまして?」
「……確かに、一から技術を習得させるより、似通った職に覚えのある者の方がずっと適しておりますわ」
納得したように呟くガレッティ侯爵夫人。他の貴婦人達も、無意識のうちに頷き同意を示していた。
「ですので今、貧民街への施しが廃止されればとても困るのです。彼等は飢えに苦しみ、餓死者が出てこのような状況を作り出した王侯貴族に対し恨みを持つでしょう。釧の皇女でもある私は、余計に憎まれ永遠に彼等と和解する道が閉ざされてしまいます」
一度言葉を区切り、貴婦人達の視線が十分に同情を孕んだところで王妃は呟くように声を落とした。
「彼等は、この事業になくてはならない存在なのですわ」
「王妃様……」
「今日、お集まりの皆さんの中には、この議案に賛成する貴族派の家門の方々もいらっしゃると思います。議会の過半数を占める貴族派が、このように心無い議案を発案されたこと、国王陛下はとても胸を痛めていらっしゃるわ」
貴族派の有力者であるマドリーヌ伯爵夫人とマクロン男爵夫人は眉を寄せて目を見合わせた。他にも貴族派派閥の貴婦人達が静かに目線を交わす中、セリカ王妃は彼女達に体を向けた。
「ガレッティ侯爵を始めとした中立派の方々も、この議案には反対の意を示していらっしゃると伺いましてよ。そして私の心も、常に国王陛下と同じです。この議案を可決させるわけには参りませんの。そこで……皆さんのお力をお貸し頂けないかしら」
王妃の言葉に、この中の貴族派で一番高位であるマドリーヌ伯爵夫人が苦しげに答えた。
「……勿論、お力になりたいと思います。ですが、王妃様。私達は、夫の政治に口を出すような立場では……」
本当に申し訳なさそうな伯爵夫人の様子を見て、セリカ王妃は少し離れた席の彼女に労わるような声音で語り掛けた。
「説得してくれとは言いませんわ。夫人方が政治に口を出すのは、難しいことであるとよくよく存じ上げております。ですが、例えば。陛下に交渉の機会を頂くことはできませんこと?」
「交渉の機会、でございますか……?」
顔を上げたマドリーヌ伯爵夫人へと、セリカ王妃は力強く輝く黒曜石の目を向けた。
「陛下と伯爵が会う機会を整えて頂きたいの。貧民街の重要性は、私の“お土産”の説明をすれば、きっと伯爵も理解して下さるはずです。後はその件で陛下とお会いするお時間を作って欲しいと取り次いで下さるだけで良いわ」
王妃の切実な瞳を見て、伯爵夫人はごくりと唾を飲み込んだ。そして、小さく頷き顔を上げる。
「……それでしたら、何とかできるかもしれません。是非、お力添えをさせて下さいませ」
伯爵夫人の決意した横顔を見て、隣に座るマクロン男爵夫人も手を挙げた。
「私も、主人に話してみます!」
貴族派の有力者である二人の夫人の声を聞き、他の貴族派家門の貴婦人達も次々に協力を申し出る。
「皆さん、ありがとう。後は陛下がご当主の方々を説得して下さると信じましょう」
一つに纏まったお茶会の雰囲気をひしひしと感じ取りながら、最後にセリカ王妃は付け加えた。
「この議案が棄却されれば、私は本格的に事業を始める予定です。もし希望があれば、皆さんの家門から投資を受け付けましてよ。成功すればどれ程の利益が出るか、計り知れないわ。その件も含めて是非、それぞれのご主人に相談なさって頂戴」
扇子で口許を隠したセリカ王妃は、その下でニンマリとほくそ笑んだのだった。




