異常
「ちょっと待て! 不正だ! こんなことがあってはならん!」
突然激昂し出したフロランタナ公爵に、議会から冷たい目が向けられる。
「フロランタナ公爵、静粛に。……急にどうしたと言うのだ」
国王から窘められた公爵は、興奮し過ぎて周りが見えていなかった。
「先程の議案だ! どう考えても集計結果がおかしいではないかっ! さては票数を操作したのであろう!?」
レイモンドは大袈裟に溜息を吐くと、公爵へと冷静に答えた。
「何を言い出すのだ。採決はこの場で行われたではないか。僅差ではあったが、反対の方が多かったのは事実。公爵も目にしていただろう? 不正など不可能だ。それともまさか、自身の発議に関する採決を見ていなかったのか?」
「そ、それは……っ! まさか、そんなことは有り得ん、私は……」
「フロランタナ公爵。自身の発議案が通らず悔しむ気持ちは分かるが、これ以上議会を停滞させる気ならば退出を願う」
「な、に……?」
そこで漸く公爵は、自分を見る周りの視線に気付いた。
眉間に皺を寄せる者、冷ややかな目を向ける者、やれやれと肩をすくめる者。呆れ果てたようなその空気が自分に向けられているのを感じた公爵は、怒りと屈辱に顔を歪ませながらも押し黙った。
公爵が大人しく着席したのを見届けて、国王レイモンドは何事もなかったかのように書類に目を落とした。
「さて、続いての議題だが……」
時を遡り、セリカ王妃のお茶会にて。
「まあ、王妃様……この素晴らしい皿はいったい……」
王妃の細やかな心遣いが行き届いたお茶会はとても盛り上がった。最後に王妃から参加者に向けて贈られた木箱の中には、それはそれは見事な皿とシルクのハンカチが品よく収まっていた。中身を見た貴婦人達から、次々と感嘆の声が上がる。
「このハンカチ、以前頂いたものと同じくとても繊細な刺繍を施して頂いたのですわね! それにしても、こんなに肌触りの良いシルクは初めてですわ!」
「こちらのお皿も、白地に鮮やかなコバルトブルーが何と美しいのかしら。これは釧の磁器ですわよね?」
釧の磁器は白い金とも言われ、西洋諸国では高値で取引される。そんな品を参加者全員分用意するなんて、セリカ王妃はなんと気前がいいのか。その視線に王妃はふっと笑みを漏らした。
「残念ながらこちらの皿は、釧の磁器ではございませんの」
「え……?」
「そして、一緒にお入れしたハンカチも、釧のシルクではございません」
王妃の言葉に動揺する貴婦人達へ、王妃は穏やかな笑みを浮かべたまま伝えた。
「この皿とシルクは、釧ではなく、我が国アストラダムで作られた品でしてよ」
ザワッと、途端に驚愕の表情を浮かべた貴婦人達は、改めて王妃からの贈り物を見た。どう見ても見事なその皿とシルクが、自国で生産されたものであるとは。到底信じられなかった。
「お、王妃様……それは、どういう事ですの?」
動揺と驚きに胸を押さえながら問い掛けたガレッティ侯爵夫人へと、セリカ王妃は丁寧に答えた。
「私が、磁器とシルクの技法をこの国に持ち込んだのですわ。どちらも釧国内でしか伝えられていない秘中の技ですが、私の手によってこの国でも生産が可能となったのです」
「信じられません……そんな事が、西洋中の憧れ、釧の磁器とシルクが我が国で……?」
ガレッティ侯爵夫人は震えていた。それもそのはず。侯爵夫人は理解していたのだ。西洋諸国で絶大な人気を誇るシルクと磁器は、長年その製法が研究され続けてきたが、釧以外の国で製造に成功した事例はない。それを、こんなにも簡単にセリカ王妃は成し遂げた。これが明らかになれば、西洋諸国の勢力図を一変させる大事件となる。
他にもことの重大さに気付いた貴婦人の数人が、畏れすら滲ませる視線を王妃へと向けて押し黙っていた。しかし一方で、ただただ凄いと感心する者は皿を手に取って眺めたり、隣の者と感想を語り合ったりしている。
そんな空気の中でも相変わらず穏やかに微笑むセリカ王妃。
「こちらの磁器とシルクは、アストラダム……いいえ、西洋で初めて作られたものです。皆さんのお眼鏡に適えば本格的に事業を展開しようと考えておりますの。如何ですこと?」
「言うまでもなく素晴らしいですわ! 我が家が所蔵する、釧の最高級の皿と遜色ございませんっ! このシルクも、肌触りも艶も完璧でございます」
身を乗り出す侯爵夫人に、王妃は頷いた。
「ありがとう。どうやら他の皆さんもお気に召して下さったようですわね」
王妃の問い掛けにあちこちから絶賛の声が上がる。一頻りその様を眺めた王妃は、よく通る声で貴婦人達に声を掛けた。
「ここで皆さんにご相談がございますの。この“お土産”のことは、暫くの間口外しないで頂きたいのですわ」
王妃の言葉に驚いた貴婦人達は、ザワザワと目を見合わせた。
「何故です? このように素晴らしい品、とても話題になりますわ。直ぐにでも自慢したいくらいです」
「そう言って頂けて嬉しいわ。でもね、皆さんが口を噤めば噤むほど、この品の……特にこの皿の価値は上がりますのよ」
「それはいったい……」
それまで開いていた扇子を静かに閉じたセリカ王妃は、美しく優雅な所作で茶を飲むと、その黒曜石のような瞳を貴婦人達へ向けた。
「皆さんは、“幻”の作り方をご存知ですこと?」
セリカ王妃の赤い唇から飛び出たその謎掛けのような言葉に、王妃の言動に惹きつけられていた面々は一瞬虚を衝かれた。
「えっと……」
「うふふ、少し抽象的過ぎたかしら。そうね、例えば……」
セリカ王妃は、自らの頭に手を伸ばし一本の簪を抜き取った。濡烏の黒髪がはらりと一房揺れ落ちる。
「この簪は、釧ではちょっとした逸話のある、“幻”の簪ですの。その昔、傾国の美女と謳われた皇妃が皇帝と出会った頃に愛用していた品と言われておりますわ。釧ではこれ一本で邸一つを買えるくらいの価値がございましてよ」
「邸を……!?」
「皇妃が身に着けていた時はただの簪に過ぎぬ品でしたが、皇妃の名と共に後の世で思わぬ価値が生まれたのですわ。このように、“幻”と言うのは人々の興味を惹きつけ、想像以上の付加価値を生み出す魔法のような言葉ですの」
王妃の話に引き込まれた貴婦人達は、王妃の一挙手一投足を見つめ、その言葉を一言も聞き漏らさないように固唾を飲んだ。
「希少で滅多に世に出ない、その所在すら定かではないような“幻”の品には、必ずそれを追い求める蒐集家が存在するものですわ」
はらりと揺れる髪を再び纏め上げて簪で留めた王妃は、その瞳を居並ぶ貴婦人達一人一人に向けた。
「この皿は、一枚一枚私が直々に絵付けを施しましたの。表には、私が国王陛下に贈った書の文字を組み込んでますわ。ここにある二十九枚と、陛下に献上した一枚、合わせて三十枚だけ特別に作らせたものです。今後同じものを作る予定はありません。その証拠として、一から三十までの通し番号を裏面に刻んでいますのよ」
それを聞いてそっと皿の裏面を見る貴婦人達。それぞれの数字を目敏くなぞる指先は、震え始めていた。
「今後私は、シルクと磁器の事業を本格的に始める予定です。想像してみて下さいまし。私が成功し、アストラダム産の磁器が世に出て人気となり、釧の磁器と同じように高値で取引されるようになった暁には、この皿の価値はどうなっているかしら」
静まり返った貴婦人達は、息をするのも忘れる程にセリカ王妃の声に聞き入った。
「隣国ポルティアン王国では、釧の白磁に目の眩んだ将軍が精鋭部隊一つと白磁の皿を交換したと噂になってましたわね。西洋で初めて作られ、王妃が直々に絵付けした特別な三十枚だけの皿。更に熱心な蒐集家は通し番号に弱い方が多いわ」
ゾッ、と。貴婦人達の間に鳥肌が広がり、取り憑かれたように一心に王妃を見つめていた。
「秘して秘して、アストラダム産の磁器の人気が絶頂に達した時。この皿の存在が明らかになれば、この皿を“幻”にできますのよ」
誰もが声を失う中。その空気を壊すように、セリカ王妃は軽やかな笑い声を漏らした。
「うふふ。どうかしら。今日のこの話を、暫くの間口外しないで頂けるかしら?」
漸く呼吸を思い出した貴婦人達は、心に決める。この話を絶対に、絶対に他の家門に漏らしてはならないと。この皿は誰の目にも触れさせず、屋敷の奥に厳重に保管しなければ。
大きく深呼吸しながら頷く面々を見回して、セリカ王妃は少しだけ間を置いた。彼女達にも呼吸する時間を与えないと、酸欠で倒れられても困るからだ。つまり、王妃の話はこれで終わりではないのだ。
「……ですけれど、一つだけ。この事業を始めるにあたって、懸念がございますの」
セリカ王妃が困ったように溜息を吐くと、すっかり彼女に魅了された貴婦人達は揃いも揃って顔色を変えた。
「まあ! そ、それは何ですの?」
食い気味の問いに、王妃は柳眉を下げて扇子を広げた。
「それが……次の議会で発議される予定の、貧民街の施しの件ですわ」
 




