堅白同異の弁
「今……何と言った?」
国王レイモンドは、議会の場での公爵の発言に耳を疑った。
「何度も同じことを言わせないで頂きたいものですな。ですから、貧民街への施しを打ち切るべきだと申し上げたのです」
やれやれと首を振りながら、フロランタナ公爵は自分が議会の中心であるかのように堂々とそう言った。
「それはつまり……彼等に死ねと言っているようなものではないか」
「貧民街に出入りするような者達は、真面な仕事もできず職を失った者が大半です。そんな者達が生きていたところで何の意味もないでしょう。それよりもその分の予算を我が国発展の為に充てる方が余程建設的ではありませんか? 例えばそう、国の中枢を担う我等官僚の俸給を増やすのが妥当でしょうな」
レイモンドは、叔父である公爵のあまりの暴論に眩暈がした。
月に数度行っている貧民街への施しを廃止して、その分の予算を自分達に回せ、と言い張るその主張は流石に横暴以外の何ものでもない。しかし、この有り得ない提案に対し、議会からは次から次へと賛成の声が上がった。
何せ今の議会は、フロランタナ公爵率いる貴族派が大半を占めている。レイモンドの父、先代国王の時代にこんな提案をすれば即刻却下され公爵は議会から追放されたであろうが、今のレイモンドにそんな力は無かった。
それでもレイモンドは国王として、このような国民の生命を蔑ろにする意見に屈するわけにはいかない。
「……公爵。議会に賛成の声が多いのはよく分かったが、この場で直ぐに採決を取るのは早計ではないだろうか。予算の見直しであることに変わりはない。正式な報告書と議案書を出し、検討期間を置くのが妥当であろう」
苦し紛れではあるが正論でもあるレイモンドの言葉を嘲笑った公爵は、国王であるレイモンドへ尚も意見した。
「議会の過半数が賛成している案件に時間を割くのは愚の骨頂ではないですかね。他にも話し合う議題は多数あるのです。貧民等に割く時間も予算も、忙しい身の上の我等にはありませんな」
フロランタナ公爵が発言すれば、彼に従属する貴族派の議員達はそうだそうだと叫ぶ。
眩暈どころか頭痛までしてきたレイモンドが反対意見を考えていると、思いも寄らぬ人物が手を挙げた。
「よろしいですかな」
「ガレッティ侯爵……」
中立派の筆頭、ガレッティ侯爵。今まで王家にも貴族派にも味方してこなかった彼は、静まり返った議会へ向けて低い声で発言した。
「私は国王陛下のご意見に賛成です」
その言葉は思いの外よく響いた。長い間中立を守ってきた中立派が国王側に付くというのか。その衝撃に議会の空気が揺らぎ、当のレイモンドでさえ目を見開いてガレッティ侯爵を見る。
「貧民であっても、国民には変わりありません。彼等の生命に関わることを、この場で直ぐに判じるのは些か性急ではないでしょうか。もう暫し議論の時間を設けるべきでしょう」
フロランタナ公爵は、内心で苛立ちながらも頭を働かせる。ここでガレッティ侯爵と対立するのは得策ではない。今回の意見については、少しばかりことを急ぎすぎた為に厳格な侯爵には看過できなかっただけであろう。侯爵や中立派がレイモンドに付くと決まったわけではないのだから、穏便に済ませて様子を見るべきだ。
どちらにしろ、議会の過半数は貴族派。結論が変わることはない。そう考えた公爵は、自慢の口髭を震わせて無理矢理笑顔を作ると拍手し出した。
「流石はガレッティ侯爵。崇高なご意見をありがとうございます。確かに仰る通りですな。いや、国を思うあまり急ぎすぎてしまったようです。ではこの件は、後日改めて提案書を提出し採決を取りましょうぞ」
こうして波乱と思惑を残したまま、この日の議会は閉会した。
「ガレッティ侯爵」
レイモンドが声を掛けると、立ち止まったガレッティ侯爵は振り向き礼をした。
「先程は助かった」
「……フロランタナ公爵の意見はあまりにも強引でしたので賛成しかねると思ったまで。今後も陛下を全面的に支持するわけではありません」
「勿論そうであろうが、あのような暴論を直ぐに通さずに済んだだけでも大きな収穫であった。侯爵のお陰だ、礼を言わせてくれ」
侯爵は何かを言いかけて口を閉じ、結局はこう答えた。
「妻が、王妃殿下に大変お世話になっているようです。口を開けば王妃殿下を褒め称える言葉ばかり。先日も王妃殿下から直々に釧の茶器を賜ったそうです。その茶器で淹れた茶はなかなか美味でございました。王妃殿下に宜しくお伝え下さい」
「そうか。シュリー……王妃が。異国の地で心許ない王妃にとって、偏見もなく接してくれる夫人の優しさは掛け替えのないものなのであろう」
王妃の話題が出た途端に瞳を和らげる国王を見て、ガレッティ侯爵はそっと目を逸らした。
妻と懇意にする王妃の影響もあったが、侯爵が国王レイモンドを助けたのは、それだけが理由ではなかった。
以前、侯爵夫人が開いたお茶会に王妃が参加した際、国王であるレイモンドは王妃を迎えに行く為に、ガレッティ侯爵に同行して侯爵邸に赴いた。
同乗した馬車の中で短い世間話を交わしたのだが、その時にガレッティ侯爵はレイモンドの実直な人柄を見抜いて好感を持った。レイモンドにとっては何ということのない時間でしかなく、その後のシュリーとのいざこざの方が強烈だったが、侯爵にとっては国王の人柄を見極める貴重な時間だった。
急な即位になるまで、第二王子だったレイモンドの能力や人柄は謎に包まれていた。特に目立つこともなく、平凡であろうと思われていたレイモンドは、誠実で勤勉な男だった。厳格な侯爵には、欲深い公爵よりもレイモンドの方が好感を持てたのだ。
「……それでは私はこれで失礼致します」
しかし、そういった思いを言葉に出すことはなく。ガレッティ侯爵はその場を辞した。
どちらにしろ、シュリーが立役者であることに変わりはない。
議会に疲れ果てたレイモンドは、早く妻に会いたいと息を吐いた。




