妖異な友
「私はセリカ王妃に関する悪い噂を流すよう言ったはずだ。それが何故、王妃の評判が上がっているのだ!?」
ドンッとテーブルを叩いたフロランタナ公爵に対し、取り巻きの貴族達は顔を青くしながら沈黙した。
と言うのも、貴族派の貴族達は公爵の言う通り、セリカ王妃に関して野蛮で無知、恥知らずな異邦人と言う噂を広めようと努力したのだ。
しかし、噂と言うのは男の口からよりも、女の口から広がる速度の方が格段に速い。ガレッティ侯爵夫人のお茶会で見せたセリカ王妃の素晴らしさはあっという間に社交界の貴婦人達の間で広まり、王妃の名を冠したマイエの新作、釧風のドレスには予約が殺到していた。
更には王妃の気品や優雅さ、聡明さ、思慮深さに対する称賛の声も後を絶たず、取ってつけたような男共の揶揄や罵倒は寧ろ、セリカ王妃が逆境を跳ね除け、異邦人であることの偏見や悪評判すら蹴散らして自らの高貴さを証明したという、その活躍ぶりを強調する材料の一つにしかならなかった。
男達の政治の場と、女達の社交界。どちらも切り離すことのできないものであるが、男が女を支配しているという馬鹿げた思い込みがこの作戦の失敗要因であったことを、この場にいる誰一人として気付いてはいなかった。
「で、ですが閣下。王妃の評判が良いのは、我々にとって必ずしも不利なことばかりではありません。王妃、即ち釧の評判が上がれば、より一層、釧の商品に対する需要は増すはず。釧からの輸入量が増えれば、得をするのは我々です」
国王と釧の姫君との婚姻を推し進めた公爵を筆頭とする貴族派の貴族達は、釧との密約で釧からの輸入品に不当な手数料を上乗せし国内に流通させていた。つまり、釧からの輸入品が増えればここにいる一部の貴族達だけが儲かる仕組みなのだ。
「ふむ。それは確かに一理ある。……口惜しいが、王妃の評判を落とすのは後回しにしよう。なに、異邦人の小娘一人、いつでも蹴落とせよう。それよりもレイモンドだ。近頃叔父である私に対して反抗的な態度を見せるようになった。一度己の立場を分からせる必要があるようだ」
公爵の言葉に、失敗続きの取り巻き達は気を引き締めたのだった。
「王妃さま、虫さんが変な動きをしてるよ!」
呼ばれたシュリーは、優雅な袖と裾を揺らしながら子供達の方に向かった。
「そろそろ営繭するでしょうから、皆で作った蔟に移してあげましょう」
孤児院で初めて孵った蚕は立派に成長し、いよいよ繭を作り出す段階まで来ていた。シュリーが振り向くと、既に準備を整えたランシンが他の子供達を連れて来ている。子供達はランシンの言うことをよく聞いてテキパキと動いた。
王宮に住むシュリーの代わりに、ランシンは孤児院に泊まり込んで、子供達に付きっきりで養蚕の技術を教えていた。そのため寡黙で面倒見の良いランシンはいつの間にか子供達から懐かれていたのだ。今も背中に乳児をおんぶ紐で括りながら作業するランシンは、すっかり孤児院に馴染んでいた。
あーだこーだと騒ぎながらも蚕を営繭用の蔟に移していく子供達。それを見遣りながらシュリーは、隅でちょこんと座る夫に声を掛ける。
「陛下、またそんなところで……」
「分かっている。私も手伝いに来たのだ。しかし……どうにもアレを見ると鳥肌が……」
「何がそんなに怖いのです、こんなに愛らしいではありませんか」
一頭だけ捕まえた蚕を手のひらに乗せて差し出す妻に、レイモンドはヒッと後退った。
「卵から孵った時は黒くて小さかったではないか! それがどうして白く、そんなに大きくなるのだ? それにブヨブヨウネウネしていて……うっ」
「はあ……。シャオレイ。蚕は、人の手で育てなければ餌も摂れぬ憐れな虫なのですわ。繭の中で蛹になれば、生糸を得るために煮て殺さなければなりません。繁殖用に成虫となった個体も、翅があっても飛ぶことはできず、餌も食べず、卵を産んで死にますのよ。全ては人がシルクを得る為に飼い慣らし、搾取される為に生きる虫ですわ。そう思えば、少しは憐みが湧きますでしょう?」
妻にそう言われて、レイモンドは改めて蚕を見た。ウネウネと相変わらず気持ち悪いが、自分では何もできず与えられた餌のみを食べて人間の為に死んでいくその虫に、レイモンドは言いようのない憐憫を感じた。
それはまるで、シュリーを得る前の自分自身を見ているかのようだった。
「そうか。彼等は……憐れで奇妙で、とても親しみ深い者達なのだな」
しかし、それとこれとは別である。蚕に手を伸ばしかけたレイモンドは、妻の手の中でウネウネと動き、無数の足をバタつかせる蚕を見て手を引っ込めた。
「…………」
少しだけ気まずい沈黙が夫婦の間に落ちる。
「そ、その……。すまない」
申し訳なさそうな夫を見て、シュリーは細く白い指先で蚕を撫でると、静かに口を開いた。
「……数年前のことです。釧で蚕の流行病が蔓延し、多くの蚕が死んで養蚕農家が大打撃を受けましたわ。その時に私が交配させて改良し、生み出したのがこの蚕達なのです。病気に強く、丈夫で美しい糸を出す蚕種ですのよ。この子達のお陰で釧の養蚕は途絶えずに済んだのです。私は自分が生み出したこの子達に愛着がありますの。ですからシャオレイにも、この子達を可愛がって頂きたいのですわ」
虫を手に乗せ美しく微笑む妻を見て、レイモンドは意を決した。
「そなたの生み出した者達であると言うのなら、そなたの夫である私の子であるようなものではないか。よし……乗せてくれ」
差し出されたレイモンドの手にシュリーが蚕を乗せてやると、その何とも言えない感触にレイモンドは鳥肌を立てつつも我慢した。
「どうです? 愛らしいでしょう?」
「う、うむ……なかなか可愛げがあるな」
そう言って頷いたレイモンドは涙目だった。
蚕一頭に悪戦苦闘する夫の姿が可笑しくて、シュリーは賑やかな子供達の声に紛れ、袖口で隠した唇の間から堪え切れず笑い声を漏らしたのだった。




